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ラジエルの書第五十五巻―悪魔たちの王―  最終話

 ベリアルが魔法で作りだした馬に乗ったフランベルジュは、黒竜族の国に入り、城下町の傍まで来ていた。しかし、なぜか門番が入り口を厳重に守っている。いつもなら入るのも出るのも自由だったはずだ。
「止まれ!」
 門番がそう叫ぶのが聞こえ、フランベルジュは馬を止めるため手綱を引こうとした。だが、それよりも早くベリアルが言う。
「構ウナ、ソノママ突ッ込メ!」
「え、そ、そのままって……!」
 ベリアルの言葉で手綱を引く間を逃したフランベルジュだったが、馬はとんでもない跳躍力で二人の門番の頭上を飛び越えた。そして、何事もなかったかのように城へ向けて街中を走って行く。
「ヨシ、ココデ止マレ」
 フランベルジュは城の前で馬を止め、その背中から降りた。すると馬は役目を終え、音もなく消え去った。
 城の前にも兵士がいるはずなのに、今日はその姿は見えない。
「みんな、中にいるのか。父さん……」
 フランベルジュは城に入ろうと一歩を踏み出したが、ベリアルに制止される。
「待テ。城ニハ悪魔避ケノ結界ガ張ッテアル。コノママデハ私ハ中ニ入レナイ。オ前ノ体ヲ貸セ。ソウスレバ私モ一緒ニ行ケル」
「体を貸す?」
 フランベルジュはぎょっとして聞き返す。悪魔が人間の体を乗っ取るなんて話を本で読んだことがあるが、本当だったようだ。
「わ、私じゃなくても誰かその辺の……」
 フランベルジュが辺りを見回すと、ベリアルは呆れたように言う。
「馬鹿者。ソノ辺ノ人間デ良イ訳ガナイダロウ。ダイタイ、私ト融合スル為ニハ強大ナ魔力ガ必要ナノダ。オ前以外ニ誰ガイル? オ前ホドノ魔力ヲ持ツ者ハ稀ナノダ」
 その強大な魔力も、今はベリアルの助けなしに引き出すことはできない。フランベルジュは諦めてベリアルの提案に従うことにした。
「私達悪魔ハ、無差別ニ人間ニ取リ憑ク訳デハナイゾ。知ラナイ人間ニ憑クノハ気持チガ悪イノダ」
「取り憑かれた人のほうがよっぽど気持ち悪いと思うけど」
「ソウカ? ソレハ考エタ事ガナカッタ」
 ベリアルは笑いながらも、フランベルジュの気が変わらないうちにと体の中に入ってきたようだ。
 しかし、フランベルジュにはベリアルが自分のどの辺に入ってきたのかが全く分からなかった。
「何も感じないが……。本当にこれでいいのか?」
「ウム。オ前ハ眼ガ良イナ。良ク見エルゾ」
 フランベルジュははっと両手で自分の口を覆う。なんと、その返事はフランベルジュ自身の口から飛び出してきたのだ。さらに、動かそうと思ってもいなかった足が勝手に動き、城の門の前まで歩き出す。
「な、なんだこれは!」
 気味が悪くなったフランベルジュは無理矢理自分の意志で動く足を止めた。
「ヨシ、動クゾ。ダガ、フランベルジュ。オ前ハ大シタ奴ダ。コノ私デサエモ、百パーセントオ前ノ体ハ自由ニデキヌ」
「よく分からないけど、頼むから勝手に私の体を動かさないでくれ」
「ソレデハ取リ憑イタ意味ガナイ」
「いいから! あと、もう喋らないで! 私の口が二人分ものを言うから疲れる」
 悪魔に取り憑かれた人間は狂うが、これでは違う意味でフランベルジュは不審者だ。周りにこの様子を見ている者がいなかったのが不幸中の幸いだ。
 ようやくフランベルジュは城の中へ入る。込み上げる懐かしさと共に、異変も感じ取った。
 城の者たちは今までにないくらい忙しく駆け回り、兵士も増えたような気がする。
 この状況に戸惑い立ち尽くしていると、昔アルメリアのお付きの侍女だった女がフランベルジュを見つけて駆け寄って来た。
