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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  5

 ジョゼは息を切らせながら、街までの道を走っていた。小さな手には、数枚の銅貨が握られている。ルーシャにおつかいを頼まれたのだ。
 黒パン四つ。
 ルーシャに言われたことを、忘れないように何度も何度も心の中で繰り返す。
 通い慣れたパン屋の看板を見て、ジョゼは迷わず。中に入る。途中、ジェフが働く造船所の近くを通ったが、寄り道をするなと言ったルーシャの言いつけを守り、中に入るのを我慢した。ジェフとはもうかれこれ一週間ほど会っていない。
「あら、ジョゼちゃん。今日はどうしたの?」
 ジョゼが店に入ると、いつものように女主人が出てきた。口のきけないジョゼは、身振り手振りで意思疎通を試みる。
 店にあるパンを指差し、そのまま指を四本立てる。パンを四つくださいと言う意味だった。
 優しい女主人はすぐにそれを理解して、四つのパンをくれた。女主人にお金を渡し、「ありがとう」を言う代わりに愛らしい笑みを浮かべた。そして、ジョゼは急いでパン屋を後にした。早く帰らないと仕事の時間になってしまう。
 家に着くと、鶏小屋の近くで遊んでいたはずの他の兄弟たちの姿が見えなかった。もう家の中で食事の準備をしているのかと思い、扉を開けようと手を伸ばす。
「そのことなら、もう少し時間をちょうだいって前に言ったじゃない」
 ぴた、とジョゼの手が止まる。家の中からルーシャのイライラした声が聞こえてきた。誰かがルーシャと言い争っているのだ。
 ジョゼは家の中には入らず、こっそり窓から部屋の中を覗いた。そこにいたのは、一年くらい前からルーシャに結婚を迫っている村の男だった。この男の存在は前から知っていたが、ジョゼが男を実際に見るのは初めてだった。
 男はルーシャよりもずっと年上に見えた。背はあまり高くないが、体格はいい。この国の農民を象徴するような男だ。
 普通、求婚されればすぐに父親は娘を嫁に出してしまうものだったが、ルーシャの場合は違った。ジェフが曖昧な返事ばかりするので、ルーシャのこの縁談はなかなか先へ進まなかったのだ。
 男はルーシャの肩を掴み、諭すような口調で言った。
「俺と結婚すれば、お前はもう少しマシな生活ができるんだぞ?」
「でも、父さんの許しもないし……。それにチビたちだって……」
「だから、結婚すればそんな弟たちの面倒なんて見なくてすむんだ。どこの女が産み落としたのかも分からない……あの口のきけない気味の悪いガキもな」
 ちく、とジョゼの胸が痛む。思わず二人から目を逸らそうとしたその時、ルーシャが悲痛な叫びをあげた。
「いい加減にして!」
 ルーシャは乱暴に男の両手を振り払った。これには男も驚き、その顔には困惑の色がうかがえた。
「あんたにジョゼの何が分かるの? 口がきけないから、何を言っても傷つかないとでも思ってるの?」
「そ、そういうわけでは……」
「あんたみたいな奴に、ジョゼをけなす権利なんかない! ……あんたの嫁になんて誰がなるもんか」
 男は何も言えず、二人の間には冷たい空気が流れた。そして、しばらくの沈黙ののち男が口を開いた。
「今日のところはここまでにしよう。日を改めて、もう一度来る。それまでにお前の父親を説得しておくよ」
 去っていく男の背中に、ルーシャは怒りの眼差しを向けていた。もう一度来ようが、ジェフが許しを出そうが、ルーシャは絶対にこの男と結婚はしないと心に誓った。
 こんな男の嫁に行くくらいなら、死んだほうがずっとマシだ。
「ジョゼだけじゃない……。ロベルトもアルドも、イーヴだってラッセだって、あたしの大切な家族……。置いてなんて行けるわけない」
