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ラジエルの書第五十五巻―悪魔たちの王―  4

 日が暮れると男は馬車をとめ、焚火の準備を始めた。フランベルジュは馬車の中からそれをぼんやりと見ていた。しばらくして、男がフランベルジュの傷の手当をすると言い出したので、フランベルジュは痛む脚を引きずって焚火の傍に座った。
「すぐに手当してやれなくて悪かったな。お前に逃げられちゃ困るから……」
 男は傷口を丁寧に水で洗い、包帯を巻いてくれた。傷の手当をしてくれたことはありがたいが、フランベルジュは複雑な気持ちになった。
 ここはもう、黒竜族の国の近くではない。二人はまだ森の中にいたが、明らかに匂いが変わったのをフランベルジュは敏感に感じ取っていた。
 落胆するフランベルジュを見て、男は言った。
「そんな顔すんなって。悪いようにはしねえから」
 男が何を言っても、フランベルジュは返事をしなかった。悪いようにはしないと言われても、今この時が最悪の状況なのだ。希望など持てるはずがない。それに、こんな奴の言葉など信じられない。
 差し出されたパンも食べず、その夜は一睡もできなかった。逃げ出そうにも、怪我をした足では遠くまで走れない。
 朝が来ると、フランベルジュを乗せた馬車は再び走り出した。どこへ行くかは分からない。
 そうして何日か馬車を走らせると、急に馬車の外が騒がしくなった。フランベルジュがこっそり外を覗き見ると、馬車はちょうど大きな石造りの門を通過するところであった。
 門をくぐると、そこは大きな街だった。所狭しと立ち並ぶ露店の数々。そこを行き交う多くの人々。
 黒竜族の国よりもずっと人が多く賑やかなその街の奥に、円形状の大きな建物が見えた。馬車はその建物の手前にある大きな屋敷の前でとまった。
「着いたぞ。さあ、降りろ」
 男に急かされ、フランベルジュは馬車から降りた。脚はまだ少し痛むが、立って歩くのには支障がないほど回復していた。
 男に着いて屋敷の中に入ったフランベルジュだったが、その広さに困惑の表情を隠せない。黒竜族の国で城と呼ばれていた屋敷とは比べものにならないくらい広い。
 男は、玄関の床を磨いていた使用人のような身なりの少年に声を掛けた。
「おい、ガルヴァーニ公爵はいるか」
 菫色の髪が印象的なその少年は立ち上がり、男に言った。
「ご主人様はコロッセウムにお出かけになりました」
 それだけ聞くと、男は踵を返した。フランベルジュが少年の方に目をやる。歳は十四、五歳くらいだろうか。少年のほうも不思議なものを見るような目でフランベルジュを見ていた。
 外に出た男は、徒歩で円形状の大きな建物に向かった。どうやらあの建物がコロッセウムと呼ばれるものらしい。
 二人がコロッセウムの中に足を踏み入れようとしたその時、中から数人の男たちが歩いて来た。一人は一目で上流階級の人間だと分かる身なりの良い若い男で、他はさっき出会った少年と同じような恰好をしていた。
 男は身なりの良い男の前にフランベルジュを差出し、言った。
「公爵、金になりそうな奴を連れて来ました。こいつは今までで一番の上玉ですぜ」
 ガルヴァーニ公爵は、男とフランベルジュに不審な眼差しを向けた。
「お前は前回も同じようなことを言っていたが、そいつはなんの役にも立たなかった。今回も同じだろう」
 まともに取り合う様子のない公爵を、男は必死に引き留める。
「ちょ、ちょっと待ってください! こいつは絶対金になりますって。俺が保障します!」
「だから、そのお前自体が信用ならんと言うのだ」
 そう言いながらも、公爵はまるで値踏みをするかのようにフランベルジュを見つめた。フランベルジュは負けじと公爵を睨んだ。
 すると、それを見た公爵は意外にも微笑を浮かべてこう言った。
