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ラジエルの書第四十九巻―神と天使と人形―  4

「どうして……」
 シャセリオがこんな目に遭わなければいけなかったのか。セラはそればかり考えていた。
 ここへ来た時は気が動転していてそれどころではなかったが、冷静になって考えてみると不可解な点が多すぎる。泥棒の仕業だったとしても辻褄が合わない。店から金目の物が奪われた形跡はないし、なによりこんな貧乏で小さな店が狙われる訳がない。
「お兄様、いい加減目を覚まして……。何があったか話してよ」
 月明かりがシャセリオの青白い頬を照らす。こんなに弱々しい兄の姿を、セラは見たことがなかった。
「ねえ、お兄様」
 シャセリオの手を握り目を閉じると、昔の思い出が走馬灯のように浮かんできた。決していいことばかりではなかったが、それはいつもセラの心を温めてくれた。
「どうせ聞いてないと思うから、言うわね。私、お兄様のことを嫌ってなんかないわ。貧乏暮らしは大嫌いだったけど」
 音もなく窓が開き、温かい風が部屋の中に入ってきた。セラは気づかず言葉を続ける。
「でも、私が悪いのよね。いつもお金のことばかり優先して、お金持ちじゃないお兄様のことを否定するような態度をとってしまったから。お互い、避けるようになっちゃった。ごめんね……ごめんねお兄様」
 セラはシャセリオの胸に顔をうずめて泣いた。
 あの頃、お金さえあれば幸せになれると思っていた。自分が働くことで家族の生活が楽になればと、そう考えていたはずなのに。いつからかセラはお金のことしか考えなくなってしまった。そして、全くお金に執着のない兄を見ては苛立ち、非難した。
「お金がないのにどうしてお兄様がそんなに幸せそうなのか、あの頃は理解できなかった。でも今なら分かるわ。お金では買えないものがある。それがどんなに大切かっていうことも」
 お金や権力がなくても、シャセリオはいつも幸せそうだった。それを強く感じるようになったのは、シャセリオが幼いエリオットを引き取ってからだった。
 周りが何と言おうと、シャセリオはエリオットを大切に育ててきた。時々セラのもとへやって来ては、才能豊かなエリオットの自慢ばかりしていたものだ。
「でも私、そっけない返事しかできなくて……」
 シャセリオが自分を訪ねて来てくれるのも嬉しかったし、日に日に成長するエリオットの話を聞くのも楽しかった。セラだって、エリオットのことが好きだった。弟のように可愛がってやりたかった。でも……。
「どうしても素直になれなかった。こんなに……こんなにお兄様のことが大好きなのにっ」
 ふと、何か温かいものがセラの頭を撫でた。びく、とセラの肩が震える。
「ごめんセラ。全部聞いちゃった」
 声の主は力なく笑っていた。
「お、お兄様……」
 安堵や喜びといった感情が沸く前に、セラはぎゅっとシャセリオに抱きついた。
「……かった……生きててよかった!」
「心配かけたね。ごめん」
 シャセリオは人差し指でセラの頬を流れる涙を拭った。
「もう、大丈夫だよ」
 何度拭ってもセラの涙は止まることなく、シャセリオの指を濡らした。
「おいおい、そんなに泣いてちゃ私まで悲しくなってしまうよ。ほら、顔を上げて」
 セラは自分で涙を拭い、シャセリオを見た。変わらぬシャセリオの笑みにようやく安心し、セラは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ああ、やっと笑ってくれた」
 シャセリオが愛おしそうに言う。
「いいよ、何も言わなくて。君の気持ちは全部聞いたから」
「……あら。もう一回言わなくていいの?」
「じゃあ、もう一回言って」
 そう言って、シャセリオは子供みたいに無邪気に笑った。セラも同じように声を上げて笑う。まるで幼い頃のようだと思った。
「お兄様」
 セラはシャセリオの手を取った。昔、シャセリオに何かねだる時、セラはこうして両手を掴んで離さなかったものだ。
「すっごく心配したんだから……。本当に、生きててよかった」
 セラは少し顔を赤くした。
「大好き……!」


 エリオットは美しい草原の真ん中に立っていた。見たことのある光景。ここはあの絵の中だ。
「エリオット」
 呼ばれて振り返ると、そこには派手なドレスを着た少女が恥ずかしそうに立っていた。見間違えるはずはない。リーザだった。
「リーザ……君なのかい?」
「そうよ。ずっとあなたと話したかった」
 リーザは笑った。人間らしい、柔らかい笑顔だった。
「あ……」
 エリオットは何か言おうとしたのだが、言葉が喉で詰まってなかなか出てこない。頬が赤くなるのを感じ、ひどく緊張した。
「そ、そのドレス……気に入ってくれた?」