 ルーシャはため息をつき、両手で顔を覆った。
 その姿を見て、ジョゼは自分が罵倒された時よりももっと心が痛んだ。どんな顔をして家の中に入ればよいのか。
 そんなことを考えていると、誰かが後ろからジョゼを抱き上げた。びっくりして呼吸が止まりそうになる。
「ジョゼ。お前、こんな所で何してるんだ? おーい、ルーシャ! 約束通り手伝いに来たぞ」
 ジョゼを抱きかかえたまま、ピーターは遠慮もなく窓から中にいるルーシャを呼んだ。ルーシャは慌てて外に出てきて、ジョゼとピーターを交互に見た。
「ちょっと、急になんなの。用があるなら表から来なさいよ!」
「もちろんそのつもりだったさ。だけどジョゼがここにいたから……」
「なにジョゼのせいにしてんの。まったく……」
 ピーターと軽い口げんかをするルーシャは、いつもとなんら変わりのないように見えた。しかし、無理をしているのではないかとジョゼは心配だった。
「まあいいや。来たからには、死ぬほど働いてもらうから。あ、ジョゼ。パンを買って来てくれてたんだったね。これは後で食べることにして……。これから葡萄の収穫に行くから、道具を全部持ってピーターと先に行っててくれる?」
 ジョゼが頷くと、ルーシャはパンの入った袋を手に持ち家の中に戻って行った。
「ジョゼ、道具はどこにあるんだ? 私が全部持って行こう」
 ピーターを案内しながら、ジョゼは考えた。どうしたらルーシャの望まない結婚を阻止できるだろう。大好きな姉には、もっといい人と幸せになってもらいたい。
 そしてほどなく、ジョゼは答えにたどり着く。この状況をなんとかできる者は、たった一人。ピーターしかいないと思った。

 葡萄を収穫するために使う鋏と籠を持ち、ジョゼとピーターは葡萄畑にやって来た。向こうでは、他の農民たちがすでに収穫を始めている。
「みんなで協力して収穫するのだな。なるほど……。それで、お前たちの取り分はどのくらいだ?」
 ピーターの質問に、ジョゼは困った顔で首を横に振った。
「なに? どういうことだ」
 ジョゼの言いたいことが分からず、ピーターが首をかしげる。すると、後から来て話を聞いていたルーシャが代わりに答えた。
「この葡萄は全部領主様のものだよ。だからもちろん、この葡萄で作ったワインは全部領主様のものってわけ。あたしたちのぶんなんてないんだよ」
「そ、そうなのか」
「葡萄以外の作物なら話は別だけどね。まあ、収穫した葡萄の実をつまみ食いするくらいなら許してくれるよ」
 ルーシャがそう言って笑うと、ジョゼも頷きながらピーターを見て笑顔になった。
「じゃあ始めよっか」
 ルーシャはピーターに鋏、ジョゼに籠を手渡した。
「そういえば、他の弟たちはどうした? さっきから姿が見えないが……」
「ロベルトたちなら、少し遠くの麦畑へ行ったよ。あっちも人手が足りないからね。葡萄より麦のほうが収穫は楽だから、チビたちもそれなりに働いてはいると思うけどね」
 ルーシャは苦笑したが、あまり気にしていない様子で自分の仕事に取り掛かる。
 三人がまず始めにやらなければいけないことは、実った葡萄の房を鋏で蔓から切り離し、籠に全て集める作業だ。
 背の高いピーターとルーシャが鋏で葡萄を収穫し、ジョゼはそれを一つずつ籠に入れていった。
「すごいな……。こんなにたくさんの葡萄が実るなんて」
「ちょっと、感心してないで手を動かす! 仕事はこれだけじゃないんだから」
 ルーシャは慣れた手つきでどんどん葡萄を摘んでいく。
 ちょっとしょんぼりしていたピーターのもとへ、葡萄の房を手にしたジョゼが駆け寄ってきた。ピーターは地面に片膝をつき、ジョゼと顔が同じ高さになるようにした。
「おお、ジョゼ。いいのが獲れてるだろ?」
ジョゼは葡萄の実を一粒つまむと、ピーターの口元へ持ってきた。食べろと言うことだと思い、なんの躊躇いもなく実を口に含んだ。
