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ラジエルの書第五十五巻―悪魔たちの王―  3

 それは、いつもと変わらぬ食事風景だった。テーブルには真っ黒に焦げたパンと、一見おいしそうに見えるスープ。何の肉か分からないほどに焼きすぎた肉の塊。
 一つ変わったことと言えば、それを食べていた小さな男の子が十六歳の立派な少年になったことだ。
 大きくなるにつれ、フランベルジュはますます父親そっくりの顔立ちになった。背はフランベルジュのほうが若干低かったが、二人並んでじっくり見なければその差は分からない。城の者たちでも、時たまディアスとフランベルジュを間違えることがあった。しかし、フランベルジュはそれを嫌がるどころか楽しんでいた。呼ばれて振り返った時のみんなの慌てぶりが面白かったのだ。
 しかし、さすがに城の者たちのことを気の毒に思ったフランベルジュは、長かった髪の毛を一思いに切ってしまったのだった。
 フランベルジュが真っ黒に焦げたパンをかじっていると、ディアスがいつものように尋ねてくる。
「フランベルジュ、おいしいか?」
「あのさ、父さん……」
 フランベルジュは皿の上にパンを置き、真面目な顔をして言った。
「父さんさ、いっつもそれ聞くよね。今まで適当に答えてたけど……。正直、僕もう何を食べても味が分からないよ」
 ディアスの反応を待たずして、フランベルジュは続ける。
「このパンも焦げた味しかしないし、スープに至ってはただのお湯だし。肉も、何これ。本当に意味が分からないよ」
 言いながら、フランベルジュはおかしくなってしまって思わず笑った。しかし、それとは反対にディアスはスプーンを持ったまましゅんと俯いてしまった。
「だいたい、父さん、ね。僕が小さい頃から同じ料理を作っているのに何で上手にならないのさ。パン、これ明らかに焼きすぎだから。もう少し早く竈から出せばいいのに。スープだって塩をもっと入れたら……」
 そこまで言って、フランベルジュはようやくディアスの様子がおかしいことに気づいた。片手でスプーンを握ったまま、子供のように口を尖らせている。
「そんなに言うなら、お前が作ってみればいいじゃないか。もう、父さんは知らないからな」
「いいよー、別に。僕のほうが上手くできるもん」
 そう言ったからにはやらないわけにはいかない。次の食事はフランベルジュが作ることになった。
 ディアスが料理をしている姿を見ていたことはあったが、実際に一人で調理場に立つのは初めてだった。
 あらかじめパンやスープの作り方は調べてある。この通りにやれば失敗なんてするはずがない。
 まずは何から始めようかと考え、パンから焼くことにした。パンを焼いている間にスープを作ろう。そうすれば効率がいい。フランベルジュは調べた手順に従って、パンの生地を作り始めた。
 人が作っているのを見ていた時はものすごく簡単そうに見えたのに、いざ自分でやってみるとこれがかなり重労働だった。パンの生地を捏ねるのは楽ではない。それなりに力も必要だし、時間もかかった。いつの間にかフランベルジュの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
 ようやくパンを竈に入れたところで一息つく暇もなく、スープ作りに取りかかる。
 塩加減はこのくらいでいいのだろうかと悩んでいるうちに時間が経ち、気づいた時にはもう手遅れ。竈の中のパンは丸焦げになっていた。
 食事の時間、案の定ディアスはフランベルジュが作ったパンを見て大笑いした。
「これじゃあ父さんのパンと変わらないじゃないか! おまけにスープの味も一緒だ。やっぱり親子だな!」
 自信満々に言うディアスを、フランベルジュは恨めしそうな目で見つめた。親子とか、そんなことは関係ない。
 パンは仕方がないとしても、スープが不味いのはフランベルジュのせいではない。いくら味見をしても味が分からないのだ。
 フランベルジュの味覚はとうの昔にディアスに破壊されていた。

 相変わらず楽しく生活していた二人であったが、その日は突然やってきた。
