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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  9

 レフォルトは新しい紅茶を持って広間へ戻って来たが、あまり会話に加わろうとしなかった。みんなに淹れた紅茶が冷めてしまっていないか、おかわりは必要かなど、紅茶の心配ばかりしている。
 ルーシャと弟たちを目の前にして、レフォルトはいつもより遠慮深くなっているようだった。
 しかしヒューエルはそのことについて別段何も感じてはいなかった。ヒューエルの目にはいつもの気の利くレフォルトにしか見えていないのだ。だが、パンドル伯爵はレフォルトの態度に違和感を覚え、また、ダンゼンの視線も気になっていた。先ほどからちらちらとジョゼばかり見ている。
 ジョゼもそれに気づいているらしく、視線をそらすようにティーカップばかりいじっていた。
「ジョゼ、退屈か?」
 ヒューエルが声をかけると、ジョゼははっと顔を上げた。頷くこともできず、困った表情でヒューエルを見つめる。
「長旅で疲れているもんな。伯爵、ルーシャたちを部屋に案内してもいいか?」
「もちろんよろしいですよ。今下僕を……」
「いや、いい。私が案内しよう。さあお前たち、行くぞ」
 ヒューエルが立ち上がると、ジョゼもほっとしたように席を立つ。
 ルーシャが伯爵とダンゼンに礼をする。
「ルーシャ様。あなたもお疲れでしょうから今夜はゆっくり休んでください」
「は、はい。ありがとうございます」
 ダンゼンの温かい言葉に、ルーシャは安堵した。
 ヒューエルたちが広間から出て行くのを見送ると、レフォルトも食器を片づけると言って出て行った。広間には伯爵とダンゼンだけになった。
 この時を待っていたかのように、ダンゼンは伯爵に問いかけた。
「パンドル、あの兄弟たちに血の繋がりがないのは本当だな?」
「ええ。ルーシャ様とその父ジェフ殿と血の繋がっている者はいません。みんな拾われてきた子供だと聞いています」
 ダンゼンが何を言い出すのか薄々気づいていたが、伯爵は自分から言い出すことはしなかった。
「私の……私の目が狂っていると信じたい。だが、これだけは……。パンドル……」
 ダンゼンは伯爵の両肩をぐっと掴んだ。
「ジョゼが……レフォルトの小さい頃とよく似ている。私の死んだ妻にもそっくりだ。あれは偶然か? ただの偶然なのか?」
「もしかしたら、偶然ではないかもしれません……」
 伯爵は、ヒューエルから聞いた話をダンゼンにも話して聞かせた。ヒューエルは誰にも話すなと言ったが、伯爵には考えがあった。
 話を聞き終わると、ダンゼンは椅子に座り込み、頭を抱えた。
「ルイーゼは生きていたのか……」
「はい。もしそれが本当ならば、ジョゼ殿はあなたのご子息。宰相の弟だということになります。もちろん、ルーシャ様と他のご兄弟も家族ということになります。ルーシャ様が王と結婚するとは言え、農民の肩書を持ったままでは、他の貴族、そして民から反発を食らうでしょう。なるべくならそれは避けたい。この事実を証明できれば、彼らの立場は今よりもずっと良くなります」
 ジョゼがレフォルトの弟だと証明するのには、ヒューエルがジェフから聞いた話だけでは証拠として不十分であった。
「何か他に証拠はあるのか?」
 ダンゼンが力なく聞くと、伯爵は首を横に振る。
「分かりません。私から王に話してみますが……」
 今度は伯爵がダンゼンの肩に両手を置いた。
「ダンゼン、私は証拠が見つかる方に賭ける。きっと王とルーシャ様が何か見つけてくれるはずだ。だからそれまではレフォルト殿にこの話はしないでくれ。言葉にしなくとも、彼は動揺しているはず。まだ不確かな情報でさらに混乱させるのは良くない」
 伯爵の言葉に、ダンゼンは深く頷いた。
「そうだな……。この件は任せよう。証拠が掴めたら必ず知らせてくれ」
「分かった」
 話が済むと、伯爵はその足でヒューエルの部屋へ向かおうとした。しかし、今はきっとルーシャと一緒のはずだ。もしかしたらレフォルトと一緒にいるかもしれない。
 できれば二人きりで話をしたいと思い、その夜はヒューエルの部屋に行くのを断念せざるを得なかった。
 伯爵は王の部屋の近くまで来て踵を返す。すると、背後から誰かが早足で近づいてきた。
「パンドル伯爵!」
 呼び止められて、振り返る。そこにいたのはレフォルトだった。ヒューエルとルーシャのために紅茶を淹れたのか、手には先ほどと同じ銀の盆を持っている。