見た目と匂いからして甘いものだろうと思っていたのだが、口の中に広がったのは甘味ではなく、果実の酸味と皮の渋みだった。
 あまりの酸っぱさに、ピーターは口から実を吹き出した。その様子を見て、ジョゼは声こそ出さないが、腹を抱えて大笑いした。
「ジョゼ! お、お前、分かっててやったな」
 ピーターは片手でジョゼを抱き上げ、髪の毛がぐしゃぐしゃになるまでジョゼの頭を撫で回した。それでもジョゼは、ものすごく楽しそうに笑っていた。
 ふざけ合っている二人を見て、始めは怒ろうとしていたルーシャだったが、満面の笑みを浮かべているジョゼを見てやめた。ジョゼはいつだって笑顔だったが、あんなふうに心の底から笑っているジョゼを見るのは珍しいことだったからだ。
 収穫が済むと、今度は村人総出で深い桶を取り出してきた。みんなでその桶に痛んでいない葡萄の実を一粒一粒選んで入れていった。
 それが終わると、ルーシャはいきなり靴を脱ぎ始めた。
「ピーター、靴を脱いでこの中に入って。葡萄踏みをするから」
「素足で踏むのか?」
「そう。これをしてから発酵させるんだよ。さ、早く」
 人が二人ほど入れそうな深い桶だったが、ピーターは図体がでかかったので一人でその中に入ることにした。
「あんまり長く中にいちゃ駄目だからね! 息が詰まって死んじゃうこともあるから」
「息が詰まる? なぜだ」
「そんなの知らないよ。いいから、さっさと踏んで出てきて」
 ピーターは靴を脱ぎ、そっと桶の中に入った。柔らかい葡萄の実が、ピーターの足の裏で潰れる感触がした。すると、そこにジョゼも入ってきた。ピーターを見ていて自分もやってみたくなったのだろう。二人は一緒に葡萄の実を踏んだ。葡萄の良い香りが辺り一面に広がる。
「もっと思い切って踏んでもいいんだよ、ピーター」
「こ、こうか?」
「そうそう! なかなか上手いよ」
 この葡萄踏みはその昔、若い未婚の娘しかやることを許されなかったらしい。しかし今では作業効率のほうが優先され、そんな風習はいつしか廃れていった。
 葡萄踏みが終わると、今度は踏み潰した葡萄を別の樽に入れ替え、村の貯蔵庫に保管した。この葡萄がワインになるには、あと何年もかかるとルーシャは言った。
 仕事が終わった後、水で足を洗ったのだが葡萄の匂いはとれなかった。
 ジョゼが面白がって、何度もピーターにぴちゃぴちゃと水をかける。ピーターも負けじと同じことをやり返しているうちに、ジョゼの服がびしょ濡れになった。しかしジョゼは別段気にした様子もなく、楽しそうにはしゃいでいた。
 一日一緒にいて仕事をしたが、やはりピーターはルーシャやジョゼが卑しい農民だとは思えなかった。
 伯爵は実際に関わったことがないから、あんなことが言えるんだ。見た目だけで判断してはいけない。彼らは卑しくなんかない。
 ルーシャたちと関われば関わるほど、ピーターはその思いを強くしていった。

 家に帰ると、ロベルトたちが先に帰って来ていた。他の三人が騒ぎながら食事を待っている間、ロベルトはそわそわしながらルーシャの帰りを今か今かと待っていた。
「ただいま。あんたたち、早かったんだね。」
「お姉さん! き、聞いてください」
「どうしたの?」
 気になったのでピーターもすぐには帰らずにロベルトの話を聞くことにした。
 今にも泣きだしそうな顔でぽつりぽつりと話すロベルト。何か大変なことでもあったのかと心配したが、最後まで聞いて、ルーシャは苦笑しながらロベルトを抱きしめた。
「もー、そんなこと? ほらほら、泣かないの」
「だ、だって……だって……」
「あんたがそんなこと気にしなくてもいいんだよ。一人で麦を全部収穫するなんて無理な話なんだから。それより、いつもあの三人を任せっきりにしてるあたしが悪いの」