「フランベルジュ様!」
 緊張で顔を強張らせていた彼女はフランベルジュを見て、安堵の笑みを浮かべた。
「今までどちらに? いえ、いえ、そんなことはよいのです。早くディアス様の所へ。ディアス様は玉座の間にいらっしゃるかしら?」
 侍女は傍を通りかかった兵士に声を掛ける。その兵士も侍女と同じで、フランベルジュの姿を見てひどく嬉しそうな表情を見せた。
「ディアス様はヨアンネス様と共に玉座の間にいらっしゃいます。ただ、今は誰も入ってはいけないとのご命令が……」
「ヨアンネスト二人? マズイ。フランベルジュ、急ゲ!」
 ベリアルはフランベルジュの口を使わず直接心にそう語りかけた。
 フランベルジュは視線の先にある玉座の間の扉を見据え、そして走り出す。
 扉に手を掛け、全力で押し開けた。
 ヨアンネスの後ろ姿の先に見えた、父の姿。フランベルジュは叫んだ。
「父さん!」
 その瞬間、ディアスは剣を構えた姿勢を解き、フランベルジュを見た。
「フランベル……!」
 ディアスの口がそう言いかけたのと同時に、フランベルジュを捉えていた目が大きく見開いた。
 いつの間にかディアスの懐に飛び込んだヨアンネスが、右手に握りしめた短剣でディアスの心臓の辺りを深々と突き刺した。
 ヨアンネスが短剣を引き抜くと、ディアスは胸を手で押さえたまま、床に両膝をついた。血が溢れだす。
 体が倒れそうになるのを左腕で支え、ディアスはもう一度フランベルジュの名を呼んだ。
「フラン……ベルジュ……」
 ディアスの表情は痛みで歪んでいるものの、その中には安堵や喜びといった感情も垣間見えた気がした。
「やったぞ……。ついに、ついにやったぞ!」
 血の海の中苦しむディアスの傍で、ヨアンネスが笑いだす。
「私は……これで、あの方に認めてもらえる!」
 父の元に駆け寄ろうとしたフランベルジュの心に激しい怒りと殺意が芽生える。それは、フランベルジュの中にいるベリアルも同じだった。
 ベリアルがフランベルジュの右手を動かしたのと同時に、フランベルジュも自らの意思で剣に手を掛けた。
――殺セ!
 ベリアルの声がフランベルジュの頭に響き渡る。
――ソイツヲ殺セ!
 ベリアルの憎しみの声と共に、フランベルジュは剣を抜いた。
「よくも……よくも父さんを……!」
 フランベルジュは剣を握りしめたまま、ヨアンネスに近づく。そして、剣の切っ先が届く位置まで来るとぴたりと足を止めた。
「よくも……」
 怒りに震えるフランベルジュを見て、ヨアンネスはなおも笑い続ける。
「久しぶりですね、フランベルジュ」
 馴れ馴れしくそう言うと、ヨアンネスは大げさに両手を広げて言葉を続けた。
「あなたに私が殺せますか? 自分の父が親友と慕う私を殺せますか?」
 フランベルジュの瞳が迷いで揺れた。しかし、フランベルジュの手は剣をよりいっそう強く握りしめた。
「私ガオ前ヲ殺シテヤル!」
 剣から黒い霧が現れたかと思うと、鋭い爪を持った悪魔の手が、ヨアンネスの首を掴んだ。
「な……悪魔? なぜ? 結界は……」
「オ前ノ魂ヲ、ココデ粉々ニ打チ砕イテクレル。後悔スルガイイ。オ前達ハコノ世デ最モ敵ニ回シテハイケナイ者ヲ敵ニ回シタノダ」
「神……には……、勝て……まい」
「減ラズ口ヲ!」
 悪魔の手はぎりぎりとヨアンネスを締め付け、とうとうその魂を砕いてしまった。
 残ったヨアンネスの空っぽの体が床に転がった。
 フランベルジュは一連の出来事にあっけにとられるも、剣を収めてすぐさまディアスの傍へ駆け寄った。
「父さん!」
 悪魔避けの結界が消えた城の中で、ベリアルは姿を現し、動かないヨアンネスの体を持ち上げ、丁寧に床に横たわらせた。