「ヒューエル様に御用でしたか?」
「はい。ですが日を改めることにしました。王もルーシャ様もお疲れでしょうから」
「そうですか……」
 レフォルトは何か言いたそうな顔をしていたが、言い辛いことなのか、なかなか口を開こうとしない。仕舞にはうつむいて、小さくため息をついた。
「レフォルト殿、御用がないのなら私はこれで」
一国の宰相とはいえ、レフォルトはまだ十八。精神的に大人になりきれていないのは百も承知。しかし伯爵はどうしたのかと聞くこともなく、その場を立ち去ろうとした。
「は、伯爵!」
 慌ててレフォルトが呼び止める。
「あの……」
「はい、なんでしょうか」
 レフォルトは両腕でぎゅっと銀の盆を抱きしめ、思い切って伯爵に問うた。
「ル、ルーシャ様はヒューエル様に相応しい女性でしょうか……?」
 身分を抜きにして、と、レフォルトは付け加えた。
 伯爵は笑った。
「ええ、ルーシャ様は王に相応しい女性です。そうでなければ私は連れて帰ることを許さなかったでしょう」
「そう、ですよね……」
 伯爵の言葉に納得したのか、レフォルトはようやく笑顔を見せた。
「変なことを聞いてしまって申し訳ありません」
「いいえ、いいのですよ。では、私はこれで」
 去って行く伯爵の背中を見ながら、レフォルトは唇を強く噛みしめた。持っていた銀の盆を床に投げつけたいのをどうにか我慢する。
「私は……私は……!」
 目頭が熱くなり、レフォルトは涙が出ないよう天井を見上げた。
 納得などしていない。今のレフォルトにはルーシャとその兄弟たちの存在を受け入れることは難しかった。
 だが、信用していた伯爵にああ言われてしまっては、逆らうことはできそうにないとレフォルトは感じた。
 王である前に大切な友人の一人であるヒューエルの結婚は、本来なら喜ぶべきことだ。しかし、素直に喜ぶことができない。その感情が理由のないものではないことは、レフォルト自身が一番よく分かっていた。
「ヒューエル様が愛した人たちを、私も愛したいのに……」
 自分の心を騙すのに都合の良い理由があればいいのにと、レフォルトは思うのであった。

 ヒューエルが帰国してから数日が経った。しかし、城の中ではヒューエルの結婚を知る者はごく一部で、ルーシャもほとんど人前に姿を見せなかった。
 王がグロムナートで結婚相手を見つけたらしいという噂はあちこちで飛び交っていたが、肝心のお相手の姿が見えないので人々はこの噂に半信半疑であった。
 帰国後すぐに結婚を公にしないよう助言したのは伯爵だった。ルーシャを部屋に閉じ込めるような指示をしたことに怒ったヒューエルに、伯爵は言った。
「ヒューエル様、あなたは以前私にルーシャ様の過去をお話になられた時、このことは公言するなと仰いました。しかし、やはりそうも言っていられません。農民の肩書を持ったままでは、ルーシャ様もご兄弟たちも大変辛い思いをするでしょう。貴族たちも納得しません」
 伯爵が言っていることは至極当然で、ヒューエルは反論することができなかった。黙って伯爵の次の言葉を待つ。
「みんなに納得してもらう結婚をするには、ルーシャ様にそれに相応しい身分を与える必要があります」
「しかし、どうやって? どこぞの貴族の娘を名乗るわけにはいかないだろう」
 伯爵は頷く。
「はい。もちろん嘘をつくことはできません。のちに王の信用に関わりますから。ですが、ルーシャ様は由緒正しい貴族の名を利用できるかもしれません」
 予期せぬ伯爵の発言に、ヒューエルは驚きを隠せない。思わず伯爵の方に身を乗り出す。
「本当か! それは、どこの貴族だ?」
「アーレンス家です」
 それを聞いたヒューエルは、伯爵が言いたいことを悟った。アーレンスとはレフォルトの姓だった。
「ダンゼン殿は知っているのか……?」
「ええ。私が話しました。ジョゼ殿が、亡くなった奥方とレフォルト殿によく似ていると言っていましたよ」
 やはり血の繋がった家族の目は誤魔化せない。ヒューエルはそう思った。
「あの話が事実ならばジョゼ殿は宰相の弟。ルーシャ様はその姉ということになります。王と婚姻を結ぶのに相応しい身分になれるわけです」
「なるほどな」
 ヒューエルが納得しその気になってきたが、伯爵は冷静に言葉を続ける。
「しかしながら、宰相とジョゼ殿の血の繋がりを証明するのに、容姿が似ているというだけでは証拠が不十分で不確かです。何か他の物的証拠が必要です」
「他の証拠か……。ルーシャがルイーゼの形見を持っていればいいが……」
