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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  4

 ルーシャと一緒に家の方まで戻ると、ロベルト以外の弟たちが鶏小屋の外で遊んでいるのが見えた。
「あ! また仕事しないで遊んでる。イーヴ、アルド、ラッセ!」
「やばっ!」
「お姉ちゃんだっ」
「うわっ」
 二人はルーシャの姿を見るなり、遊びをやめて逃げ出した。
「こらー!」
 ルーシャはちょこまかと逃げ回る三人を追いかけ、あっと言う間に遠くへ行ってしまった。
 肩に乗っているジョゼを見ると、目を細めて笑っていたので、ピーターもつられて苦笑した。
「いつもああなのか?」
 ジョゼが頷く。
「そうか。賑やかで楽しそうだな」
 兄弟を持たないピーターには、元気のよい弟たちに囲まれて暮らしているルーシャがとても羨ましく思えた。自分にも兄弟がいれば、毎日がもっともっと楽しいものであったかもしれない。
 そんなことを考えていると、ジョゼがピーターの肩から降りようとした。
「なんだ、降りたいのか? ちょっと待て」
 ピーターが地面に膝をつくと、ジョゼはすぐに肩から降り、鶏小屋の中に入って行った。ピーターもその後を追う。
「早く扉を閉めてください! 鶏さんが逃げ出しちゃいます」
 中に入るなりロベルトにそう言われ、ピーターは慌てて扉を閉める。その瞬間、数十羽の鶏から睨まれたような気がした。
 間近で見る鶏にちょっとだけ恐怖心を抱きながら、ピーターは一歩ずつ小屋の中に足を踏み入れていった。
 他の三人は外で遊んでいたので、掃除をきちんとやっていたのはロベルトだけだった。ロベルトは自分用の小さな箒で床を綺麗に掃いていた。
「いつも一人でやっているのか?」
「ううん、いつもはちゃんと四人でやりますよ。でも、イーヴたちはまだ小さいから遊んでるほうがいいんです」
 会話をしながらも、ロベルトは決して仕事をする手を休めない。ジョゼも手伝って、小さな籠に卵を集めて回った。
 ピーターも何か手伝おうとしたのだが、すぐにそれが余計なお世話だと気づき、黙って二人が仕事を終えるのを待っていた。
 待っている間、小屋の中を隅々まで見渡していると、ロベルトが箒を持ったままピーターに近づいてきて言った。
「この小屋、古いでしょ? 昔お父さんがつくったんですけど、もういろんな所が傷んできちゃって……。雨が降ると雨漏りするし、床は抜けそう!」
 興奮したロベルトが足を踏み鳴らすと、床がギシッと怪しい音を立てた。
「っと……。あ、危ない危ない」
 床に穴は開かなかったが、これでまたこの小屋の寿命が短くなったに違いない。ぺしゃんこになるのは時間の問題だった。
「強い風でも吹いた日には、屋根が吹き飛ばされるかもしれないぞ。なんなら私が新しい小屋を建ててやろうか」
「ピーターさんは、大工なんですか?」
「……まあ、そんなところだ。小屋を建てるなんて朝飯前だぞ」
「本当ですか? じゃあ、じゃあ、約束ですよ。新しい小屋、建ててくださいね!」
「ああ、約束だ」
「やったー!」
 ロベルトは手に持っていた箒を放り出し、ジョゼと手を取り合って喜んだ。
 そんな二人の姿を微笑ましいと思いながらも、一番嬉しそうなのはピーター本人だった。すでに頭の中は、小屋を建てるための設計図のことでいっぱいだ。
 王になる前、毎日レフォルトと遊び歩いていた時に、二人の遊び場として小さな小屋を建てたことがあった。そのことが思い出され、ピーターはこの小屋を建てることも遊びのように考えていた。実際、この手の遊びに関してピーターの右に出る者はいない。小屋一軒建てることなど、彼にとっては造作ないことであった。
「収穫期が終わったら、お姉さんにも話しますね。それまでは内緒です。今は忙しくて、お姉さん、鶏小屋のことまで気が回らないと思うから」
「分かったよ、ロベルト」
 ピーターが頷いた時、誰かが鶏小屋の中に入って来た。弟たちを追いかけ回し、息が上がったルーシャだった。
「まったく、逃げ足だけは早いんだからもう! またロベルト一人にやらせちゃったね」
 ルーシャは歩み寄って来て、ロベルトの小さな頭を撫でる。 
 だが、ロベルトはさっとその手から逃れると、さきほど放り投げた箒を拾い上げ、にこりともせずに言う。
「お姉さん、他にお仕事はありますか? 鶏小屋のお掃除はもう終わりました。ジョゼお兄さんにも手伝ってもらったし……。僕まだ働けます!」
「そ、そう? じゃあ、チビたちを全員捕まえて来てくれる? 追いかけたんだけど、見事に逃げられちゃった」
「任せてください。イーヴたちが遊んでそうな所を探しに行って来ますね」
 そう言うと、ロベルトはさっさと鶏小屋を出て行く。その後をジョゼが追って出て行った。
「ロベルト……。あの子ったら……」
「どうかしたのか? よく働いて、偉いじゃないか」
「そう、だね」
 ルーシャが苦笑する。
「うん、よく働いてくれるいい子だね」
「いい弟た……」
「あ、そうだ!」
 ルーシャはわざとらしく、ピーターの言葉をさえぎった。
「手伝いのことなんだけど、明日からってことにしてくれる? 本当は今すぐやってもらおうと思ったんだけど、いろいろ説明することもあるし、時間はたっぷりあったほうがいいかなって思って……」
「別に構わん。明日またここへ来ればいいんだな?」
 会話をしながら、二人は鶏小屋の外へ出る。どのくらい遠くへ行ってしまったのだろうか。騒がしい弟たちの声はどこからも聞こえてこない。
「じゃ、明日必ず来てね」
「ああ」
 ルーシャとだけ別れの挨拶をし、ピーターは城下町の屋敷へ戻る。
 ルーシャ、そして弟たちと出会い、城の中や造船所とはまた違った世界が見えてくる。今度は一体、どんな興味深いことが待っているのだろう。
 ピーターはただ、自分の知らない世界を垣間見ることだけを考えていた。