 フランベルジュが傍へ来ると、ディアスは安心して気が抜けたのか、手で胸を押さえたままその場に倒れた。
「父さん、しっかりして!」
 ディアスの体を抱き起しフランベルジュがそう言うと、ディアスは心から嬉しそうに微笑んだ。
「生きていて、よかった……。心配……したんだぞ」
「父さん……。ごめんなさい。もう、黙って出て行ったりしないから、だから、父さん!」
「父さんは、父さんは……どこにも行かないよ」
 ディアスがフランベルジュの腰の黒い剣に手を伸ばす。だが、その手をそっと遮る別の手があった。
「ソノ剣トフランベルジュノ魔力ヲ使ッテ悪魔ニ成ルツモリカ? ヤメテオケ……。オ前デハ無理ダ」
 ディアスはベリアルに視線を移し、まるで不思議なものでも見たかのような表情を見せた。
「親父だ……。親父が見える。姿を見たのは何十年ぶりだろう……。そうか、フランベルジュの魔力のおかげで見えるのか……。親父が見えたということは、やっぱり私は死ぬのだな」
「私ハ死神デハナイ。残念ナガラオ前ヲ迎エニ来タ訳デハナイゾ。オ前ヲアノ世ニ連レテ行クノハ御免ダ」
 面白くない冗談に、フランベルジュは顔を強張らせる。
「父さんが死ぬわけないじゃないか! ベリアル、城の人たちに頼んで医者を呼んでよ、今すぐ!」
「モウ手遅レダ」
 ベリアルはディアスの怪我した胸を指さし、言った。
「ソンナ傷ヲ負ッテ尚、無駄口ヲ叩ケルノガ不思議ナクライダ」
「やっぱり、し、死ぬのか……。免れぬか……」
 死を目前にしたディアスは、最後の力を振り絞ってフランベルジュの手を握った。
「い、いいか、よく、聞け」
 ディアスの手は血に塗れ、とても冷たかった。
「私は、ずっと、この国の軍事力を強化する政策を行ってきた。それは、い、いつかもう一度、自らを神と名乗る者たちと戦うためだ。竜族の力を取り戻すため、いや、本当は、もっと大きな使命なのかも、しれない……。フランベルジュ、頼みがある……。私の後を継いで、この国を……竜族たちを導いてくれ。お前が……お前なら、必ず成し遂げられる」
「父さん……」
 フランベルジュは思わずディアスから視線を逸らす。父の最後の願いを、フランベルジュは簡単に引き受けることはできなかった。
「父さん、僕には無理だよ……。父さんみたいに強くない。今だって、僕は……ベリアルがいなかったらここへは帰って来られなかった。剣は少し上達したけど、父さん以上の力は僕にはないんだ」
 俯いて唇を噛み締めるフランベルジュの手を、ディアスはもう一度、できる限りの力で強く握る。
「若いうちから完璧な強さを持っているやつなんて、いないさ……。フランベルジュ……。お前は、まだ、これから……これから強くなるんだ」
 ディアスの言葉を聞いているうちに、フランベルジュの目からは涙が溢れて止まらなくなった。こぼれてくる涙を拭いながら、フランベルジュはディアスの手を握り返した。
 そして、途切れ途切れにこう言った。
「分かったよ、父さん。僕が、僕がこの国を強くするよ。いつか力を取り戻せるように……」
 ディアスは微笑む。
「安心、したよ……。ありがとう、フランベルジュ」
 そして、ベリアルの方に視線を移し、ディアスは言った。
「親父……。なぁ……。こんな、出来損ないの息子でごめんな……」
 ベリアルは静かに首を横に振る。
「オ前ノ事ヲソンナ風ニ思ッタ事ナド、一度モナイ」
 ベリアルは先ほどから表情を変えていないが、ディアスにはベリアルの心の中が手に取るように分かっていた。ベリアルもきっと、ディアスの心の中が分かるに違いない。