「それは聞いてみるしかないでしょう。ヒューエル様、お願いいたします。彼らがこの国で幸せに暮らせるための第一歩なのです」
 伯爵は真剣な眼差しでヒューエルにそう言った。ルーシャたちをこの国に連れて来ることを拒んでいたあの時とは全く違う。今はどうしたらルーシャたち家族が幸せになれるかを懸命に考えてくれていた。ヒューエルはそれが嬉しかったし、何より伯爵が味方についていてくれることが頼もしかった。
「分かった。ルーシャにこのことを話そう。そしてルイーゼの形見を探す。なに、簡単なことさ」
 事は重大だが、確かに、ヒューエルの言う通り何も難しいことはない。伯爵は、自分が少し緊張しすぎなのかもしれないと感じた。
 ヒューエルには聞こえないよう、ふっと息をつく。
「あなたが言うと、何でも簡単に上手くいくような気がします、ヒューエル様。私は吉報を待ちましょう」

 ヒューエルがルーシャのいる部屋に戻ると、「おかえりなさい!」と、元気な声が部屋の奥から聞こえてきた。傍にいた侍女がヒューエルに礼をする。
「ルーシャ様のために急ぎドレスを新調いたしました。ヒューエル様のご命令通り、グロムナート王国の物と同じデザインにいたしました」
 侍女に付き添われてやって来たルーシャは美しいドレスを身に纏い、とても嬉しそうであった。
「見違えたぞ! よく似合っている」
「そうかしら? ちょっとコルセットがきついけど……」
 ルーシャはそう言って苦笑したが、別段コルセットを気にしている様子もなかった。
 生まれて初めて身に纏ったドレスに感動し、何度も何度も鏡を見ては微笑んでいた。
 普通のドレスでもこれだけ美しくなったのだ。結婚式用のもっと豪華なドレスを身に纏う日が楽しみで仕方ない。
 結婚式のことを考えて、大事なことを思いだす。
「そうだ、ルーシャ。ちょっと話があるんだが」
「なに?」
 鏡を見ていたルーシャが振り返り、ヒューエルの方へ歩み寄って来る。底の高い靴に慣れていないのか、歩き方がぎこちなかった。
「ジェフ殿から、ルイーゼのことを聞いた。昔、ルーシャが本当の母のように慕っていたと」
「ルイーゼ母さんのこと、聞いたんだ……」
 ルーシャの顔がさっと曇る。やはり、あまり思い出したくないことだったのだろうか。しかし、今は悲しんでいる場合ではない。
 ヒューエルは、ルイーゼがダンゼンの妻であることやジョゼがレフォルトの弟であるかもしれないということを話して聞かせた。そしてその事実が立証されればルーシャと兄弟たちの立場が良くなることも説明した。
「すごい、偶然。じゃあ私たちはまるっきり部外者ってわけじゃないのね?」
「ああ。しかし、それを証明するためには証拠が必要なんだ。なんでもいい。何かルイーゼの形見を持っていないか?」
 突然の事態だったので、ルーシャは少々混乱していた。
ジョゼがレフォルトの弟? それなら自分はどういう関係になるのか。他の兄弟たちは?
深く考える間もなくヒューエルに言われるまま、持って来た荷物をひっくり返す。しかし、もうこの城では役に立ちそうのない物ばかりが出てくるだけだった。
「ルイーゼ母さんが言ったの。自分が死んだら服や装飾品とかお金になりそうなものは売って生活の足しにしてくれって。それでもいくつか残しておいた物もあったはずなんだけど……」
 大事に保管していたので失くすはずはないと、ルーシャは付け加えた。しばらく探していたが突然、「あっ」と、声をあげる。
「これ。この箱にルイーゼ母さんの大事にしていた指輪があったはずよ」
 ルーシャがヒューエルに見せたのは、古い小さな木箱だった。二人はすぐに木箱を開けてみたが、中には何も入っていなかった。
「何も入っていないが……」
「ジョゼ! ジョゼよ。きっとあの子が持って行ったんだわ。いつもあの指輪を欲しがっていたもの」
「ジョゼが?」
「うん。お母さんの物だから、自分が持っていたかったのかもしれない……」
 気づけばヒューエルは部屋を飛び出していた。ジョゼが持っているかもしれない指輪。それが証拠だった。

 小さな兄弟たちにとって、城の中は最高の遊び場だった。豪華な絨毯が敷かれた長い長い廊下に、無数にある広く豪華な部屋。隠れて遊ぶのに最適な場所。いくらルーシャや伯爵が、「部屋から出るな」と、言っても無駄なこと。
 ジョゼ、ロベルト、アルド、イーヴ、ラッセの五人は、長い廊下で駆けっこの真っ最中だった。
「ラッセ! こっちこっちー!」
「兄ちゃんを捕まえてみろよ!」
 アルドとイーヴがラッセをからかって、少し離れた場所で手招きしている。
