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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  6

 もう夏は過ぎたというのに、その日は日差しがとても強かった。
 ピーターは、鶏小屋を建てるために集めてきた木材を運ぶ途中、流れてくる汗を何度も何度もぬぐった。
「今日は暑いな……」
 作物の収穫も済み、あとは冬を待つばかり。もう仕事はないかと思いきや、農民たちは冬支度に追われていた。ルーシャとその兄弟たちも例外ではない。
 長い冬の間保存のきく食べ物を調達したり、暖かい服を作ったりと、仕事は山ほどあった。
 ピーターが手伝うことができたのは、豚を殺してその肉を塩漬けにすることくらいであった。冬の間は狩りに行くことができないので、肉は塩漬けにして保存がきくようにしているのだ。
 木材を運び終えると、ピーターはそのまま黙々と作業を続けた。小屋の土台を作るために穴を掘り、木材を削る。
 力仕事が多かったので、ジョゼとロベルトには手伝わせなかった。しかし、鶏小屋ほどの小さなものなら造り慣れていたので、ピーターにとってこの作業は苦にならなかった。
 ピーターが夢中になって槌を振るっていると、家の中からルーシャが出てきた。
「ピーター」
 少し遠くからルーシャが声をかける。ピーターは振り返り、また汗をぬぐった。
「どうした。何か困ったことがあったのか?」
「ううん。今日は暑いから、そのままでいるのはしんどいと思って。はい、これ」
「これは……帽子か?」
「そう。麦わら帽子だよ」
 ルーシャが何気なく手渡した麦わら帽子。初めて見たその帽子を、ピーターはためらいなくかぶった。
 ふわりと麦の匂いが漂い、日差しが遮られる。心なしか、さっきよりも少し涼しく感じられた。
 今まで毛皮の帽子しかかぶったことがなかったが、麦わら帽子もなかなかいいじゃないか。
 そんなことを思っていると、ふふっとルーシャが笑った。
「な、なんだ」
「別に。意外に似合うなって思って」
 冗談っぽくそう言って、ルーシャはピーターを見上げた。
「ありがとう。助かる」
 ピーターはとん、とルーシャの肩を叩き、少し笑った。ルーシャは頬を赤らめたが、ピーターはそれに全く気がつかないまま、さっさと仕事に戻ってしまった。

 そんな二人の様子を窓辺で見ていたロベルトは、ちょっと興奮しながら隣にいたジョゼの体をゆすった。
「なんだかいい感じじゃないですか、お兄さん!」
 だが、はしゃいでいるロベルトとは反対に、ジョゼは冷静に二人を見ていた。あの様子では、ルーシャの好意はあまり伝わっていない。
 ジョゼはロベルトの方を見もせずに、首を横に振った。
「そんなにすぐには上手くいきませんか……」
 ロベルトがため息をつく。ジョゼも落胆しかけたその時、ルーシャが家の中に入ってくる音がした。
(覗き見していたのがバレる……!)
