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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  12

 近代的な武器や精錬された兵士をもってしても、簡単には手に入れられない場所があった。
 不凍港。
 それはグロムナート王国に使節団を派遣する前から、ヒューエルが貿易の拠点として欲しがっていた場所であった。
 ヒューエルは不凍港を持つ国を度々攻めたが、敵の中に優れた軍師がいるらしく、思うような戦をすることができないでいた。
 惨敗はしていないものの、小さな敗戦の積み重ねは兵士たちの戦意を削ぎ、国の財政も圧迫した。
 レフォルトが戦を休むよう進言してから四年。北の国は再び活気を取り戻しつつあった。
 しかし、ヒューエルはこの敗戦を無駄なものだとは思っていない。なぜなら、戦の回数を重ねるごとに、ルーシャの兄弟たちの武将としての能力が磨かれていったからだ。
 彼らが城にやって来てから十三年。ジョゼは二十八歳になり、レフォルトの右腕として一緒に仕事をするようになっていた。
 そのジョゼの護衛から部将になったロベルトは二十六歳。勇猛ではあるが戦場に出るのは稀で、ジョゼの傍にいてその仕事を手伝うことが多かった。
 イーヴとアルドは共に十九歳。まだ若い二人だったが、剣の腕を高く評価され、北の国の主力軍に欠かせない存在になっている。
 末っ子のラッセは十七歳。足が速く馬の扱いが上手なラッセは伝令役を担っていた。彼は時に斥候として敵地へ赴くこともあった。
 優秀な部下たちがいるのだから、必ず不凍港を持つ国を攻め落とすことができると、ヒューエルは強く思っていた。不凍港を手に入れることこそが、ヒューエルの人生最大の目的であったのだ。
 ヒューエルの目的を達成すべく、レフォルトは日夜相手国を攻め落とす策を考えていた。しかし、相手はこちらより一枚上手で、いつもあともう少しのところで撤退せざるを得なくなる。危うく退路を断たれそうになったこともあった。
 レフォルトは悔しかった。今までどんな国でも自分の策をもって軽々と制圧してきたのに、今回ばかりは上手くいかない。
 ジョゼと共に奇策を考えるも、どれもあまり現実的とは言えなかった。安易な行動をすれば、味方に被害が及ぶ。
 ヒューエルは早く不凍港を手に入れたがっている。それを知っているレフォルトは、誰よりも焦っていた。
 どうしたらよいのかいい考えが浮かばず、レフォルトはパンドル伯爵のもとを訪れたことがあった。
 焦るばかりのレフォルトに、伯爵は一言こう言った。
「レフォルト殿、待つのです。焦らず、待つことです」
 この伯爵の言葉を踏まえ、レフォルトはヒューエルに戦を休むことを提言した。
 これでよかったのだろうかと思ったこともある。しかし、このことは北の国に大きな好機をもたらした。
 こちらが戦をしなかった四年の間、どうやら敵国は別の国に手を出したらしく、近々両国の間で大きな戦があるようだ。
 こんな機会はもう二度とないはず。
 レフォルトはすぐさまラッセ率いる斥候を使い、敵の動向を探らせた。
 レフォルトの命令を受け、ラッセは数十騎の兵を従え敵地へ赴いた。主力軍は遠征中だが、城の守りは固そうだ。
「城の周りに兵士を置いているけど、中の守りは手薄だな。だけど、敵軍は出発したばかり。いくら手薄でも、さすがに僕らだけで行くのは無謀だね。命令通り、相手の戦の見物でもしようか」
 ラッセは敵国の都の様子を見てから、敵軍を追うように南下した。
 ラッセの他に、不凍港の様子を探りに行った斥候もいた。彼は不凍港の守りが今までにないほど手薄であることを、いち早くレフォルトに報告した。
 それを聞いたレフォルトは、すぐさまヒューエルに軍隊を出すよう要請した。
「攻めるなら今です。今しかありません!」
 長い間レフォルトからこの言葉が出るのを待っていたヒューエルは、「よし」と言って玉座から立ち上がり、自分も戦場へ行くための準備を始めた。
「ようやく不凍港が我が国のものになるぞ。ルーシャ、期待して待っていろ」
 甲冑を身に纏い戦場へ持って行く剣を選びながら、ヒューエルはルーシャにそう言った。
「ええ、期待していますとも。でも、あまり無茶をしないでね。必ず無事に帰って来て」
「分かっているとも。心配するな」
 ヒューエルは笑いながらそう言うも、簡単に敵国を落として帰って来られるとは思っていなかった。あれだけ苦戦している相手だ。こちらが有利な状況かもしれないが、相手が強敵なのには変わりない。
 だが、自分は必ず生きて帰ってくる。不凍港を手に入れたら、やりたいことはたくさんある。
 東大陸の国々と貿易をし、もっと珍しい発明品を手に入れたり、船を使って世界中を回ってみたり。
 不凍港を獲得すれば、それらは全て叶うのだ。
 そう思うとこの戦い、負ける気がしなかった。