「ヨアンネスを、憎まないでくれよ、フランベルジュ……。あいつは、本当に、いいやつだった……。あぁ……もう一度会いたかったなぁ……」
 ディアスはもう一度目の前の二人を交互に見て、言った。
「親父と息子に見守られて、死ねるなんて……。こんな贅沢していいのかね……」
 そのまま目を閉じ、ディアスは動かなくなった。冷え切った右手がいつまでもフランベルジュの左手を握っていた。
 隣でベリアルが大きく息を吐く。落胆と悲しみが二人の肩に重く圧し掛かっているようだった。
 フランベルジュは動かなくなったディアスの手を解くこともできない。頬を伝う涙は拭われることなく、二つの手を濡らした。
 ふと、ベリアルが立ち上がって玉座の間の入口を見た。人の気配を感じたベリアルは姿を消したが、フランベルジュはそれに気づくことはなかった。
「間に合わなかったか!」
 どこかで聞いたことのある声がしたので、フランベルジュは扉の方に目を向ける。二人の男がこちらへ駆け寄って来た。
「じいさん?」
「フランベルジュ! お前は無事だったか」
 ずいぶんしばらくぶりに会ったじいさんの姿は、最後に会った時となんら変わりなかった。背には背嚢、顔は老けているが、以前と変わらない。
 じいさんはフランベルジュに抱かれたディアスを見て、ベリアルと同じようにため息を吐いた。そして、小さな声でフランベルジュに言った。
「ベリアルに聞いて、慌ててここまで来たんだが……。間に合わなかった。すまない……」
 フランベルジュは返す言葉がなかった。こうなってしまったのはじいさんのせいではなかったので、謝られたところでどうしようもない。
「全ク、コレデハ何ノ為ニオ前ヲ呼ンダノカ分カランナ!」
 姿を消したベリアルの声がフランベルジュの頭の中で響く。ディアスがいなくなった今ではこの声が聞こえるのはフランベルジュだけのはずだが、どうしたことかじいさんがこの声に応えた。
「仕方ねえだろ! ベリアルよ、お前は実体がねえからどこでも簡単に移動できるんだろうけど、オレは残念ながらこの世に体が残ってるんだぜ。そう簡単にいくかっての!」
 ベリアルと会話をするじいさんを不思議な目で見つめていたフランベルジュはもう一人、玉座の間に入って来た男に気づいた。
 実質ディアスの右腕だった男、カルロス将軍だ。カルロスはまだ二十代で若かったが、この国で戦える者の中では剣の腕前が抜群に良かった。
「ディアス様が……。まさか、こんなことに……」
「お前のせいだぞ、このボンクラ! 護衛もしねえでどこほっつき歩いてたんだ!」
 じいさんがそう言うと、カルロスはフランベルジュの前に跪き、床に額がつきそうになるほど頭を下げた。
「申し訳ございません! 私を含め兵士たちは城の守備で手一杯……。ディアス様はご友人と話があると人払いをさせましたが、そこまで注意が回らず……。まさか、まさかこんなことになるとは……。大変申し訳ございません……」
 カルロスの肩が震えていた。フランベルジュはそれを見て、彼も自分と同じくディアスの死を嘆いているのだと分かった。そんな彼を責めることなんてできるはずがない。
 ディアスの手を解きながら、フランベルジュはカルロスに言った。
「これは、誰のせいでもない。だから、カルロス将軍。顔を上げてください。父さんは絶対あなたを責めないでしょう。じいさんも、本当は分かってるでしょ? 将軍や他の兵士のせいじゃない。誰も……誰も悪くない」
 誰かに責任を負わせたところで、ディアスはもう帰って来ない。
 フランベルジュの言葉に、じいさんもただ俯くしかなかった。
 しばらくの沈黙の後、重々しい空気の中でようやく口を開いたのはじいさんだった。