 ジョゼとロベルトは一瞬互いに顔を見合わせ、びくびくしながら振り返った。
 しかし、二人の予想に反し、ルーシャはにこにこしていた。窓辺にいる自分たちにも気づいていない。
「あ……お姉さん……」
 ロベルトが声を掛けると、ルーシャはようやく二人に気がついた。
「あんたたち、そんなところで何やってんの? ラッセたちと外で遊んでくれば?」
 口調は素っ気ないが、明らかにいつもより機嫌がいい。少し不安もあったが、ここぞとばかりにロベルトはルーシャに言った。
「麦わら帽子、ピーターさんにあげたんですね!」
「な、なに? 見てたの?」
 ルーシャは少し慌てたようだったが、怒りはしなかった。
「今日は暑いし、ピーターが倒れたら大変でしょ?」
 自分の気持ちを悟られまいとしているのだろうか。喋りながら、ルーシャは何食わぬ様子で針仕事を始めた。
 ルーシャが二人から目を離したのをいいことに、ジョゼは即座にロベルトと額を合わせた。
「僕がピーターさんと話してくればいいんですね? 分かりました!」
 ジョゼに背中を押され、ロベルトはパタパタと扉の傍まで走って行く。
「お姉さん、僕、ピーターさんを手伝ってきますね」
 針仕事をする手を止め、ルーシャが顔を上げる。
「いいけど、邪魔しちゃだめだよ。ちゃんとピーターに聞いてからにしなさいね」
「はーい!」
 ロベルトが外へ出て扉が閉まると、家の中がしんと静まり返った。
 ルーシャが針仕事を再開したので、ジョゼはそっとルーシャの隣に座り、それを眺めていた。
 ルーシャが縫っていたのは、ほつれてしまったイーヴの服だった。
 二人は無言だったが、しばらくするとルーシャが口を開いた。
「父さん、冬になってもあんまり家に戻って来ないかも。ここのところずっと造船所に寝泊まりしてるし……。なんかね、王様の命令で、船をたくさん造らなきゃいけないんだって」
 話しながらも、ルーシャは手を休めることはない。
「仕事熱心なのはいいけどさ、もう少し家のことも考えてほしいよね。ジョゼ、あんたも父さんがいないと寂しいでしょ?」
 ルーシャが手を止め、ジョゼを見る。するとジョゼは、首を縦に振ってからすぐに横にも振った。
 どっちつかずの返答に、ルーシャは苦笑する。
「なあに、どっちなの?」
 ジョゼは立ち上がって、窓の方を指差した。ルーシャがなんのことか分からずに首を傾げたので、その手を引いて、窓まで連れてくる。そして、もう一度外を指差した。ジョゼの指の先には、ロベルトと一緒に談笑するピーターがいた。
「ピーター……? 父さんがいなくても、ピーターがいるから寂しくないってこと?」
 ルーシャがぴたりと自分の考えを言い当てたので、ジョゼはいつものようににっこり笑った。
「ジョゼ……。あんたったら」
 それにつられてルーシャも笑う。
「そうだね。ピーターがいてくれて、いろいろ助かってる。仕事も手伝ってもらったし、あんたたちの面倒まで見てくれてるもん。下手したら父さんより役に立ってるよ?」
 軽い感じで言ったように聞こえたが、ジョゼはルーシャが本気でそう思っていることを知っていた。そうでなければ、大切な父が造った鶏小屋の建て替え許可を出すはずがない。前にあの農民の男が建て替えを言い出したときはとても怒っていたのに、ピーターのときはすんなりそれを許したのだ。
「ねえ、ジョゼ」
 窓の外を眺めたまま、ルーシャがぽつりと言った。
「ピーターはさ、いつまでここにいてくれるのかな……」
 いつになく寂しそうな声だったので、ジョゼははっとルーシャの顔を見上げた。しかし、ルーシャはジョゼを見なかった。
「完全に冬になったら、もう仕事なんてない。ここにいてもらう理由はなくなる。そしたら、どうしようね……」
 初めて、ルーシャのピーターに対する本音を聞いた。ロベルトとあんな話をしておきながら、実はジョゼは、ルーシャがピーターに気がないのでは、とも考えていた。ただ仕事を手伝ってくれる便利な人。それくらいにしか思っていないのかと。
 結婚までの道のりは決して近くない。でも、遠くもない。ジョゼはそう思い、ルーシャの手をそっと握った。

 一方、ロベルトは仕事をするピーターをちょろちょろと追いかけ回していた。手伝うと言って出てきたものの、ロベルトに手伝える仕事はなかった。
