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ラジエルの書第四十九巻―神と天使と人形―  5

 走りながら、エリオットは男から手渡された紙をもう一度見た。そこには、人形の姿のリーザが描かれていた。
 家に戻り、窓辺に置いてあった人形を抱き上げる。
「変な人たちが君のことを探してるんだ。ど、どうすれば……」
 じいさんがあの男たちを足止めしているが、いつまでもつかは分からない。しかし、逃げるにしても逃げ場がなかった。
 為す術もなくその場で固まっていると、不意に扉が開く音が聞こえた。
「やっと……やっと見つけた!」
 刹那、エリオットは窓を破るように開き外へ飛び出した。後ろも振り返らず、無我夢中で走る。
「僕、絶対君を守るからね」
 エリットの腕の中で、リーザは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「だけど、さっきの声……あの男たちじゃない」
 エリオットは息を切らせながら祭壇にもたれかかる。逃げるとしたらこの神殿しか思いつかなかった。しかし、視界の開けたこの場所は、隠れ場所には適していなかった。
「逃げるなんてひどいじゃないか、坊や」
 エリオットはぎょっとして後ろを振り返った。そこには、金髪の男が一人立っていた。この男に、見覚えがあった。
「あなたは……」
「俺は、坊やが抱いているその人形の父親だ」
 男は一歩、エリオットに近づいた。そこには、リーザと同じ青い目があった。
「坊やがあの画家の弟子だったんだな。あの絵を描いたのは、坊やだったんだな。俺を覚えているね?」
「ええ、覚えています。あなたが……シャセリオさんを……」
 エリオットは臆すことなく男の目を見据えた。しかしそれとは反対に、男はエリオットから目を逸らした。正確に言えば、男は人形から目を逸らしたのだ。
「すまない……。本当は傷つけるつもりじゃなかったんだ。その人形のことを知っているか聞きたかっただけなんだ。信じてくれ」
 男は許しを請うようにエリオットに目を向けた。
「それなら尚更どうしてシャセリオさんを襲ったんですか!」
「あの絵だ! 店に飾ってあった絵……。普通の人間だった頃の娘をそのまま生き写しにしたような見事な絵だった。俺はそれを見て、人形の次は絵画にされたのかと……」
「何を……言ってるんです?」
 シャセリオが襲われたのは、自分の絵のせいなのか? それよりも、この男は一体何を言っているのか。人形の次は絵画? エリオットは混乱し、言葉を失った。とにかく思いついたことから尋ねようと、口を開く。
「あなたは人形の父親だって……それは、どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。その人形はもともと、君と同じ人間だった」
「まさか……」
「信じられないかもしれないけど、本当の事なんだ」
「嘘だ! だって……だって、不可能です……。人間を、人形にするなんて」
 困惑するエリオットを、男は悲しみを宿した瞳で見つめた。
「正確には、人間が人形に姿を変えた訳ではない。魂だけが、その中で生きているんだよ」
「そんなのもっと信じられません! もし本当だったとしても、どうしてこんな酷いことをするんですか」
「君は……魔法を勉強したことがあるかい?」
 エリオットは首を横に振った。
「魔法を使うには、魔法石という魔力を結晶化した鉱石が必要だ。その石が、俺たちの身体に宿る魔力を実体化するのを手伝ってくれるのだ。魔法使いが使う杖や、魔法騎士が持っている剣に埋め込まれているのを見たことがあるだろう。俺はメディア王国という所で、その魔法石の新たな力を引き出す研究をしていた。その力こそ、今回の事件の元凶。人間の魂を別の物体に移す力だ。しかし、研究はそう上手くいかなかった。諦めかけていた時、一人の男が俺たちの研究に手を貸してくれた。そのお陰で研究はスムーズに進んだ。だが、何度かの実験に成功した後、女王陛下からある命令が下った。
この魔法が人間と魔物の融合にも使えるか、試してみろとな」
 男の表情が険しくなる。エリオットは人形を抱く腕に力を入れた。
「俺は反対した! そんなことの為にこの魔法を作った訳じゃない。だが、女王陛下の命令に逆らえるはずがなかった。そして、適正検査の結果俺の娘が実験体に選ばれた。最後の悪あがきだと、俺は自分で作ったその人形に娘の魂を入れて逃げ出したのさ」
 男は自嘲的に笑うと、今度はエリオットではなく人形に話しかけた。
「アリーシャ……聞こえるか?お父さんだよ……。ごめんな……せっかく国を逃げ出したのに、途中で盗賊共にお前を奪われて……。でも、よかったね。最後にお前を助けてくれたのがその坊やで」
 言いながら、男は涙を流した。
「リーザ……君の本当の名前は、アリーシャって言うんだね」
 エリオットはリーザの顔を見ることができなかった。今、リーザはどんな表情をしているだろう。
「もう、いい……。これ以上苦しむ必要はない」
 男は一歩一歩、エリオットに近づいて来た。だが、エリオットは男が近づいて来るのと同じだけ、後ろに後ずさった。踵が祭壇にぶつかり、それ以上後ろへ行けなくなった。
「さあ、その子を俺に……」
 男が人形に手を伸ばす。しかしエリオットは男に人形を渡そうとはしなかった。
「頼む坊や。俺にその子を返してくれ。たった一人の愛娘なんだ」