 父と剣の稽古をしようと、フランベルジュは玉座の間まで駆けて行った時のことである。こちらも相変わらず一度もディアスに勝ったことはなかったが、今日こそはと意気込んでいた。
 ちょうどフランベルジュが玉座の間に入った時、召使いがやって来てディアスにこう言った。
「ディアス様、外部からの来客でございます」
 ディアスは玉座に座ったまま訝しげに答える。
「なに、外部からだと?」
 しばしの間考え、ディアスはその来客に会うことにした。フランベルジュも玉座の横に立ち、その来客を出迎えることとなった。
 フランベルジュは警戒していた。外部からこの国にやって来られる人物はそういない。この国までの道は精巧な魔法で隠されているのだから。警戒しているのはディアスも同じであろう。二人の間に緊張が走る。
 しばらくすると、使用人に案内されて、一人の男が玉座の間に足を踏み入れた。
 フランベルジュは男をまじまじと見つめる。黒竜族ではないことが一目で分かった。
 今まで見たことがない金色の髪を持つその男は、昔本で見た「貴族」と呼ばれる人間のような恰好をしていた。背は高いが体は細く、戦士ではない。だが、美しい顔をしていた。フランベルジュが最近覚えた言葉で表現すれば、そう、優男だ。
 警戒を続けるフランベルジュとは反対に、男の姿を見たとたん、ディアスはいきなり立ち上がった。
「なんと……!」
 足早に男に近づく。そして、あろうことか二人は固く抱擁した。
「まさか、本当にこのような日が訪れようとは……。ヨアンネス! お前に会うのは何十年ぶりか……」
「あなたも元気そうで何よりです。変わっていませんね」
 ヨアンネスと呼ばれた男はにっこりと微笑む。フランベルジュは二人の様子を驚きの表情で見ていた。まさか、外部からの来客がディアスの友人だとは夢にも思わなかった。
 ディアスは振り返り、フランベルジュに手招きをする。
「フランベルジュ、紹介しよう。私の友人のヨアンネスだ。ヨアンネス、私の息子のフランベルジュだ」
 フランベルジュが二人の傍まで行くと、ヨアンネスはにっこり微笑んだまま、右手を差し出して言った。
「はじめまして、フランベルジュ。ディアスの友人のヨアンネスという者です。ヨアンと呼んでください」
 少し躊躇いながらも、フランベルジュはヨアンネスと握手を交わす。その瞬間、フランベルジュは背筋が寒くなった。思わず顔が引きつる。
 何も言えずに固まっていると、ディアスが笑いながらヨアンネスに言った。
「いや、すまない。この子はちょっとばかり恥ずかしがり屋でな。まあ、すぐに慣れるだろう。さて、積もる話もあるだろうから私の部屋へ案内しよう」
 ヨアンネスは頷き、再びフランベルジュに向き直る。
「いずれあなたともゆっくりお話がしたいです」
 そう言ってヨアンネスは柔らかく微笑むのだが、フランベルジュの顔は引きつったまま。それでも何か反応しないと悪いと思い、こくりと頷いた。
「フランベルジュ、剣の稽古はまたにしよう。今日は誰か手の空いている奴に相手をしてもらえ」
「う、うん」
 フランベルジュが返事をすると、ディアスはヨアンネスと共に玉座の間を出て行ってしまった。
 二人が行ってしまった後、フランベルジュはさきほどヨアンネスと握手を交わした右手を見る。感づかれないように隠していたが、自分でも驚くほど震えていた。
 がくがくと震える右手を見て、フランベルジュは恐怖を覚える。温かかったヨアンネスの手。だが、なぜか生きている者の感覚がしなかった。根拠はないが、そんな気がした。
 さらに、フランベルジュはヨアンネスに対して激しい嫌悪感も覚えた。同じディアスの友人でも、じいさんにはそれを感じない。じいさんのほうがヨアンネスよりも明らかに無礼でがさつだったが、嫌悪したことはない。
 なぜだろう。
 フランベルジュが右手を見つめたまま考え込んでいると、あの声が聞こえた。
「アァ、コレハ面白イコトニナッタ!」
 いつもは二、三人の声が聞こえるが、今は一人の声しか聞こえない。声の主はそう言って笑い続けた。
 言い知れぬ恐怖を感じ、フランベルジュは玉座の間を飛び出した。見えない主の笑い声が頭の中に響き渡る。
 まとわりついた恐怖を振り払うように、フランベルジュは黒い剣を力任せに振り回す。