「でもよお、これからどうするよ? カス野郎だとは言え、ゼウスの手下を殺っちまっただろ? こりゃ確実に報復されると思うんだが」
 カルロス将軍がはっと顔を上げる。
「ゼウス? このご友人はゼウスの手の者だったのですか?」
 詳しい事情を知らないカルロスに、じいさんが親切丁寧に事の顛末を話してやる。
「では、我々のことはあちら側に筒抜けということですか。アポロンの軍が攻めて来るというのは本当なのですね」
「いや、それはカス野郎がディアスを足止めするためについた嘘だろう。だから、今すぐあっちが攻めて来るわけじゃねえ。だがな、そう遅くないうちにここを潰しに来るだろうよ」
 じいさんの話を聞いていたフランベルジュが立ち上がる。そして、玉座の前まで来るとじいさんとカルロスの方に向き直った。
「戦おう」
 フランベルジュは決意の眼差しを二人に向ける。
「向こうが来るなら、私たちは戦う」
 強気なこの発言に、思わずじいさんは口元を綻ばせる。
「そりゃいい考えだ。オレも賛成だ」
 じいさんが言うと、すかさずカルロスも同意する。
「もちろん私も戦います。兵士たちもこの時のために訓練を続けてきました。戦う意思のない者はいません」
 二人の返答を聞き、フランベルジュは頷いた。ここで弱気になったところで逃げ場はない。何より、それではディアスの意に反する。
 しかし、戦う意思があるとはいえ、この国の軍隊はまだまともな戦争をできるほどの戦力を持っていない。無謀な戦いをすることもディアスの願うところではないことは確かだ。
「どうするかね。やる気はあっても負けが目に見えてるぜ」
「じいさん殿、やってみなければ分からないこともあります。ここは思い切って……」
「なんでお前にじいさんって呼ばれなきゃいけねえんだよ!」
 じいさんがカルロスの背中に鉄拳を食らわす。
「いたーっ! す、すみません……。まだお名前を伺っていなかったもので、つい……。フランベルジュ様もそう呼んでいましたし……」
「フランベルジュはよくてもお前はダメだ!」
「はい、では何とお呼びすればよろしいので?」
 そう聞かれると、じいさんはふと考え込んだ。そして、カルロスに返ってきた答えは実に理不尽なものだった。
「知るか! 自分で考えやがれ!」
「はい、ではじいさん殿と呼ばせていただきます!」
 カルロスが敬礼すると、じいさんは舌打ちをした。
「勝手にしやがれ」
 二人の奇妙なやり取りを困惑した表情で見守っていたフランベルジュの耳元でベリアルが囁いた。
「私達悪魔モ手ヲ貸ソウ。オ前ノ兵士ヨリハ役ニ立ツ」
「本当? でも、悪魔と手を結ぶのはあまり気が進まない。何か私に見返りを求めるのか?」
見返り、と聞いてベリアルは笑った。
「見返リ……ソンナ生易シイモノデハナイ。生キテイル間ニ悪魔ニ魂ヲ売ッタ者ノ末路、ソレハ非常ニ悲惨ダ。体ヲバラバラニ引キ裂カレ、魂ハ砕ケ散ルダロウ」
 ベリアルは言葉を続ける。
「悪魔ハ本来、コノ地上ノ生キ物ニ害ヲ成ス者ダ。シカシ、ソレハ神モ同ジカモシレヌ。オ前ハ神ニ屈服スルカ。ソレトモ、悲惨ナ最期ヲ覚悟シテ悪魔ト手ヲ組ムカ?」
「私は……」
 フランベルジュはかつて父が座っていた玉座に腰掛ける。ディアスはここで何を考え、何を想ったのだろう。
 今度は自分の番だ。
「手を組もう、ベリアル。いや……。おじいちゃん」
 思いがけない言葉が飛び出したので、ベリアルは大笑いした。
「オ前ハ本当ニ、ディアスヨリモ小賢シイ。悪魔デハナク、祖父トシテノ私ト契約スルノダナ。イイダロウ。ディアスノ代ワリニ私ガオ前ノ力ニナロウ。ソレニシテモ……」
「なに?」
「オジイチャンッテ、ナカナカ……良イカモシレナイ。今度カラソウ呼ベ」