「あなたは……この人形をどうするつもりですか? リーザ……アリーシャはもとの姿に戻れるんですか?」
「それは……」
 男は眉を曇らせた。
「アリーシャにはもう、戻るべき肉体がない。本当の肉体はあの時……実験に使われた時に、魔物に喰われてしまったに違いない」
「それじゃあ……もう、もとの姿には戻れないんですか」
「ああ。代わりの身体があれば別だが、それも無理だ。この子の魂を受け入れるには、生きている身体でも、死んでいる身体でも駄目だ。同じように、魂だけを抜かれた身体でないと……。そんなもの、この国はおろか世界中を探してもあるはずがない。魂を抜く、という行為自体、人間に許されたものではなかったのだ」
 男は再びエリオットから人形を奪おうとした。
「だから……だから! 死なせてやるのが、俺にできる最後の償いなんだ」
「やめてください! それでどうなるって言うんですか。リーザもあなたも傷つくだけじゃないですか!」
 エリオットは人形を奪われまいと、必死になって抵抗した。
「ではお前は……この哀れな人形を人間に戻すことができるのか? 口でならば何とでも言えよう。だが、もう手遅れなのだ。アリーシャはもう、人間には戻れない」
「やっ……」
 男がエリオットの首を掴んだ。
「さあ、人形を渡せ。さもないと、お前をこのまま絞め殺すぞ」
 それでもエリオットは人形を離さなかった。男は逆上し、エリオットの首を締め上げようと、その手に力を込めた。
「くっ……リ……ザ……」
「動くな!」
 頭上から声がした。男はすぐさまエリオットを離し、声の主を探した。エリオットは人形を片手で抱いたまま、激しく咳き込んだ。
「私の神殿で騒ぎを起こすとはいい度胸だ」
 声の主はアポロンだった。祭壇の上から、男に向かって弓を構えている。その表情は険しく、怒りに満ちていた。
「その上お前は、私が我が子同然に大切にしてきた者を殺そうとした。この罪は重いぞ」
 男は何も言わず、ただ黙ってアポロンを見上げていた。何もかも諦めた顔だった。
「エリオット、怪我はないかい? 悪かったね、ちょっと来るのが遅かったみたいだ」
 アポロンは標的から目をそらさず、口調を変えてエリオットにそう言った。いつもの優しいアポロンの声色だった。
「僕は大丈夫です。あの、アポロン様……」
「アポロンよ!」
 エリオットの言葉を遮り、男が叫んだ。
「あなたの言う通り、俺は罪人だ。あなたの手にかかって死ぬのが幸せなほど、罪深い男だ。だけど、一つだけ俺の願いを聞いてはもらえないか」
「私は罪人の願いを聞くほど寛容ではないぞ」
「アポロン様お願い! その人の話を聞いてあげてください」
 エリオットが叫ぶ。放っておくと、今すぐにでもアポロンは男を射抜いてしまいそうだった。
「……仕方がない。エリオットに免じて聞いてやろう。お前の願いとは何だ」
 男はアポロンの前に跪き、エリオットが抱きしめている人形を指差して言った。
「俺を殺す前に、あの人形を壊してください」
「な、何を……!」
 驚いたのはエリオットだった。人形を人間の姿に戻すことを願ってくれると思っていたのに、男はそれを願わなかった。
「なるほど。それがお前の願いか」
「待ってください! これは……この人形はっ」
 アポロンはエリオットの腕から人形を取り上げ、男に渡した。
「アポロン様!」
 エリオットが叫ぶのも聞かず、アポロンは男と人形に弓を向ける。
「やめて! 人形を……リーザを傷つけないで!」
「坊や……」
 男は、泣き叫ぶエリオットと腕の中の人形を交互に見た。そして、小さな声で呟いた。
「リーザ、か。いい名前をもらったじゃないか。お前が人間だったら、きっとあの子と恋に落ちていただろうね……」
 男は天を仰いだ。
「あの坊やならお前を幸せにできたろうに……。お父さんはいつもお前の幸せを願っていた。だけど、お父さんはお前の幸せを奪うことしかできなかった」
 せっかく涙が出ないように上を向いたのに、それはなんの意味もなさなかった。
「アポロン様、お願いです。やめてください……アポロン様!」
 エリオットはアポロンに縋りつき、必死に懇願した。しかし、アポロンは弓を構えたまま動かなかった。
 その場にいた誰もが、自分の意志を譲らなかった。
「こんな俺たちのために涙を流してくれてありがとう、坊や。でも、もう……いいんだよ」
「よくありません! これじゃあ何の解決にもなりません!どうして上手くいかないんですか……どうして誰かが死ななきゃいけないんですか! 僕……僕は……」
 男は人形の頬に優しく接吻をした。その時人形の頬が濡れていたのは、自分の涙のせいだと思った。
「エリオット……君の気持ちはよく分かるよ。でも、私は知っている。この人形が何なのか、どうしてこんなことになってしまったのか。そして、これが神の領域を侵した重罪だということも」
 アポロンの神目は、この男と人形の全てを見透かしていた。きっと、さっき男が話した事以上を知っている。
「もとの肉体が残っていれば、私も助ける道を選んだ。しかし、もうそれすら叶わないなら……ここで楽にしてあげる方がいい」
「分からない……僕には分からない! 死ぬしか方法がないなんて……」
「神である私がこの罪人にしてあげられることは、せめて苦しまないように一瞬で死なせてあげることだけなんだ」
「そんな……」
「さあ、お別れだ」
 アポロンは、男と人形目がけ弓を放った。
4←→最終話

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