「なるほど、これは面白い。こいつは今までの人間とは違うようだ。試すだけ、試してみよう。こいつが使い物になるようならお前に金貨を支払う」
 そう言うとすぐに、公爵はフランベルジュを連れてコロッセウムの中に入って行った。もちろん、男も後ろから着いて来る。
 入り組んだ石畳の廊下をしばらく歩いたところで、公爵がフランベルジュの方を振り返って言った。
「本気でやれよ。そうでないと、死ぬぞ」
「……え?」
 言葉の意味が理解できずに戸惑うフランベルジュに、男が思い出したように剣を差し出した。
「ほら、お前の剣だ。しっかり頼むぜ」
 古い鞘に収まる黒い剣を受け取るも、フランベルジュは一体何をしっかりやればいいのか分からない。そうこうしているうちに、フランベルジュは目の前の明るみの中に放り込まれた。足元は砂。顔を上げると、目の前の観衆がわっと歓声を上げた。
 恐る恐る辺りを見回す。右も左も、そして後ろも、大勢の観衆でいっぱいだった。
 フランベルジュが連れて来られたコロッセウムは別名「円形闘技場」とも呼ばれている場所だった。
「まさか……まさか、ここで戦えと?」
 反対側から、剣と盾を携えたいかつい男が入場して来る。困惑と緊張で、フランベルジュの額から冷たい汗が流れた。この状況では逃げることなどできない。そして、負けることも許されなかった。
 余計なことを考える暇もなく、フランベルジュは鞘から剣を引き抜き、走り出す。それを見た相手も、フランベルジュに向かって来る。
 先制攻撃を仕掛けたのはフランベルジュだった。軽く振り下ろした剣は相手の盾に当たる。相手の力量を見極めるために何度が繰り返した攻撃は、全て盾に防がれた。
 盾が邪魔だ。なんとかしないと……。
 邪魔な盾ごと力ずくで相手を押し返そうかと考えた時、ディアスの言葉が脳裏に浮かぶ。
「そうか……。そうだね、父さん。力任せじゃ、相手は倒せない」
 作戦変更。フランベルジュは軽い剣の特徴を生かし、右へ左へと素早く攻撃を繰り出した。相手はフランベルジュの攻撃を防ぐのに精いっぱいで、そのうちバランスを崩してよろめいた。
 今だと言わんばかりに、フランベルジュは相手が持っていた盾を蹴り上げた。その衝撃で転倒した相手の喉元に素早く剣を突きつける。相手は剣を投げ出し、降参した。
「ほら、ほら、俺の言った通りでしょ? いくらで買ってくれます? 金貨二枚……いや、それとも三枚?」
 フランベルジュの戦いを見ていた男が、鼻息荒く公爵に詰め寄る。公爵はフランベルジュから目を離さず、男にこう言った。
「百枚。金貨百枚であいつを買おう」
「ひゃ……百枚? なんてこった。あいつを殺さないでここへ連れて来てよかったぜ。これでしばらくは楽な暮らしができる!」
 男は公爵から金を受け取り、なぜか戦いから戻って来たフランベルジュに礼を言ってから帰って行った。
 フランベルジュが茫然と男を見送った後、公爵がやれやれとため息をついた。
「悪い人間になりきれないなら、悪党なんてやめればいいものを。お前を殺す命令を受けていたようだったが、あいつに殺しは無理だろうな。どうせ報酬金額だけで仕事を決めたのだろう」
「あ、あの……」
「心配するな。これからお前の面倒は私が見る。なにせ金貨百枚も出して買った剣奴だからな」
「剣奴?」
 フランベルジュが首を傾げると、公爵は驚いた表情を見せた。
「お前、剣奴が何か……自分自身がどういう状況なのか分からないのか。この国の者なら知らない者はない。剣奴は剣の奴隷。つまり、剣闘士だ。先ほどのように観客の見世物として戦うのがお前の役目だ」
 言いながら、公爵が歩き出したのでフランベルジュもそれに続く。
 昔、父から聞き本で調べた奴隷。まさか自分が奴隷になる日が来るなんて、夢にも思わなかった。奴隷は死ぬまで主人の所有物になる。これでますます逃げ出すのが困難になった。たとえ逃げ出したところで、どうやって黒竜族の国へ戻ろう。