 戦に使う船や武器、そして連れて行く兵士の手配が済んだ後、レフォルトは部屋にこもって誰とも会わなかった。
 自分自身で簡単に部屋を掃除する。本棚の本は綺麗に並べられ、誰が見てもどこに何の本があるのか一目瞭然だった。
 レフォルトは椅子に座り、部屋を見回す
「いよいよ、明日ですね……」
 自分を落ち着かせたくて、ふっと息を吐く。
 ようやくヒューエルの長年の望みを叶えてあげられる時がきた。ようやく本当の意味でヒューエルの期待に添うことができる。
 覚悟はできていた。
 

 次の日の朝早く、北の国の軍隊は自国の港を目指して城を出発した。まだ冬ではないので、海は凍っていない。船を出すことが可能だった。
 ヒューエル率いる五万の兵隊と、レフォルト、アルド、イーヴ率いるそれぞれ三万の兵隊が船に乗り込み、不凍港に向けて出港した。
「こんなに大勢の兵士を乗せられる船を造れるまでになった……。しかし、我が国はまだまだ発展できるはず。なあ、レフォルト」
「はい。この戦に勝てば必ず」
 レフォルトの作戦は実に単純なものだった。
 まず、手薄になっている不凍港を制圧し、敵国の都に向けて南下する。そこで敵軍を待ち伏せ、一気に叩いてしまおうというのだ。
 相手はすでに他国と一戦交えた後。勝っていようが負けていようが、軍隊が疲弊しているのは明らかだ。
 敵の主力軍さえ壊滅させれば、都を陥落させることも容易いと、レフォルトは見た。
 確かに敵の軍師は優秀だが、敵軍は彼に頼り過ぎな一面もあった。だから彼一人討ち取ってしまえば、敵は崩れるはずだ。
 北の国の軍隊は予定通り不凍港に到着した。
 迎撃してくる敵の船を難なく沈め、港は上陸した兵士たちによっていとも簡単に制圧することができた。
 ヒューエルたちは港の近くに陣を置いたのだが、あまりに簡単に港を制圧できたことを、レフォルトは不気味に思った。
 確かにここは比較的楽に落とせると踏んでいた。だが、簡単すぎる。兵の数も戦艦の数も、予想していたよりもかなり少ない。
「ジョゼ!」
 レフォルトはすぐさまジョゼを呼び出し、こう言った。
「アルドとイーヴの部隊を港から南西の位置に移動させてください。伏兵の匂いがします……」
 港の周りには森が多かったので、兵が隠れるのに最適だった。敵はこちらが油断する夜に夜襲をかけてくるだろうとレフォルトは予想した。
 ジョゼはすぐさまアルドとイーヴの部隊を連れ、南西の森に身を潜めた。
「ヒューエル様、今夜敵が夜襲を仕掛けてくる可能性があります」
「なんだと。港にいた兵士は全員縛り上げたが、まだいるのか」
「はい。いくらここが手薄だったとはいえ、兵士の数があまりにも少なすぎました。敵は伏兵を置いているはずです。斥候の話では、南に三万。数が少ないので勝てるとは思いますが、念のためアルドとイーヴの部隊を南西に移動させました。これで敵を挟み撃ちにできます」
 敵の夜襲は予想外の出来事だが、負ける要素がないので、ヒューエルは慌てなかった。
「分かった。指揮はお前に任せる。敵は私が蹴散らそう」
「了解しました」
 その晩、見張りの兵士が南の方角から敵軍がやって来るのを発見した。わずかだが、松明がちらちらと燃えている。
「レフォルト殿、来ました!」
 兵士が言うと、レフォルトは港にいた部隊全てに進軍命令を下した。
 夜襲でこちらを驚かせるつもりだったが、驚いたのは敵軍のほう。あっと言う間に敵軍はヒューエルたちの軍の勢いにのまれていく。
 港の辺りが騒がしくなってきたことに気付いたジョゼも、アルドとイーヴの部隊に進軍命令を出した。
「待ってたよ、兄さん。さあ、ひと暴れしようか」
 アルドが馬に跨り、先頭を行く。
「ようやく勝ち戦になりそうだ」
 イーヴもその後を追い、自分の部隊を率いて走り出した。
 ジョゼはロベルトと共に、軍隊の一番後ろについて行った。この様子だと、勝ちは確定だ。