 自分は一体、何と戦っているのだろう。
 体が恐怖に支配されるのが怖くて、剣を振り続けた。息が上がって汗が噴き出しても、フランベルジュは剣を振ることをやめなかった。

 その夜の夕飯の席はヨアンネスも一緒だった。予想はしていたが、いい気分ではない。フランベルジュは黙って席に着き、目の前の料理を見つめる。今夜はディアスではなく、料理人が作った料理が並んでいた。
 フランベルジュが料理に手をつけようとすると、ディアスが唐突に口を開いた。
「フランベルジュ、ヨアンネスにはしばらくこの城にいてもらうことにした」
 衝撃的だった。いや、これも予想はしていた。しかし、しばらくとはどのくらいだろう。フランベルジュの頭はそればかり考えていた。
 フランベルジュの動揺もお構いなく、ディアスは言葉を続ける。
「ヨアンネスは魔法の専門家だ。お前は魔法を学びたがっていたから、これを良い機会に教えてもらえ。私なんかよりずっといい先生だぞ」
 フランベルジュが無言のままヨアンネスを見ると、またあの薄気味悪い微笑を浮かべている。そして、ヨアンネスはわざとらしく首を横に振った。
「いやいや、そんなことはありません。ディアスだって優れた魔法の使い手です。しかし、私でお役に立てるならそうしましょう」
 話を適当に聞き流し、フランベルジュは白くてふわふわのパンにかぶりつく。おいしいか、おいしくないかなんて分からない。そんなのどっちだっていい。白いパンは好きだが、フランベルジュは父の焼いたパンも嫌いではなかった。
 その夜はなかなか眠れなかった。これから毎日あいつと顔を合わせると思うと憂鬱だ。フランベルジュ自身、ヨアンネスの何が気に入らないのか、具体的には分からなかった。しかし、あの雰囲気がどうしても受け入れられない。それに、ヨアンネスがディアスと友人関係だというのも信じられない。二人は対照的だ。できることならヨアンネスにはあまり関わりたくないと思った。
 考えるのをやめようと、頭から布団を被ったが、結局眠れぬまま朝を迎えた。
 朝食の席にはヨアンネスの姿があった。一気に食欲がなくなる。
 早速ディアスはヨアンネスにフランベルジュの勉強を見てもらうように頼んだらしく、図書室にいたフランベルジュに魔法についてあれこれと説明を始めた。
 フランベルジュは適当に相づちを打ちながらそれを聞いていた。話している内容はもう本で読んだものだったから、あまり興味はなかった。
「実際に魔法を使ってみませんか?」
 不意にそう言われ、フランベルジュはぱっと顔を上げて反応する。
「理論ばかりではつまらないでしょう。私が教えるので、魔法を使う練習をしませんか」
「練習……したいけど」
 フランベルジュはもごもごそう言いながら、手元の本に視線を落とす。
「僕、父さんに教えてもらいたい。だから、いい」
 誤魔化そうと思ったのだが言い訳が思い浮かばず、つい本音を漏らす。それを聞いたヨアンネスは残念そうに苦笑した。
「それでは仕方ありませんね。しかし、ディアスは多忙です。待っていてはいつになるか分からないでしょう。まあ、練習したくなったらいつでも言ってくださいね」
「……うん」
 一応返事はしたが、フランベルジュは心中穏やかではなかった。ディアスは多忙だが、フランベルジュの剣の稽古をしてくれる。魔法だって、言えば教えてくれるはずだ。もう自分は魔法の概念を理解できる年齢になったし、今度こそ教えてくれるはずだ。
 ヨアンネスに魔法を教えてもらうのがどうしても嫌だったフランベルジュは、ディアスに教えてもらおうと思い玉座の間へ行く。仕事が忙しくても、ディアスはフランベルジュの話を聞いてくれた。
「僕は父さんに魔法を教えてもらいたい。ねえ、いいでしょ? 剣のついでに魔法も教えてよ」
 フランベルジュが必死で訴えるも、ディアスはほとほと困った様子であった。うーんと唸り、申し訳なさそうにフランベルジュに言う。
「前にも言ったが、おそらくお前の魔力は相当強い。私よりも、ずっと。その強大な魔力を上手く制御する術は、やはり同じく強大な魔力を持っている者にしか分からない。私もそれなりに魔法は使えるが、限界がある。それに比べてヨアンネスは優秀だ。お前と同じくらい強い魔力を持っているし、知識もある。ヨアンネスは王宮お抱えの魔法使いだったんだ。私の自己流を教えるより、ヨアンネスから正しい知識を教えてもらったほうがいい。そのほうがお前のためだ」