 ピーターも優しくロベルトの頭を撫でた。
「私も、お前は一人でよくやっていると思うぞ。仕事が一日で全部片付かなくたって気にすることはない」
 優しくされたのが余計辛かったのか、ロベルトは声を上げて泣き出してしまった。
 ロベルトは自分に与えられた仕事をこなすことができず、悔しかったのだろう。二人がどんなに優しい言葉をかけてやっても泣き止まなかった。
「お前が一生懸命なのはよく分かっているよ、ロベルト。でも、どんな仕事でもたった一人で全てをこなすなんて無理な話だ。だから明日、姉さんや私と一緒に今日できなかった仕事を片付けよう。みんなでやれば早く終わるし、大変な仕事でも楽しくやれる」
 ロベルトは涙を拭い、ピーターを見上げた。
「みんなで……やれば?」
「そうだ。一人ではできないことも、家族や仲間と協力すれば必ずできる」
 ルーシャもロベルトの頭を撫でながら言った。
「ごめんねロベルト。あんたしっかり者でいい子だから、あたしもつい面倒をいろいろ頼んじゃって……。自分一人でなんでもやらなきゃなんて、思わなくていいんだよ。できない時とか大変な時は、お姉ちゃんやピーターにちゃんと言ってね」
 ピーターとルーシャの言葉を完全に理解できたかどうかは分からない。それでも、ロベルトは素直に頷いてくれた。
 ルーシャがロベルトを離すと、急にジョゼが間に割って入ってきた。そのままロベルトの手を取り、外へ引っ張って行ってしまった。
「あーあ。ジョゼに連れて行かれちゃったね」
 ルーシャが笑う。
「いいのか?」
「うん。こういう時は、ジョゼに任せたほうがいいのかも」
 ジョゼとロベルトを、ピーターは無意識のうちに昔の自分とレフォルトの姿と重ね合わせていた。
「子供の気持ちは、子供が一番よく知っている。……そういうことだ」

 鶏小屋の裏で、ジョゼとロベルトは無言で座っていた。お互いの肩がぴったりくっついている。
 しばらくすると、ロベルトが小さな声で呟いた。
「僕、いっつもいっつも自分がやらなきゃって思ってました。お姉さんの期待を裏切りたくなかったし、家の仕事を一生懸命手伝うことくらいしか、恩返しの方法が見つからなかったから」
 ジョゼはロベルトの肩を抱き、首を大きく横に振った。そして、左手でロベルトの小さな手を握った。
「恩返しなんてしなくていいって、そんなこと言わないでくださいお兄さん。僕には他に思いつかないんです。お姉さんのためにしてあげられることが」
 ロベルトの言葉に、ジョゼはとても困った表情をした。いつもそうなのだが、ロベルトの言動は、十歳の子供のものではないのだ。ロベルトも自分と同じで、ルーシャとジェフに拾われてきた子供だ。本当の年齢なんて分かりはしない。拾った時に、見た目だけでだいたい何歳くらいだろうと、適当に年齢を決めたのだ。ジョゼは、ロベルトが十歳だなんて信じていなかった。
 ジョゼはロベルトと顔を合わせ、ごつんとその額に自分の額を重ね合わせた。そして、目を閉じること数分。
「え、え、お姉さんが、結婚?」
 ロベルトが大きな声を出したので、ジョゼは慌てて、しっ、と人差し指を立てた。誰かに聞こえたのではないかと心配し、二人はきょろきょろ辺りを見回す。
「だ、誰もいませんね。ふーっ……」
 ジョゼはぺしっ、とロベルトの額を叩いた。
「ごめんなさいお兄さん」
 ロベルトは苦笑しながら肩をすくめた。
「でも、それ本当なんですか? そんな人とお姉さんは結婚しなければいけないんですか?」
 ロベルトの問いに、ジョゼはただ首を横に振ることしかできなかった。昼間の様子だと、ルーシャは絶対にこの縁談を拒否するだろう。だが、もしもジェフが了解しでもすれば、ルーシャの意思は完全に無視されることになる。ジョゼはどうしてもそれを回避したかった。だが、口のきけないジョゼでは、ルーシャの気持ちをジェフに伝えることはできない。