 不安に駆られたまま、フランベルジュは公爵に連れられてさっきの屋敷に戻って来た。玄関に入ると、使用人と思われる人々が公爵を出迎えた。
「普通なら、剣奴はコロッセウムの地下にある部屋に住まわせるが、お前は別だ。私の屋敷の一室を与える。ある程度の自由は認めるが、逃げ出そうなどとは考えるな」
 今まさに逃げ出すことを考えていたフランベルジュの表情は、さっと青くなった。ごくりと唾を飲み込む。
「最後に、お前には特別に私の奴隷を二人与える。まずはこの中から一人選べ。誰でもいいぞ」
 フランベルジュが十人ほどいる奴隷を見ると、その中に先ほど出会った菫色の髪の少年がいた。
「あの、彼を……」
 特に何を思ったわけではないが、気づけばフランベルジュは少年を指名していた。
 公爵は少年とフランベルジュを交互に見て、
「あいつは私の奴隷の中で最も役に立たないものだ。別の奴にしたほうがいいぞ」
と、言った。しかし、フランベルジュは首を横に振る。
「いえ、彼でいいです……」
「お前も物好きだな。まあ、いいだろう。その奴隷はくれてやるから、好きにしろ。あとのもう一人は夜にでもお前の部屋に行かせる。そっちも好きにして構わん。次の試合の日取りが決まったら教える。それまで適当に過ごせ。おい、こいつを部屋へ案内しろ」
 公爵はそう少年に指示すると、再び玄関を出て外出して行った。他の奴隷たちも皆自分の仕事に戻って行く。
「あ、あのう……」
 少年が恐る恐るフランベルジュに声を掛けてきた。
「お部屋へご案内いたします」
「ああ、頼むよ」
 少年はフランベルジュを二階の隅にある一室へ案内した。少年が開けてくれた扉の中は、様々な装飾品で飾り付けられた豪華な部屋だった。しかし、派手な装飾はフランベルジュの趣味ではなかった。
 文句を言っても仕方がないので、フランベルジュは黙って部屋の中に入る。少年はまたもや恐る恐る口を開いた。
「ここがあなた様のお部屋です。えっと……あの、なんとお呼びすればよいですか?」
「名前、か。 ぼ……私は、フランベルジュだ。お前は?」
 フランベルジュが聞き返すと、少年はきょとんとした。何を聞かれたのか理解するのに時間がかかったらしい。質問の意味を理解し、慌てて答える。
「ぼ、僕の名前、ですか? 僕はリオラといいます。僕、名前を聞かれたのは初めてです……」
 緊張しているのか、リオラと名乗った少年は頬を赤くしてそう言った。
「リオラ……だな。今日から世話になる。私のことはフランベルジュでいい。あと、不自然だからその丁寧語はやめろ」
「で、でも、そういうわけには……」
「気にするな。お前だって、堅苦しいのは苦手なんだろ?」
「ど、どうしてそれを……」
「なんとなく、そう思っただけだ」
 そう言って、フランベルジュは思わず笑みをこぼした。つられてリオラもくすっと笑う。
「あ、今日はもう疲れてると思うから、ゆっくり休んでね。僕、夕飯の時間になったらまた来るよ」
「分かった」
 リオラが部屋を出て行った後、フランベルジュはベッドに腰掛け、ふっとため息をついた。
 これからどうしよう。誘拐されてここまで来たとはいえ、食うにも寝るのにも困らない。だが、このままで良いわけがない。一刻も早くここを脱出して、黒竜族の国へ帰らなければ。きっと父さんも心配している……。
 立ち上がり、窓から外を眺めてみる。この部屋からは屋敷の庭を見渡すことができた。しかし、庭の中はおそらく屋敷の警備をしている兵士の姿がたくさん見えた。この様子だと、表も厳重な警備が敷かれているはずだ。公爵の言う通り、逃げ出そうなんて考えたところでそう簡単にはいかないだろう。逃げるなら、それ相応の準備をして時期を見なければいけない。今、闇雲に逃げ出したところでどうせすぐに捕まるし、その後どんな目に合うか考えただけで恐ろしい。