「ピーターさん、一人で大丈夫なんですか?」
「心配するな。こんなの朝飯前だぞ」
 ピーターは笑いながら軽々と槌を振るう。ロベルトが呆気にとられている間に、どんどん柱が建てられていった。
 力と時間が必要なこの作業を一人で楽々とこなしてしまうピーターを目の当たりにしたロベルトは、本当に朝飯前には小屋が完成してしまうのではないかと思った。もっとも、朝ご飯の時間はとっくに過ぎていたが。
「すぐに鶏たちをこっちの小屋に移せるようにしてやるぞ。これで雨が降っても心配することはない」
「ありがとうございます。ピーターさんが何でもやってくれるので、僕たちとても助かってます」
 ここでようやくピーターは仕事をする手を止めて、ロベルトに微笑みかけた。
「私もお前たちといられて楽しいよ」
 手に持っていた槌を地面に置き、ピーターもそのままどさっと座った。
 そこへロベルトもやって来て、ちょこんと隣に座った。すると、ピーターがロベルトの頭を不器用に撫でた。髪の毛がくしゃくしゃになる。
「せっかく手伝いに来てくれたのに、悪かったなロベルト」
「いいえ、いいんです。ピーターさんの仕事ぶりを見てたら、僕じゃお役に立てないかなって……」
 ロベルトが苦笑すると、ピーターは大きく首を横に振った。
「前にも言ったが、お前はよくやっているよ。自信を持て。姉さんもお前を信用しているのだから。力仕事なんぞ、あと数年も経てばできるようになる」
「僕もピーターさんみたいに力持ちになれますか?」
「ああ、なれるさ」
 そう言ってまた、ピーターがロベルトの頭を撫でる。ピーターの大きな手は、ロベルトの小さな頭をすっぽりおおった。
「ピーターさん、その麦わら帽子……」
「帽子? ああ、これのことか」
 かぶっていたその帽子を取ると、額は汗まみれであった。ピーターが右手でさっと汗をぬぐう。
「それはお姉さんの手作りなんですよ。僕やジョゼお兄さんも作ってもらったことがあります」
「そうか、これはルーシャの手作りなのか……。それなら、大切にしないとな」
「あの……ピーターさんはお姉さんのこと、どう思っていますか?」
「え? どうって……。そんな急に聞かれても……」
 唐突な質問だったので、ピーターはすぐには答えられず狼狽えた。ロベルトはどんな答えが返ってくるのか楽しみで、ピーターをじっと見つめたまま視線を逸らさなかった。
「ルーシャは……お前たちの面倒もよく見ているし、気立てもよくていい娘だと思う。少し気の強いところもあるがな。まあ、私はおとなしい女よりあのくらい気の強い女のほうが好みだがな」
「気の強い女の人が好み……。ということは、お姉さんのことが好きってことですか?」
「そうだな、好き……。って、え?」
 その反応に、ロベルトはにんまり笑う。ピーター自身は何がなんだかよく分かっていない様子だった。しばらくして、ピーターは自分がとんでもないことを言ってしまったのに気がついた。
「い、いや、好きっていうのはそういう好きじゃなくてな! こ、こらロベルト! ちゃんと聞け」
 にやにやするロベルトを前に、必死に弁解する。逃げられては困るので、膝に乗せてしっかり抱きかかえた。
「いいか、今の話はルーシャに言うんじゃないぞ」
「どうしてですかー?」
「か、勘違いさせてしまうだろ! とにかく、絶対に言うなよ」
「はーい」
 ロベルトは適当に返事をし、またけらけら笑った。
 その後もピーターは何度もロベルトに念を押し、なかなか解放してくれなかった。仕事を再開すると言い出した時、ロベルトは家に戻ろうとしたが許してもらえず、木材を削る作業を手伝わされた。
 ロベルトがようやく自由になれたのは、ルーシャが夕飯の支度をすっかり終えてからだった。
 ピーターがいつものように帰ろうとすると、ルーシャがそれを慌てて引き留めた。
「ねえ、一緒に夕飯を食べない? あんたのぶんも用意したからさ」
「いいのか? でも、なんだか悪いな」
 ピーターが遠慮すると、ジョゼは隣の部屋から椅子を持って来て、テーブルの傍に置いた。これで椅子は全部で七つになった。それを見たピーターは、思わず笑みをこぼした。