「恥ずかしいから嫌だね」
 そう即答すると、ベリアルがしゅんと悲しげな顔をしたように思えた。
 だけど、どんなにじいさんとカルロスの二人が面白くても、ベリアルが声を掛けてくれても、フランベルジュが笑顔になることはない。
「じいさん、カルロス……。父さんとヨアンネスを静かに眠らせてあげて欲しい」
「そうだな……。いつまでもこうしておくわけにゃいかねえや」
 じいさんは冷たく重たくなったディアスの体を持ち上げる。すると、ベリアルがこんなことを言った。
「ソノ体、墓ノ下ニ入レルノハ得策デハナイナ。綺麗ニシテヤッテ、部屋ニデモ置イテオケ」
「はぁ? なにいかれたこと言ってんだよ。そんなことしたら腐っちまうだろ」
「イイカラ黙ッテ言ワレタ通リニシロ」
 じいさんがあれこれと悪態をついていると、カルロスはじいさんに聞こえないよう小さな声でフランベルジュに尋ねた。
「あの……。じいさん殿は誰と話しているのでしょうね?」
「さ、さあ……」
 フランベルジュはわざとらしく首をかしげた。
「なんだか不思議な人ですね。ディアス様とご友人は私たちが責任を持って埋葬いたします。フランベルジュ様は少しお休みになってはいかがでしょうか」
 誰もいなくなった玉座の間。フランベルジュはいつもディアスがそうしていたように、玉座の肘掛に頬杖をついた。。

 ディアスの死後、その遺体はベリアルの助言通り墓には埋葬されず、密かに城のどこかに安置された。
 ベリアルはその理由をまだ教えてはくれない。

 幼い頃から剣を学んだ。
 何のために、誰のために戦うのかも分からずに。
 父よりも強い剣士になりたかった。
 ただ、強くなりたかった。
 そうしてやっと見つけた守りたいものは、ひとつ残らずフランベルジュの手のひらから零れ落ちてしまった。
 何も守れなかった。
 振り返ってみれば、フランベルジュの大切なものは一つも残っていない。
 何も。
 何一つ。
 これで本当によかったのだろうか。これしか道はなかったのだろうか。
 フランベルジュにとって父は、もう超えることのできない存在になってしまったのだ。
 父のように強くなりたい。
 その想いがずっとフランベルジュを苦しめている。



 最後にこの書斎に入ったのは何年前だっただろう。
 怖い顔をしているガルヴァーニ公爵と対面しながら、ソラはそんなことを考えていた。
 隣ではリオラが落ち着かない様子で、自分と同じように立っている。
 公爵が口を開いた。
「全く……。お前たち、やってくれたな」
 冷や汗をかきまくっているリオラとは反対に、ソラはひどく落ち着いていた。
「あいつは今までの剣奴の中で一番金になるやつだった。人気も上々。これからだったと言うのに。なんてことをしてくれたんだ」
「で、で、でも、フランベルジュは……」
「うるさい!」
 公爵はぴしゃりとリオラの言葉を遮った。あまりの剣幕に思わずソラも肩をびくつかせる。
「自分たちがしでかした事の重大さは分かっているな? 当然覚悟はできているのだろうな」
 ソラもリオラも黙ったまま視線を床に落とす。こうなることは分かっていたが、いざその時になるとやはり怖いものだ。
 二人が黙って立ちすくんでいると、公爵は低い声でこう言った。
「……出て行け」
「え?」
 思わず二人は同時に声を上げた。
「聞こえなかったのか。出て行けと言ったんだ」
「え、あ、あの……」
 恐る恐るリオラが尋ねる。
「し、死刑じゃないんですか?」
「馬鹿者。死刑をするのにも金がかかるのだ。もうお前たち二人には銅貨一枚たりとも金は使いたくない。だから、出て行け。早く、今すぐに」