「僕、速いよー。捕まえちゃうよー」
 言い終わらないうちに、ラッセは兄たちを捕まえるためにものすごい速さで走り出した。のんびりした話し方とはかけ離れた俊敏な動きだった。
 ラッセはあっという間にイーヴを捕まえ、次はアルドに狙いを定める。
 その様子を面白そうに見ていたジョゼだが、ロベルトは不安げな顔をしている。
「ジョゼお兄さん、早くやめさせないと怒られちゃうんじゃ……」
 ジョゼは笑いながら首を横に振る。もし怒られたとしても、大したことはないと思っていた。
 その後も、楽しそうに声を上げて走り回る三人を、ジョゼとロベルトは静観していた。その時。
「何をしているんですか!」
 走り回っていた三人がぴた、と動きを止める。その場にいた全員が、声のする方へ視線を向けた。
 そこに立っていたのはレフォルトだった。
 レフォルトは五人を一列に並ばせ、自分は腕を組んでその目の前に立った。
「部屋の外に出てはいけないと言われたでしょう?」
「だって、ヒューエルが……」
 楽しく遊んでいたところを邪魔され不機嫌なアルドが口答えをする。
「言い訳は許しません」
 レフォルトがアルドをきつく睨む。
「それと、王はあなた方の友達ではありません。ヒューエル様とお呼びなさい」
 アルドが黙ると、今度はジョゼに視線を移す。
「あなたが長兄ですか?」
 ジョゼはレフォルトの目を見たまま頷いた。
「兄なら、弟たちの面倒をきちんと見るべきです。悪いことをしている時は注意をしなければなりません。違いますか?」
 レフォルトに問いかけられても、ジョゼはうんともすんとも反応しなかった。頷くことさえしない。
 レフォルトが再び怒り出しそうだったので、ロベルトが慌てて間に入る。
「あのっ……! ジョゼお兄さんは話すことができないんです。だから、その……。すみません。僕が注意しなかったから……」
 ジョゼの代わりに弁解するロベルトを見て、レフォルトは片手を上げて黙るよう促した。
「口がきけないのはあなたのせいではありませんし、さぞ不自由していることでしょう。しかし、他人の口を使わず、自分自身で他人と意志疎通する手段を手に入れなければいけません」
 レフォルトはちょっと膝を曲げてジョゼと目線を合わせる。さっきまでの威圧感が薄れた気がした。
「文字を覚えなさい。きっとあなたの助けになるはずです。そして、あなた」
 今度はロベルトの方を見る。
「あなたは片時も離れず、ジョゼの傍にいなさい。あなたにも文字を教えましょう」
 レフォルトの唐突な提案に、ジョゼもロベルトもぽかんとそれを聞いていることしかできなかった。状況が上手く飲み込めない。
「そちらの三人にも、別の教育係をつけましょう。確かに、部屋に閉じこもっていれば走り回りたくもなります」
 淡々とそう言うレフォルトは、口調こそ優しいが顔は怒っている時のままでにこりともしなかった。そんな様子なので兄弟たちの警戒心は解かれなかった。
 それでも気にせず、レフォルトは言った。
「では、全員部屋に戻りなさい。ここで走り回ってはいけませんよ」
 兄弟たちが部屋に戻っていく中、ジョゼは振り返ってレフォルトを見た。
 とても悲しそうな目をしている。
 このまま部屋に入ってさっさと扉を閉めてしまえばそれで済むのに、何を思ったかジョゼはレフォルトの方に戻って来た。
「どうしましたか? 早く部屋に戻りなさい。私も行かなければいけません」
 ジョゼはポケットの中に手を入れ、何かを取り出した。拳を握りしめたまま、レフォルトに差し出す。
 訳が分からぬまま、レフォルトはそれを受け取った。
「ジョゼ……」
 呼び止められたのにも関わらず、ジョゼはさっと部屋に戻ってすぐに扉を閉めてしまった。
 それが拒絶されたわけではないのを、レフォルトは何となく感じ取っていた。
 歩きながら、レフォルトは受け取った物が何かを確認する。
 レフォルトの手の中にあったのは、薔薇の紋章が刻まれた小さな指輪だった。
「指輪? どうして……」
 立ち止まってその指輪をまじまじと見る。細かい細工が施されたその指輪は、誰が見てもかなりの値打ち物だと分かる。ジョゼのような子供が持つにはふさわしくない代物だった。
 しばらく見ていて、レフォルトははっと息を飲む。この指輪に見覚えがあった。
「これは……!」
 レフォルトは指輪を握りしめたまま、父ダンゼンのいる部屋へ行くため走り出した。
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