「ドレス?」
 リーザはドレスの裾をつまんでくるっと回った。
「少し派手だけど、私は好きよ。セラさんが一生懸命作ってくれたんですもの」
 意外な人の名前が出てきたので、エリオットは少し驚いた。
「セラさんて、とても丁寧な仕事をする方なのよ。納得いくものができるまで、絶対に妥協しないの」
「うんうん、そんな感じがするよ」
 エリオットは真顔で何度も頷いた。
 リーザは裾を飾っているレースを指差して言う。
「このレースのデザインを決める時だって大変だったのよ。今まで作ってきたものじゃ駄目だって、このドレスのために新しいデザインを考えたの」
 エリオットが想像していたよりもずっと、リーザは元気いっぱいの女の子だった。人形の時のような悲しそうな瞳は少しも見せることはなかった。
「私ね、あなたの正直で純粋なところがとても好きよ」
「えっ、ぼ、僕が……好き?」
 突然の告白に、エリオットは目を回して倒れそうになった。シャセリオ以外の人に好きだなんて言われたのは、生まれて初めてだったのだ。
「最後に私を持っていたのがあなたでよかった。あなたになら、お願いできるわ」
 不意に、リーザの表情が人形に戻った。
「私を壊してちょうだい。あなたを傷つけてしまう前にどうか……」
「きゅ、急に何を言い出すんだ。どうして僕が君を壊さなくちゃいけないんだい」
 リーザはもう笑わなかった。人形の顔のまま、声だけは悲しそうに言った。
「面倒なことに巻き込んでしまって、申し訳ないと思ってる。でも、もうあなたしかいないから……」
「リーザ、待ってリーザ!」

 リーザのもとへ駆け寄ろうとした時、急に体全体が何かに打ち付けられ、エリオットは悲鳴を上げた。
「痛っ!」
 よろよろと体を起こすと、そこは自分の家だった。美しい草原も話すリーザも存在しない。あれは夢だったのだ。
「ベッドから落ちるなんて……」
 エリオットは苦笑した。
「夢、だよね」
 窓際の人形に話しかけてみても、表情を変えることはなかった。今までリーザが微笑んだり、困ったりしたような表情を見せたのは、目の錯覚だったのかもしれない。
 崩れるように傍にあった椅子に腰掛けた。
「どうしてかな。君が普通の女の子に見えるんだ。だからあんな夢を見てしまったんだね」
 夢でそうだったように、リーザが返事をしてくれるのではないかと期待した。しかし、リーザは何も答えなかった。
エリオットは急に恥ずかしくなり照れ笑いをした。
「なっ、何言ってんだろう僕。夢で君が話せたからって、返事をする訳じゃないのに」
 そして馬鹿な考えを振り払うように立ち上がり、脱ぎっぱなしにしてあったコートを手に取った。
「シャセリオさんの所に行ってくるよ」
 人形の方を見ずに、エリオットは言った。扉を開けかけて、動きが止まる。
「君が……人間だったらなあ」
 切実な願い。夢で人間の姿をしたリーザに会ってから、その想いは前にも増して強くなっていた。
 そのまま振り向かないで家を出る。人形が涙を一筋流したのを、エリオットが気づくことはなかった。

「シャセリオさん、目を覚ましたかな」
 いつもの道を通って街へ入ろうとすると、見知らぬ男が二人、エリオットに近づいてきた。
 二人とも肌の色が白く、まだ雪も降らないのにブーツを履いていた。旅人ならきっと、北の国からやって来たのだろうと思った。
「ちょっと聞きたいのだが……」
「はい。何でしょう」
 旅人らしきその男は懐から紙を一枚取り出して、エリオットに渡した。てっきり道を尋ねられると思っていたエリオットは、戸惑いながらもそれを受け取る。
 もう片方の男が問うた。
「それをどこかで見なかったか。探してるんだ」
 紙に描かれたものを見て、エリオットは心臓が止まりそうになった。
「し、知りません……何も……」
 できるだけ平静を保とうと努力したが、声が震える。
 怪しいと思ったのか、男はさらにエリオットに質問を投げかけた。
「では、エリオットという名の画家を知っているか?」
 エリオットの顔がさっと青ざめた。この二人が何者なのかは分からない。しかし、絶対に自分の正体を明かしてはいけないような気がした。
「分かりません……」
「ふむ……そうか。ならばシャセリオという名を知っているか?」
「そ、それを聞いてどうするんですか!」
 エリオットが狼狽する様子を見て、男達はにやりと笑った。
「やはりお前だったな」
「さあ、一緒に来てもらおうか」
 一人がエリオットの腕を強く掴んだ。怖くなり、エリオットはすぐさまそれを振り解く。
「一体あなたたちは誰ですか」
 言いながら、エリオットは一歩、二歩と後ずさる。
「余計なことは穿鑿しない方がいい。我々は探し物が見つかればそれでいいのだ」