 公爵に急かされ、二人は重いのか軽いのか分からない足取りで部屋を出ようとした。すると、公爵がそれを呼び止める。
「待て。これを持って行け。わずかだが、金と食糧だ。二人分ある。お前たちで勝手に分けろ」
 公爵が乱暴に投げてよこした袋の中には、決して少額ではない金と、食料が入っていた。
 それに驚いたリオラがまた余計なことを言う。
「お金と食べ物? で、でも、さっき僕らには銅貨一枚たりとも使いたくないって……」
「うるさい!」
 公爵が勢いよく椅子から立ち上がる。
「本当にお前は死刑になりたいのか、リオラ」
「い、嫌です! って、え……? ご主人様、僕の名前……」
 リオラが余計なことばかり言うので、公爵はとうとう顔を真っ赤にしてかんかんに怒りだした。
「今からでも死刑にできるんだぞ!」
 ソラはもらった袋とリオラを引きずりながら、やっとの思いで屋敷を出た。
 早く出て行けと、公爵は部屋の窓を開けてまだ叫んでいる。
 二人が見えなくなると、公爵は窓を閉め、一人こう呟いた。
「あの剣奴がただ者ではないことくらい、分かっていたさ。だからこそ、小僧と小娘を処刑すると後が面倒だ。良い待遇で買ってやったというのに、感謝されることはあるとしても、報復でもされたらたまらんわ」


「ソラちゃん、ソラちゃん!」
 街中をずんずん歩いていくソラに、リオラは必死に声を掛ける。
「ソラちゃん!」
 人通りが少なくなったところで、ソラはようやくリオラの方を振り返った。
「もう! リオラ君ったらどうしてご主人様を怒らせるの? おかげで本当に死刑にされるかと思ったわ!」
「ご、ごめん。でも、僕たち生きてるよ」
 リオラが言うと、ソラはやっといつもの笑顔を見せてくれた。
「そうね。生きてるわね……。それに、自由よ」
「ねえ、ソラちゃん」
 急にリオラが真剣な顔をして、言った。
「フランベルジュを探しに行くんでしょ?」
 少し間をおいて、ソラが答える。
「ええ……。行くわ」
「きっと、そう言うと思った」
 リオラは真剣な表情のまま、ソラに言った。
「僕も行く。ソラちゃん一人じゃ心配だから」
「あら、リオラ君よりはしっかりしてるわよ?」
「そ、そんな。僕がいたら安心だよ? 荷物を持つし、洗濯もできるし、えっと、あとは……」
「リオラ君」
 ソラはなんだかおかしくなってしまい、笑いながらリオラの言葉を遮った。
「一緒に行きましょう。三人でまた……って、あの時約束したでしょ?」
「うん! きっと、どこかでフランベルジュに会えるよね」
 二人は街を出て、歩き出す。
 公爵がくれた荷物の中には、なんと地図まで入っていた。
「とりあえず、このグロムナート王国ってところに行ってみましょう。聞いた話だけど、ここは西大陸で一番大きな国だって」
「フランベルジュ、ここの王子様なのかな」
「分からない。でも、もし違ってもこんな大きな国なんだから何か情報があるはずよ。行ってみましょう」
 ソラもリオラも文字が読めなかったので、話に聞いたことがあるグロムナート以外の国や、地図に記されている他の街や村の名前は読めなかった。
「どこかで誰かに会ったら聞いてみましょう」
「そうだね。でも、こんなんで僕たち大丈夫かな」
「平気よ。だって、あの木に約束したもの。あの木はただの木じゃないのよ。昔々、運命の女神様が姿を変えた木なんだから。絶対に約束は果たされるわ」
「でもそれ、おとぎ話……」
「いいの! ほら、黙って歩く!」
「はーい」

 二人は歩き続ける。フランベルジュに再び出会えるその日まで。
おわり
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