 自分が今何をするべきか考える。今すぐ逃げ出す計画を立てるのではなく、周りの状況を把握し、誰か味方を得ることが先決だと思えた。
 しかし、現時点でフランベルジュの味方になり得るような人間はいない。
 やがて夜になり、リオラがフランベルジュの食事を持って部屋にやって来た。パンとスープだけの質素な食事だったが、フランベルジュは特に気にならなかった。
 食事が終わり、部屋を出て行こうとするリオラを引き留める。
「聞きたいことがある。お前たち奴隷と、私たち剣奴は何が違う? どちらも同じ奴隷なのに、ずいぶんと待遇が違うようだが」
 リオラは食事の盆を持ったまま、質問に答えた。
「剣奴は、奴隷の中でも特別に地位が高いんだ。強い剣奴はそれなりに優遇されるし、勝ち続ければやがて自由を与えられる。でも、僕らは違う。一生奴隷の身で、自由なんてないんだ。だから、ただの奴隷の中にも剣奴になりたがる人はたくさんいるよ。僕も剣奴になりたかったけど、弱くて……。結局こうしてただの奴隷として働いているんだ」
「……そうか。そういうことか。引き留めて悪かった。お前もゆっくり休めよ」
「ありがとう……。そんなふうに言ってくれたの、フランベルジュが初めてだよ」
 そう言うと、リオラはそっと部屋を出て行った。僅かな明かりの中でも、リオラが照れ笑いを浮かべたのが分かった。
 月明かりの下で、フランベルジュは再び考える。先ほどのリオラの話を聞くに、フランベルジュが試合に勝ち続ければ自由になれるということだろうか。だが、何度勝てばよいのだろう。勝ったからといってすぐに自由になれるわけではないかもしれない。それが一年後か、十年後か……。
 不意に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。リオラが戻って来たのかと思い、声を掛ける。
「リオラか? 入っていいぞ」
 しかし、入って来たのはリオラではなかった。煌びやかな装飾を施した服を着た少女だ。煌びやかなのは服だけではい。胸元や腕につけた宝石類が、暗闇の中できらりと光る。薄明りの中で顔はよく見えないが、フランベルジュよりも幼く見えた。
少女はフランベルジュの傍までやって来て、挨拶をした。
「こんばんは。私、ソラ。あなたの名前は知っているわ。フランベルジュ、でしょ? リオラ君から聞いたの。よろしくね」
 公爵が言っていたもう一人の奴隷というのは、この少女のことだろうか。それにしても、身に着けている物からして奴隷という感じはしない。
「ああ、よろしく……。だけど、身の回りのことはリオラがやってくれるし、私は自分のことは大抵自分でできる。君にやってもらうことと言っても……」
 フランベルジュがそう言うと、ソラはひどく困ったような声で言った。
「え、そんな! 私、あなたの夜のお相手をするために来たのよ。やることはたくさんあるわ!」
「夜のお相手って……」
 フランベルジュは考えた。夜のお相手とは一体なんのことだろう。夕飯はもう食べたし、後は寝るだけだ。それ以外に夜にすることと言えば……。
「えーと……。じゃあ、お相手……してもらおうかな?」
「うんうん、そうこなくちゃ……って、え? ちょっと!」
 フランベルジュは蝋燭を片手に部屋の戸棚の中を物色し始めた。何かを探しているらしい。しばらくして、探し物を見つけたフランベルジュがソラの傍に戻って来た。
「まさか、本当にあるとは思わなかったけど、あった……。探してみるもんだな」
 フランベルジュの手の中にあったのは、カードゲームをするために使うトランプだった。夕飯の後、フランベルジュはディアスとカードゲームすることが多多あり、夜にすることと言えばカードゲームしか思いつかなかった。