「でも、僕は父さんに……」
 フランベルジュの反論を遮り、ディアスは言った。
「お前の気持ちは分かるが、せっかく魔法の専門家がいるんだからヨアンネスに教えてもらえ」
 ディアスはフランベルジュの気持ちをちっとも分かっていない。フランベルジュはむっとしたが、これ以上ディアスを困らせたくなかった。本当はヨアンネスなんかに魔法を習いたくないが、しぶしぶ承諾したふりをする。
「分かったよ、父さん……。でも、剣は今まで通り教えてくれるよね?」
「もちろんだ。近いうちにまた稽古をしよう」
「うん!」
 最後にようやく笑顔を見せたフランベルジュだったが、胸の内は複雑だった。ディアスのことは大好きだが、ディアスの友人のことは好きになれない。でも、ディアスを悲しませたり、困らせたりするようなことはしたくない。
 フランベルジュは考えた。
 ヨアンネスと仲良くするつもりは毛頭ない。今の時点で敵意すら感じている。しかし、それがなぜだかは分からない。理由がないまま人を嫌うことは、フランベルジュの純粋な心が許さなかった。
 初めて会った時に感じた嫌悪感。それには何か理由があるはずだ。その理由を突き止めたい。

 まず、フランベルジュはヨアンネスが何者なのかを探ることにした。ヨアンネスが図書館に行っているのを見計らい、フランベルジュは玉座の間にいるディアスに尋ねた。
「ねえねえ、ヨアンネスはどうしてこの国まで一人で来ることができたの? 魔法に詳しいから?」
「それもあるが、昔私がヨアンネスに会った時に教えたのだ。いつか来てくれと、そう言って」
 それを聞くとすぐに、フランベルジュは質問を続ける。
「ヨアンネスとはいつ、どこで出会ったの? どうして二人は友達なの?」
 そう問われると、ディアスは非常に気まずそうな表情を見せた。何かを隠そうとしている時の顔だ。
「いやあ、まあ、それはいろいろあってだな。もうずいぶんと昔のことだから忘れてしまったが、恥ずかしいからお前にはまだ話したくない」
「えー!」
 フランベルジュが不満そうに言うと、ディアスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ヨアンネスに聞いたらどうだ? うっかり口が滑って教えてくれるかもしれないぞ」
 ディアスが教えてくれないのなら仕方がない。ヨアンネスのことは本人に聞いたほうが早いし、話しているうちに相手がぼろを出すかもしれない。
 ディアスはこれを機にフランベルジュがヨアンネスと仲良くなることを期待しているのかもしれないが、そうはいかない。
 フランベルジュは心を決めて、図書室にいるヨアンネスの元を訪れた。
 図書室に入って来たフランベルジュの姿を見て、ヨアンネスはとても嬉しそうな顔をした。しかし、フランベルジュにはその表情がわざとらしいものに見えていた。
「聞きたいことがあるんだけど……」
 フランベルジュはヨアンネスと机を挟んで向かい合って座り、開口一番そう言った。
「なんでしょう。魔法についてですか?」
 フランベルジュは首を横に振る。
「違う。あなたのことだ。あなたは一体どこから来たのか。なぜ父さんの友達なのか。教えてほしい」
 ディアスと話す時の甘えた口調ではない。相手になめられないよう、フランベルジュは威厳のある態度を取ろうとした。
 ヨアンネスは微笑を浮かべたまま、柔らかい優しい声で話し始めた。
「その様子だと、ディアスは詳しいことを教えてくれなかったようですね。私は西大陸の大国グロムナート王国からやって来ました。私はその国の貴族です」
 その答えをフランベルジュは不審に思った。
「グロムナート王国は知っている。でも、なぜあなたのような身分の高い人が一人でこの国までやって来たのか。普通は護衛や下僕を連れて来るはずだ」
「そうですね。普通、貴族が一人気ままに旅をするなんて考えられません。でも、私はこの国の存在をあまり多くの人に知られたくはなかったのです。だから一人で来ました。私は魔法が使えるので、護衛の力を借りずとも旅はできます」