「農民の手伝い? どうしてそんなことを引き受けたのですか」
 屋敷に戻り今日のことをパンドル伯爵に報告すると、伯爵は眉をひそめ、開口一番にそう言った。怒っている、というよりは、いつものごとく呆れているといった様子だ。
 二人は伯爵の私室で少しの酒を飲みながら話していたので、他に人はいなかった。
「やっと造船所に腰を落ち着けたと思ったら今度は農村で働くだなんて……」
「いいじゃないか。なかなか面白そうだぞ」
「何を呑気なことを言っているのですか。卑しい農民と関わるなど、百害あって一利なし。ましてや、王のあなたにそれの仕事を手伝わせるなど……」
「卑しい?」
 今度はピーターが眉をひそめる。
「ルーシャたちが、卑しい?」
 ウォッカの瓶に伸ばした手を止め、伯爵を睨む。しかし、伯爵は狼狽えることもなく、冷静な眼差しでピーターを見ている。言いたいことがあるなら言えと、挑発しているようだった。
「どうしてそんなことを言う……?」
 ピーターが問うと、伯爵はふっと鼻で笑った。
「あなたが今日、どんな農民に会って来たのかは知りません。しかし、すぐに気づくことでしょう。所詮農民など、私たち上流階級の人間とは相容れぬことはできないとね」
「私は……」
 ピーターは伯爵から目を逸らし、ウォッカの瓶を手に取った。そして、中身を一気に飲み干す。
「分からない。……お前の言うことが、分からない」
 幼い頃から、ピーターは自分よりもずっと身分の低い者たちに囲まれて生きてきた。ソフィアによって母と共に追放された村で、ピーターと仲の良かった者はみんな農民や商人の息子たちだった。もっとも、レフォルトだけは例外であったが。
 みんな気のいい連中だった。戦の時には、命を懸けてピーターと一緒に戦ってくれた。
「そんな彼らを、卑しいなどと……」
「ピーター様」
 伯爵は右手を軽く上げ、ピーターの言葉を遮る。その顔からは、一切の感情が消えていた。そして、はっきりとこう言った。
「まだ分かりませんか? それは、彼らがあなたのことを王の息子だと知っていたからとった行動なのです。あなたの身分を知らない農民が、北の国の農民と同じ行動をとると思いますか? 友達のように仲良くなれるとでも思っているのですか?」
 反論の言葉を探しながら、ピーターは伯爵から目を逸らす。ウォッカを飲みたかったが、瓶はすでに空になっていた。
「私は反対です。農民の仕事の手伝いをするなど……彼らがあなたにどんな無礼を働くかが目に浮かびます」
「それでも……」
 ピーターがようやく口を開く。
「私は知りたい。見たことのないもの、感じたことのないこと。その全てを」
 まるで自分に言い聞かせるかのように、ピーターはゆっくりした口調で言った。嘘は言っていない。それがピーターの全てであり、ここへ来た理由なのだ。
 伯爵は目を閉じ、しばらく経ってから、「分かりました」と言って立ち上がった。
「あなたがそう言うなら、私は止めません。お気をつけて行って来てください」
 伯爵は微笑してそう言ったが、笑っていたのは口元だけだった。しかし、ピーターはそれに気づかなかった。視線は伯爵に向けていたが、その目はどこか遠くを見ていたのだ。
「ピーター様、今夜はもうお休みになってください。明日から働くなら、今日の疲れを残しておくのは良いことではありませんよ」
「そうだな……」
 伯爵に声を掛けられ、我に返る。立ち上がり、もう一度伯爵と視線を合わせる。すると伯爵は、にっこり笑っていつもと同じようにこう言った。
「おやすみなさい、ピーター様」
 ピーターも、いつもと同じように返事をする。
「ああ、お前も……ゆっくり休め」
 部屋を出る前に、ピーターは伯爵の部屋にあったウォッカの瓶を一つ手に取った。中身が入っているものだったが、伯爵は咎めなかった。
「ピーター様……」
 部屋から出て行くピーターの背中に、伯爵は語りかけた。
「あなたは優しすぎる。人間としてはそれでいいかもしれない。でも、あなたは王……」
 パタン、と扉が閉まり、ピーターの大きな背中が見えなくなる。
「きっと……いえ、あなたは必ず気づくはずです」