ソラはなにも言えず、ただ唖然とトランプを見つめている。
「ポーカーしか分からないんだけど……」
 そう言いながらカードを切り始めたフランベルジュに、ソラは尋ねた。
「あの……ねえ。娼婦って知ってる?」
「ショウフ? この国で流行っているゲームか? ルールを教えてもらえると助かるのだが……」
「あ、いや、そうじゃなくて……。ま、まあいいわ。やりましょう、ポーカー」
 微妙な雰囲気の中で始めたゲームだったが、二人は思いの外夢中になっていた。正確には覚えていないが、何度か新しい蝋燭に明かりを灯した気がする。
しかし、夜が明ける頃には、二人はベッドの上で眠りこけていた。
 次の日の朝、リオラが朝食を持ってくる音で目が覚めた。ソラは慌てた様子で起き上がった。
「わ、わ! もうこんな時間? いったん戻らなきゃ……。フランベルジュ、また後でね!」
 バタバタとソラが出て行くと、リオラは机に朝食の盆を置き、素早くフランベルジュに駆け寄った。
「ねえ、ねえ、どうだった?」
「どうだったとは?」
「もう、とぼけないでよ! ソラちゃんと、し……したんでしょ? どんな感じだった?」
 フランベルジュは昨夜のことを思い出し、ベッドに腰掛けたまま頭を抱えた。
「……てなかった」
「え?」
「一回も勝てなかった……」
 フランベルジュの返答に、リオラは大きく首を傾げた。自分が知らなかっただけで、あれは男女の間で勝ち負けのある行為なのだろうか。
「どうやって、どうなったの?」
 リオラが聞くと、フランベルジュは頭を抱えたまま嘆くように言った。
「あの時……あの時スペードの五がきていれば……!」
 そこまで聞いて、リオラはようやくテーブルの上に散らばっているトランプに気づいた。どうやらフランベルジュは一晩中ソラとカードゲームをしていたようだ。
 リオラはびっくり仰天し、再びフランベルジュに詰め寄る。
「もしかして、ずっとゲームしてたの? ソラちゃんと? フランベルジュ、ソラちゃんと、な、な、なにもしなかったの?」
 リオラの言動に、今度はフランベルジュが首を傾げた。
「だから、ゲームをしていたんじゃないか。なにもしてないわけではないぞ」
 真顔でそう言うフランベルジュを見て、リオラはほっとしたような、呆れたような複雑な気持ちになったが、なぜだか安堵の笑みを浮かべた。
「フランベルジュ……。僕、フランベルジュを尊敬するよ」
 カードゲームをしていただけで尊敬されたフランベルジュは、急に空腹に耐えられなくなり、リオラの持って来た朝食のパンにかぶりついた。
 その日は、公爵から試合についての連絡は何もなかった。特にすることもないので、部屋でリオラとのんびり談笑をしていた。
「フランベルジュ、本当に僕は何もしなくていいの? 部屋の掃除とか、いろいろ……」
 食事の準備は毎回やってもらっていたが、その他は特別リオラにやらせるようなことはなかった。洗濯も、やろうと思えば自分でできる。いくら自分に与えられた奴隷だからといって、フランベルジュはリオラを酷使するつもりは全くなかった。
「自分でやれば済むことを、わざわざお前にやらせようとは思わないよ。それに、私はお前のことを奴隷扱いしたくない。普通に話して、普通に接したいんだ」
 もともと奴隷なんていない国で育ったフランベルジュには、その概念がよく理解できなかった。城には使用人がいたが、彼らはディアスやフランベルジュの所有物ではない。働けば賃金を払うし、意志も尊重する。
「あの……。これはあんまり聞いちゃいけないことだけど、フランベルジュはこの国の人じゃないよね?」
 なんと答えるべきか迷ったが、フランベルジュは静かに首を縦に振った。
「……そうだ。私はここの人間じゃない」
 正確に言ってしまえば人間ですらないが、そのことは伏せておいた。