 なんだか素直に納得できない言い訳だが、フランベルジュは話を先に進めることにする。
「分かった。では、あなたと父さんの関係を教えてくれ。いつ、どこで、どんなふうに出会ったのか……」
「それは……」
 ディアスと同じように、ヨアンネスもそれを聞かれて困惑した。どこまで話していいものかを悩んでいるのか、ヨアンネスはしばし口を閉ざした。
 二人してこの話をするのを渋るとは、一体どんなとんでもない過去があるのか。フランベルジュは興味津々だった。
「十数年前、私はグロムナートでディアスに会いました。その時、私はディアスの命を救ったのです。自分で言うのもなんですが……。それがきっかけで私たちは友人になりました」
「助けたって、どんなふうに? 父さんはなぜグロムナートへ行ったの?」
 ヨアンネスの答えが不服だったのか、フランベルジュは次々に質問を投げかける。これでは二人のことが何も分からないではないか。
 しかし、ヨアンネスのほうもなかなか口を割らない。
「それは私の口からは申し上げられません。ディアスに口止めされているもので……」
 口止め? ディアスはヨアンネスに口止めをしていたのか。さっきはそんなことは一言も言っていなかったが、ディアスならやりかねない。
「じゃあ、もういい。時間を取らせて悪かった」
 これ以上問い詰めても無駄だと判断したフランベルジュは、自分から話を切り上げてさっさと図書室を出ようとした。しかし、ヨアンネスに呼び止められる。
「待ってください。一つだけ……。私とディアスが一緒にいた時間は非常に短かった。しかし、限られた時間の中で私たちは最高の友情を築いたと思っています。それだけはご理解ください。私は今こうしてディアスに再び会えたことを大変嬉しく思いますし、息子のあなたに会えたことも同じくらい嬉しく思っています。フランベルジュ。あなたは若い頃のディアスに本当によく似ている。あの頃を、思い出します。私はいずれ過去をお話できる日がくることを願っていますよ」
 いずれではなく、今話して欲しい。フランベルジュのその思いは変わらない。ディアスとどのような関係があったのかが分からない限り、フランベルジュはヨアンネスをディアスの友人だとは認めない。
 それを伝えるとヨアンネスは悲しそうな顔をしたが、フランベルジュは何とも思わなかった。
 ヨアンネスが来てから一ヶ月以上経ったが、フランベルジュは一度も彼に魔法を習うことはなかった。
 ディアスとヨアンネスは夜ごと自室で昔話に花を咲かせているようだったが、フランベルジュには何も教えてくれない。
 じいさんがいた時と同じだ。ディアスはフランベルジュに重要なことは何も教えてくれない。
「僕はいつまで子供扱いされるんだろう……。僕はそんなに子供っぽいのか……」
 フランベルジュはもう十六歳だ。いつまでも小さな子供ではない。
 ディアスに、一人前の大人として認めてもらいたい。以前からそう願うことがあったが、ヨアンネスが来てからその思いはいっそう強くなった。

 その日、フランベルジュはディアスと剣の稽古をする約束をしていた。中庭で待っていると、腰に剣を携えたディアスがやって来た。二人で稽古をするのはヨアンネスが来て以来初めてだ。
「さあ、始めるぞ」
 ディアスは剣を抜き、にやりと笑ってそう言った。すぐにフランベルジュも腰の剣を抜く。美しい黒い刃がぎらりと光る。
「今日は絶対本気を出してもらうからね、父さん!」
 先制攻撃を仕掛けたのはフランベルジュだった。無駄のない動きで何度もディアスと刃を交える。
「力任せに攻めても無駄だと分かってきたな。よし、いいぞ」
 今までの稽古の中で何度も言われた。フランベルジュには特別強い腕力はないから、力で攻めるよりは相手の動きを読んで隙を突くほうがよい。
 フランベルジュ本人がそのことを一番よく分かっているはずだ。しかし、いくら冷静にディアスの動きを読んでも一向に隙を見せることはない。それどころか、少しでも気を緩めるとフランベルジュのほうが隙を突かれそうだ。
 そうなると、だんだんと焦りが生じてくる。早くディアスを負かさなければ、自分がやられる!