 自分の部屋に戻るなり、ピーターはウォッカをぐいぐい飲み干した。もっともっと、記憶がなくなるまでウォッカを飲みたい気分だった。
空になった瓶を机の上に置く。すると、一通の手紙と小さな包みがそこに置かれているのに気付いた。筆跡ですぐに、誰から送られてきたのか見当がついた。
 早く読みたくて、急いで封を開けた。

 ヒューエル様
 こうしてあなたにお手紙を書くなんて初めてのことですね。あなたがグロムナート王国へ行ってから、もう三ヶ月以上が経ちました。そちらの生活はいかかでしょうか。あなたの興味をそそるものは見つかりましたか? 
 城のほうは変わりなく、残った者たちでしっかりと留守をお守りしています。皆、あなたとウォッカを飲める日を心待ちにしていますよ。もちろん、私もその一人です。
 今は遠く離れているので、私が直接あなたのためにできることは多くはありません。あなたが悩んだり迷ったりした時に、傍にいて助けてあげられないのがとても心苦しいです。でも、どうか忘れないでください。私はいつでもヒューエル様の味方です。どんなに離れていても、それだけは決して変わりません。
 最後になりますが、お体にだけは十分気をつけてください。ウォッカばかり飲んではいけませんよ。あと、我が国ほどではないにしろ、グロムナートの冬も相当冷えます。上着はきちんと着ましょう。どこかへ置き忘れてくることのないように!
                      レフォルト
 追伸
 一緒に送った包みは私からのプレゼントです。もしよかったら使ってください。

 なぜだか最後の追伸の文字がぶれているような気がしたが、ピーターは気にせず小さな包みを開けた。
 薄い紫色のマフラー。
 手紙とマフラーを手に持ったまま、ピーターは傍にあった椅子に崩れるように腰かけた。
 紫はレフォルトが一番好きな色。紫を見ると、いつもレフォルトのことを思い出す。
 だからここへ来てからはあまり意識しないようにしてきたのに。
「レフォルト……」
 ピーターはもう一度手紙を読み返し、マフラーに顔をうずめた。 
「ウォッカなんて、いらないよ……」
 熱いものが込み上げて零れそうになるのを、必死に堪える。
「お前が淹れた、紅茶が飲みたいな……」
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