 ルーシャは絶対に結婚などしないと言っていたが、ジェフがそうしろと言えば従うだろう。船のことしか考えていないあの鈍感な父親がルーシャの気持ちを察することができるとは思えない。
「その結婚のお話をなかったことにするには、一体どうしたらいいんでしょう……」
 ジョゼはもう一度、ロベルトと額を重ね合わせた。
「ピーター……さん?」
 ジョゼが頷く。
「ピーターさんに言ってもらうんですか?」
 今度は激しく首を横に振った。
「あ、え? 違うんですか?」
 ジョゼは自分の考えが正確に伝わらないとこをもどかしく思い、頭をぐしゃぐしゃにかきむしった。
 もう一度額を合わせ、今度は根気強く長い時間目を閉じていた。
「なるほど!」
 ロベルトがぱっと笑顔になった。
「お姉さんがピーターさんを好きになるようにする。そういうことですね?」
 やっと自分の考えが伝わったのが嬉しくて、ジョゼも満面の笑みで頷いた。
「で、でも……どうやって?」
 ロベルトが不安げに聞くと、ジョゼはふーっとため息をついて肩をがっくりと落した。
 それなんだよねー。
 ロベルトにはそう言いたそうなジョゼの気持ちを察した。
 それなら二人で考えればいい。そうロベルトが言いかけた時、
「くしゅん!」
「お、お兄さん?」
「くしゅん! くしゅん!」
 ジョゼは何度もくしゃみをして鼻をすすった。
「あ! お兄さん、服濡れてるよ」
 ロベルトの言葉に頷きながら、ジョゼはまたくしゃみをした。
「早く家に帰って着替えようよ」
 ロベルトに手を引かれ、ジョゼはくしゃみをしながら家に帰る。これではどっちが兄だか分かりはしない。
 呆れてジョゼを着替えさせるルーシャ。それを心配そうに見守る弟たち。ピーターは一足先に帰ってしまっていた。
 これはジョゼの直感だが、ピーターならこの家族を幸せに導いてくれるのではないか。そんなことを思っていた。
 不意に、ロベルトがこつんと額を合わせてきた。
「熱はありません。でも、風邪をひかないように今日は早く寝たほうがいいかもしれませんね」
 額を合わせていた時間が短くて、自分が思っていることをロベルトに伝えることはできなかった。じっとロベルトの目を見ても、この気持ちが伝わることはない。
「どうしたんですか?」
 ロベルトが聞いたが、ジョゼは微笑んで首を横に振る。
 ラッセが傍に寄ってきて、ジョゼの顔を見て笑った。
「お兄ちゃん鼻水出てるよー」
 笑われたのが恥ずかしくて、ジョゼは服の袖でごしごし鼻をこすった。そして逃げようとするラッセを捕まえて、ごつんと額を重ね合わせてみた。
「ひゃはははは! 痛いよお兄ちゃん」
 ラッセはふざけて笑うだけだった。
 兄弟の中でジョゼと意思疎通が上手くできるのはロベルトだけだった。それでも、体を接触させずにそれをするのは無理なようだった。
「こら! ジョゼにいたずらしないの。熱が上がっちゃうかもしれないでしょ」
 ルーシャに叱られ、ラッセはぱっと部屋の隅に逃げてしまった。逃げ足の速さは兄弟で一番なのだ。
「ジョゼ、先に食事を済ませて寝ちゃいなさい」
 ルーシャはそう言ってジョゼの頭を優しく撫でた。ルーシャはジョゼが赤ん坊の頃からずっと面倒を見てくれていて、一番接触が多かったはずなのに、ルーシャとはロベルトのように意志疎通することはできなかった。
 その代わり、ルーシャはジョゼの表情を読み取るのが得意だった。
 ぼーっと食事をしながら、ジョゼはピーターと意志疎通をすることはできないかと考えていた。そうすれば、話はうんと早く進む。
 この時初めて、ジョゼは自分の口が言葉を発することができないことをもどかしく思った。
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