 フランベルジュの心を読んだかのように、ディアスが挑発する。
「どうした。これではいつまで経っても決着がつかないぞ!」
 その言葉に反応し、剣を繰り出す腕に力がこもる。そんなことをしても勝てないと分かっているのに、力で押せばなんとかなるのではないかという考えも捨てられない。
 毎日訓練を欠かしたことはない。前より力がついているかもしれない。
 何より、ディアスに勝ちたい。
 その一心で力のこもった一撃を繰り出すも、動きは完全にディアスに読まれていた。目の前からディアスの姿が消えた。そう思った瞬間、フランベルジュは勢いよく転倒した。
 ディアスに足払いをかけられたのだ。
「惜しい……惜しいな。感情的にならなければ勝てるのだが」
 屈辱的な負け方だった。喉元に剣を突きつけられるよりもずっと悔しい。
 ただでさえ悔しくて仕方がないのに、ディアスの言葉が追い打ちをかける。
「まだまだ子供だな」
 フランベルジュは何も言えないまま、拳を握りしめた。言い返す言葉もない。
「戦いでは感情的になったほうが負けだ。特に、自分より強い奴と戦う時は絶対にそうだ。力任せでなんとかなるのなら、剣術なんていらないだろう。もう一度よく考えることだ。ただ、筋はいい。お前は絶対に強くなれる」
「……はい」
 最後に褒めてはくれたものの素直に喜べるはずもなく、フランベルジュは落胆したまま中庭に残った。
 どうしてすぐ感情的になってしまうのだろう。冷静になりたいのに、できない。ディアスのように、どんな時でも冷静な判断が下せるようになりたい。一体自分には何が足りないというのだろう。
 やはり、自分がまだ子供だから感情に振り回されてしまうのだろうか。あまりそれは考えたくない。
 考えながらため息をついていると、いつの間にか傍にヨアンネスがいた。フランベルジュはそれに気がつき、ぎょっとする。
 ヨアンネスはフランベルジュが大嫌いな笑みを浮かべてこう言った。
「さっきの稽古、見ていました。負けたのは残念ですが、フランベルジュはなかなか強いですね」
「お世辞はいい。あんな負け方をしているうちは、強くない」
 見られていたことが恥ずかしく、フランベルジュはそう言いながらそっぽを向いた。本当は放っておいてほしいのに、ヨアンネスはその場を去ろうとはしなかった。
「ディアスに自分の力を認めてもらいたいのですよね?」
 自分の気持ちを的確に言い当てられ、フランベルジュは驚いてヨアンネスを見た。さっきまでの笑みはなく、真剣な表情をしている。
「どうしたら、父さんは僕のことを認めてくれるのかな……」
「手っ取り早い方法があります」
「なに?」
 ヨアンネスから助言をもらうつもりは全くなかったのに、方法があると聞いてつい反応してしまう。
 ヨアンネスは言った。
「何か功績を上げることです。そうすれば、ディアスもあなたの力を認めてくれることでしょう」
「功績……。でも、この国は戦争なんかしないし、僕の強さを証明する場所なんてない。父さんに勝つしか……」
 不安げにそう言うフランベルジュだが、ヨアンネスは「大丈夫」と、話を続ける。
「噂では、この街の近くの湖に怪物が出ることがあるそうです。よく湖に行く者たちが怯えていると聞きます。その怪物を倒して民の安全を確保すれば、ディアスもあなたを見直してくれるのではないでしょうか」
 どうしてもディアスに認められたいフランベルジュにとって、この話はとても魅力的だった。
 フランベルジュ一人で怪物を倒せば、ディアスとてその強さを認めないわけにはいかないだろう。
「湖……だね。僕、行ってみる。父さんには内緒にして。言えば絶対止められるから」
 フランベルジュのこの願いを、ヨアンネスは二つ返事で承諾した。
「フランベルジュ、私はあなたの力を信じています。しかし、気をつけてください。危なくなったら身を引くことです」
「大丈夫! 僕、絶対怪物を倒してくるよ」
 フランベルジュは剣だけを持って、湖へ向かうべく城を出た。
 フランベルジュの頭の中は怪物のことでいっぱいで、その時ヨアンネスがどんな顔をしていたのか、よく見ていなかった。
 湖へ向かうフランベルジュを見送るヨアンネスは、不敵な笑みを浮かべていたのに。

 街から一番近い湖と言えば、昔じいさんと釣りをしたあの場所だった。じいさんはそこで大きな熊を退治した。それ以降もフランベルジュは何度もこの湖に足を運んだが、怪物どころか熊にさえ遭ったことはなかった。
 本当に怪物はいるのだろうか。