「椅子も用意してもらったことだし、今日は夕飯をご馳走になるとするか。ありがとう、ルーシャ」
「お礼なんていいよ。さあ、座って」
 ルーシャに言われるまま、ピーターは食卓につく。両隣にはジョゼとロベルトが座り、ルーシャは向かい側の席に座った。
「みんな揃ったね? じゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
 兄弟たちは一斉にそう言って、自分の目の前にあるパンを食べ始めた。
 ピーターも自分のパンに手をつける。しかし、こう言っては申し訳ないが、とても貧しい食卓であった。テーブルの上にある食べ物は、パンと少しのスープしかなかった。
 屋敷に戻って伯爵たちと食事をしていたほうがましだったとは思わない。今でこそ城で何不自由のない生活をしているピーターだが、母と郊外の村で暮らしていた時にはそれなりに質素な生活をしていた。しかし、今のルーシャたちの生活はそれ以下だ。いくら働いても、今日食べる物を手に入れるだけでやっとの状態だ。
 ピーターは後悔した。もっと早く気づくべきであった。
「どうしたんですか、ピーターさん。足りないなら、僕のをあげますよ」
 ぼうっとしているピーターに、ロベルトは笑顔で自分のパンを差し出した。
「ありがとう、ロベルト。気持ちだけもらっておくよ。そのパンはお前が食べなさい。腹が減っていては力持ちになれないぞ」
 ピーターの言葉にロベルトは素直に頷いて、差し出したパンを再び食べ始めた。
 貧しい食卓だが、兄弟たちは決して食べ物をめぐって争おうとはしなかった。
 食事が済むと、外はすっかり暗くなっていた。兄弟たちは寝室と居間を行ったり来たりして、今度は寝る支度をし始めた。明かりを長い時間灯しておくことができないので、食事が済むと後は寝るだけだ。
 さすがにもう帰ろうと、ピーターが腰を上げる。しかし、またしてもジョゼがそれを阻止しようとした。しきりにピーターの腕を引っ張り、寝室に連れて行こうとするのだ。
 それを見たロベルトが言う。
「ピーターさん、僕と一緒に寝ましょうよ。ね、いいでしょお姉さん? 外は暗いし、帰るのは危ないよ」
「うーん……。そうだね。ピーター、今夜はここへ泊まっていくといいよ。ロベルトとジョゼも、そのほうが嬉しいみたいだし」
 ルーシャが言うと、ロベルトもジョゼも笑顔で頷いた。そう言われては、帰るわけにはいかない。
「ピーターさんは僕の隣で寝てください!」
 嬉しそうにはしゃぐロベルトに引っ張られ、ピーターは寝室へと連れて来られた。そこには、木でできたベッドが二つ。どちらもあまり大きくないし、ふかふかとは言い難かった。
「ロベルト、そっちにジョゼも寝せてあげな。他のチビたちはあたしとこっちで寝るから」
「はい、お姉さん」
 ルーシャが布団を持って来て、それをピーターに手渡す。
「狭いところに寝かせてしまうけど、許してね。寒いといけないからこれを使って」
「ありがとう。面倒をかけてしまってすまないな」
「そんな……。弟たちの我がままを聞いてくれたんだ。お礼はあたしが言いたいくらいだよ」
 昼間の疲れがでたのか、ロベルトはベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。ジョゼはしばらく起きていて、ピーターの腕で遊んでいた。それでも、しばらくするとロベルトと同じようにすやすやと寝息をたて始めた。ルーシャや他の弟たちが寝静まっても、ピーターは眠れなかった。
 幸せそうに眠るジョゼとロベルトを見て、ピーターは複雑な気持ちになった。
「お前たちにもっと、裕福な生活をさせてやりたいな……」
 一緒に国に連れて帰りたい。
 そんなことを言ったら、パンドル伯爵は怒るだろうか。他のみんなは……? レフォルトなら、自分の気持ちを分かってくれるだろうか。
 そもそも、ルーシャと兄弟たちは今の生活に満足しているのだろうか。
 疑問ばかりがピーターの頭の中を駆け巡り、答えは何一つでなかった。
 冬がやってくる。
 ピーターに残された時間は、もう多くはなかった。
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