「やっぱり。僕、初めてフランベルジュを見た時そう思ったもん。それに、この国の人は奴隷と仲良くなんてしないから」
「そうだろうな。公爵の態度を見ていれば分かる。残念ながら、お前を人間扱いしているようには感じられない」
 率直に言うとリオラは苦笑したが、フランベルジュは気にせず言葉を続ける。
「しかし、私も同じようなものだ。金で買われた……。公爵にとって私は金を稼ぐ道具でしかないだろう。お前たちより多少待遇は良いとしても、行く末は一緒だ。使い物にならなくなった道具は捨てられる。壊れるまで戦うしか……」
「そんなこと、言わないで!」
 リオラがフランベルジュの言葉を遮った。
「フランベルジュは僕らとは違う。上手く言えないけど、分かるんだ。なんとなく……。剣奴には自由になれるチャンスがあるし、今諦めるのは早いよ。ねえ、そうでしょ?」
 まさかリオラにそんなことを言われるとは思ってもみなかったフランベルジュは一瞬言葉を失ったが、少し間を置き、リオラの言うことがもっともだと思った。逃げ出すにしても、コロッセウムで戦い抜くにしても、弱音を吐くのはまだ早い。こんな状況だけれども、自分にはできることがあるのかもしれなかった。
「僕にできることはあまりないけど、フランベルジュのことを応援してるからね」
「ああ……。ありがとう、リオラ」
 見知らぬ土地で孤独を味わわなかっただけ、フランベルジュは幸運だと感じた。これから先、自分自身がどうなるのか見当もつかないが、今を必死に生きるしか選択肢はない。

 その夜もソラはフランベルジュの部屋にやって来た。昨夜の続きと言わんばかりにカードを切っていると、そこにリオラが乱入してきた。
「二人だけでずるい! 僕も入れて!」
「リオラ君、ポーカー分かるの?」
 ソラがちょっと意地悪くリオラに問うと、リオラは顔を真っ赤にして言った。
「わ、分かるよ! フランベルジュが教えてくれるから!」
 ソラがフランベルジュを見ると、フランベルジュはリオラとソラを交互に見ながら、「あ、ああ」と、返事をした。
 リオラとソラはよく知った仲らしく、ゲームの最中ソラはリオラをからかっては、その反応を見て面白がっていた。
「リオラ君よわーい。がっかりだわ」
「ソラちゃんが強すぎるんだよ! ね、フランベルジュ」
 フランベルジュはなにも言わず、二人を見て笑った。今まで友達らしい友達がいなかったフランベルジュは、同じ年頃の二人と一緒にいるのが楽しくて仕方なかったのだ。
「ねえ、フランベルジュ。あなたの次の試合はいつ?」
 ゲームをする手を休め、ソラが問う。
「まだ分からない。その時になったら連絡をすると言われたが」
「ふーん……。やっぱり、あの噂は本当なのかな」
 ソラが意味深な発言をしたので、リオラがすかさずそれに飛びつく。
「噂って?」
「ご主人様が、とびっきり強い剣奴を探してるって話。きっと、フランベルジュと戦わせようとしてるのよ。強い者同士が戦えば、試合は面白くなるしお客も入るわ」
 ソラは複雑な表情をしながら最後に、「お金もね」と、付け足した。
「もし、負けたら……」
「リオラ君!」
 リオラがそう呟くと、ソラは𠮟咤するようにそれを遮った。しかし、フランベルジュはその先が気になって二人に尋ねた。
「負けたら、どうなるんだ?」
 言いだしっぺのリオラが、とても言いにくそうに口を開く。
「負けた剣奴は……殺されるんだ」
 答えを聞き、フランベルジュは黙って目を閉じた。
 負ければ死が待っている。
 恐ろしい答えだ。しかし、この時フランベルジュの中に湧き上がってきたのは死への恐怖ではなかった。
「私は負けないよ……絶対に」
 安堵の表情を浮かべるリオラとソラを目の前に、フランベルジュはまたあの笑い声を聞いた気がした。
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