 どんな姿をしているのかも聞かずに飛び出して来たことを少し後悔しつつ、フランベルジュは水面が見える場所までやって来て立ち止まった。
 今日はやけに霧が濃い。数えきれないほどこの湖に来たことがあるが、こんなことは初めてだ。
 一歩後ずさり、辺りを見回す。すでに十歩先も見えないほど、霧が立ち込めていた。
 その時、風もないのに水面が揺れた。何が起こったのか確認する間もないまま、それは勢いよく水面から姿を現した。
「まさか、これが怪物?」
 フランベルジュは剣の柄に手をかける。その瞬間、それの長い首がフランベルジュ目がけて襲いかかってきた。
 まさに間一髪で攻撃をかわすと、フランベルジュは剣を抜き、それと向かい合う。
 フランベルジュの目の前に現れたのは、鹿の角を持った大蛇だった。このような生き物は今まで一度たりとも見たことがない。
「どうしてこんな生き物がここに……」
 このような巨大な生物が急にここに棲みついたとは考えにくい。昔からいたのか。それが今になって人々の前に姿を現すようになったのか。
 だが、余計なことを考えている暇はなかった。フランベルジュは大蛇の鋭い牙と角をかわしつつ、攻撃の機会を見計らう。視界は霧で遮られてよく周りが見えない。迂闊に大蛇に近づくと、湖に落ちてしまう。
 しかも相手は水の中から首だけを出して攻撃を仕掛けてくるので、頭以外の場所を攻撃することができない。
「あっ!」
 そうこうしているうちに、フランベルジュは大蛇の攻撃を避け損ねた。大蛇の角がフランベルジュの脚を裂き、衝撃で腰の鞘が吹っ飛んだ。
 かろうじて剣は手放さなかったものの、フランベルジュは脚の激痛で思うように動けない。立ち上がれないまま、大蛇を見上げる。
 次はあの牙で噛み千切られる。
 死の恐怖を感じたその時、黒い剣の魔法石が黒い光を発しているのが目に入った。
「も……もしかしたら」
 フランベルジュは全神経を集中させ、大蛇に向かって思い切り剣を振った。
 黒い光は剣の刃を伝い、黒い閃光となって大蛇に命中した。
 まるで黒い雷に打たれたように、大蛇はそのまま湖の底へと沈んでいった。
 湖の波がなくなるまで、フランベルジュの思考は一切停止していた。脚を怪我しているので動くこともできず、ただ茫然と大蛇のいた所を見つめている。
 そうしている間に霧は晴れ、いつもの湖の風景へと戻っていた。
「おい、おい、今の見たか」
「ああ、見た! こりゃすごい」
 どこからか、男たちの声がする。フランベルジュが声のする場所をきょろきょろ探していると、湖の傍の森から二人の若い男が姿を現した。
 相手が動物ではなく人間だったので、フランベルジュは妙に安心し、胸を撫で下ろす。
 この人たちに頼んで街の近くまで送ってもらおうか。
 二人が黒竜族でないことに疑問を持つ余裕すらなく、フランベルジュはそう考えていた。
 しかし、男たちはフランベルジュを助けるつもりなどなかった。
「こいつは剣奴としてかなりの大金で売れる!」
「いや、でも、俺たちの仕事はこいつが死ぬのを見届けて、その証拠を持って帰ることだろう?」
「そんなの、この鞘を持って行けばいい。他は全部化け物と一緒に湖に沈んだことにすればいいさ」
 男の一人の手には、さっき大蛇に弾き飛ばされた剣の鞘が握られていた。
「そうか……。それなら依頼主も納得するか」
 そこまで言って、男たちはようやくフランベルジュに視線を向けた。身の危険を感じたフランベルジュは剣を構えようとするも、フランベルジュは慣れない魔法を使ったせいで疲れ切っていた。そして、男の一人に剣を奪われてしまう。
「脚を怪我して動けないのか。まあ、こっちとしてはそのほうが連れて行きやすくて助かるな」
 フランベルジュは抵抗もできないまま男の一人に担がれ、森の中にあった馬車に放り込まれた。
「怪我は後で見てやるから、そのまま大人しくしてな」
 あまりに急な出来事で、フランベルジュは一言も声を発することができなかった。
「じゃあ、俺はこの証拠を届けに行く。お前はガキを連れて先に戻っていろ」
「分かったよ」
 しばらく経つと、馬車は走り出した。小さな馬車は決して乗り心地が良いとは言えず、揺れるたびに脚の傷がじんじんと痛んだ。
 不安と痛みで体が震える。
 フランベルジュはそっと、左耳の耳飾りに触れた。

 父さん……。
 
 馬車は無慈悲にも、フランベルジュの故郷から遠く遠く離れて行くのであった。
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