 このまま走って逃げることも考えたが、男の背にある矢筒と弓を見て諦めざるを得なかった。しかし、このまま男達の言いなりになるのも絶対に嫌だった。
 男達が一歩エリオットに近づいたその時、背後から笑い声が聞こえた。
「じいさん!」
 声の主を見つけると、エリオットは安堵してほっと胸を撫で下ろした。
「よお、エリオット。お前、意外と勇気あるじゃねえか。見直したぜ」
 じいさんは不思議な形の剣を持っていた。そこらの兵士が持っている剣とは違って、刃が黒かった。
 問題があるとすれば、持ち主が弱そうに見えることくらいだった。
「よし、オレが来たからもう大丈夫だ。さっさと逃げな」
「うん、分かった!」
 男達がじいさんに気をとられている間に、エリオットは脱兎のごとく走り出した。
「えっ? お、おい、マジで逃げんのかよこいつ。オレのことは心配してくれねえのかよ!」
「気をつけてね、じいさーん」
 遠くの方からどうでもよさそうな返事が聞こえてきた。じいさんは舌打ちをしながらも、どこか嬉しそうだった。
「さて……」
 じいさんの顔つきが変わる。
「お前達は誰だ。オレも人を探していたんだがな、お前らみたいなのはリストになかったぞ」
「それは我々も同じだ。お前のようなじじいに用はない。おい、逃げた奴を追え」
「ああ」
 弓を持った男が動こうとしたその瞬間、何かが足に絡みつき、男の動きを封じた。呪いの人形だ。
「なっ」
「おっと、逃げようったってそうはいかねえぞ。お前を行かせちゃオレが来た意味がねえ」
 人形は男の足にがっしり掴まって離さない。振り解こうとしても、その力が緩むことはなかった。
「くそっ」
 男は忌々しそうに足を踏み鳴らした。足に絡みつくだけでなく、人形にはかなりの重さもあった。
「ちっ……それならお前から殺してやる!」
 男はじいさんに向けて矢を番えた。もう一人の男も剣を抜く。
「やれるもんならやってみな」
 鋭い音を立て、矢がじいさん目がけて飛んでくる。だが、じいさんは慌てることなく、軽々とその矢を剣で叩き落した。そして、剣を持った男ではなく、次の矢を番えた男目がけて駆けて行く。
 自分が狙われるとは夢にも思っていなかった男は、じいさんの剣を弓で受け止めようとした。
「ふざけたじじいめ!」
 剣を持った男が振り向き、じいさんの背後に剣を振り下ろした。
 ばき、と弓の折れる音と同時に、ぐしゃりと何かがへし折れる音がした。
「ひっ……」
 弓を折られた男は声にならない悲鳴を上げた。背後に、首を折られて即死した仲間を見たのだ。
 その首を掴んでいたのは、男の足に絡みついていたものと同じ人形。じいさんの背嚢から姿を現したそれは、腕が異様に長かった。
「オレの背後を狙っても無駄だぜ。こいつがいるからな」
 じいさんは黒い剣を男の喉元に突きつけた。
「お前に拒否する権利はねえぞ。さあ、自分が何者かを言え。何しにここへ来たかもだ」
「わ、私たちは……」
 男は肩で息をしながら話し始める。
「ここより遥か北の国、メディア王国から来た。ある男と、人形を探すためだ」
「人形?」
「そうだ。少女の姿をした人形だ。だが、あれはただの人形ではない。我々の大切な実験体だ」
 実験体、と聞いてじいさんの表情が変わる。
「まさか……人間の魂を別の物体に移す魔法を使ったのか?なぜ……」
「全ては女王陛下の命令だ。あの少女は魔物と人間の融合実験に使われるはずだった。だが、少女の父親がそれを邪魔した。あの人形に娘の魂を入れて逃げたのだ。だから我々は父親を追っていたが、どういう訳か人形がエリオットという男の手に渡ったと言うから……」
 じいさんはため息をついた。この男は何も知らない。
「じゃあシャセリオって画家を襲ったのはお前達じゃないんだな」
「違う。私の情報によれば、そいつを襲ったのは人形の父親だ。気でも狂ったのか知らんがな」
「……そうかい」
 男はじいさんから目を逸らし、足に絡みついている人形を見た。
「お前の人形……なぜ自らの意思で動く? どんな魔法を使ったのだ?私たちが探している人形は、自分で動くことはできない。あの魔法はまだ完璧ではないのだ」
 背嚢に入っていた人形が、いつの間にかじいさんの肩に乗っていた。そして、剣を持っている方の腕の袖をするすると上げていった。
 男はそれを黙って見ていたが、腕に刻まれた黒い紋様を見て絶句した。
「あ、悪魔の刻印! まさか……」
 男の首が胴体から離れた。鮮血が飛び散る。
「あまりものを知りすぎるってのも、よくねえよな」
 じいさんは剣を収めると、二体の人形に向かって言った。
「おい、ちゃんとそれ片づけとけよ」
 そして何事もなかったかのように、エリオットの後を追って行った。
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