 その頃、ラッセは敵の主力軍の様子を見ていた。敵軍は戦に勝利し、約三万の捕虜を手に入れたようだ。
「もう日も暮れているし、奴ら、今夜はここに陣を置くだろう」
 そう予想したラッセだったが、なんと敵軍は三万の捕虜を連れたまま北上し始めた。都に戻るつもりなのだ。
 ここで都に戻られると、レフォルトの作戦は失敗に終わってしまう。しかし、だからと言って自分の部隊だけではどうにもこの大軍を止めることはできない。
「なんてこった。早くレフォルト殿に知らせないと……」
 三万の捕虜を連れた大軍はどのくらいで都に到着してしまうだろう。
 ラッセは地図を広げ、部下が持っていた松明の明かりを頼りに計算しようとした。その時。
「あそこに何かいるぞ! 矢を射ろ!」
 運悪く、敵の誰かが小さな松明の光に気づいた。
「まずい! お前たち、早く逃げろ。レフォルト殿にこのことを報告するんだ。早く!」
 敵の注意を部下から逸らすため、ラッセは松明を持ったままその場に留まった。
 部下が遠くへ去ったのを確認し、ラッセは松明の明かりを消した。だが、敵は目前まで迫って来ていた。
「北の国の斥候だ!」
「殺せ!」
 敵兵の剣がラッセの体を貫く。
「ぐっ」
 動かなくなったラッセの体を、敵兵は軽々と地面に投げ捨てた。

 レフォルトが斥候の報告を聞いたのは、明け方のことだった。彼らの話によれば、敵は三万の捕虜を連れ、都へ向けて北上。今すぐここを出発しても、敵軍が都へ戻る前に一戦交えることは不可能だった。
「敵はもう、都へ戻ってしまうでしょう。……報告ご苦労。それで、ラッセは?」
 レフォルトが問うと、斥候は夜中に起きた出来事を事細かに話した。
「そうですか……。まだ戻って来ていないとなると、事態は相当悪いかもしれません。もう一度、はぐれた場所へ行ってもらえますか?」
 そう命じられた斥候はすぐさま馬を走らせる。どこかですれ違うかもしれないという期待を胸に、野を駆けた。
 ラッセは生きているはずだ。
 みんながそう思っていたが、一日経って斥候が連れて帰って来たのは、動かなくなったラッセの遺体であった。
「ラッセ! おい、嘘だろ……ラッセ!」
 アルドが何度体を揺さぶり声をかけても、ラッセは目を覚まさない。
「ラッセ……」
 イーヴもロベルトも、ラッセが死んだことを信じられず、ただそこに立っていることしかできなかった。
 戦場に立てば死と隣り合わせ。
 兵士になった時から、その言葉を心に刻んで戦ってきた。いつ死んでもおかしくない。そう思いながらも、心のどこかでは自分が死ぬはずがないという気持ちもあった。
 しかし、ラッセの死によって、兄弟たちは自分の背後にも死が迫っているような気がした。
 イーヴやロベルトが立ち尽くす中、ジョゼはそっとラッセの手を取った。
 冷たい……。
 声は出なかったが、ジョゼの口はそう言った。それ以上何も言えず、ただ涙がこぼれた。
 ラッセの死に心を痛めたのは、もちろん兄弟たちだけではなかった。ヒューエルもまた、ラッセの死にひどく心を痛めていた。
「早い……。早すぎる。ラッセが死ぬなど……」
 無邪気な子供から優秀な兵士に育ってくれたラッセ。彼の人生はこれからだったはずなのに。
「ルーシャも悲しむに違いない……。ラッセが、死んだなどと……」
 悲嘆に暮れるヒューエルだったが、隣にいたレフォルトは無表情のままこう言った。
「ラッセの遺体は早急に国へ送ります。ルーシャ様は悲しむでしょうが、戦に兵士の死はつきものです。悲しんでばかりいては先に進みません。どうかこの戦の目的をお忘れなきよう」
「レフォルト……。お前の言うことは正しいかもしれないが、少し冷たすぎやしないか。ラッセの……優秀な兵士の死は悲しむべきものだ」
 ヒューエルの言葉に同意するようレフォルトは頷いたが、表情は変わらない。
「そうですね。でも、ここで立ち止まるわけにはいかないのです。ラッセの死を無駄にしないために……!」
 無表情だったレフォルトの瞳が揺れる。必死に隠そうとしているが、レフォルトもラッセの死を悲しんでいたのだった。
 それに気づいたヒューエルは、レフォルトの肩を叩いた。
「分かった……。レフォルト……先へ進もう。必ず敵軍を倒すのだ」
「はい、ヒューエル様」
 レフォルトは姿勢を正し、力強い眼差しでヒューエルを見た。
「当初の作戦はもう使えません。しかし、私に考えがあります」
 レフォルトは至急、ジョゼ、アルド、イーヴを呼び出し、今後の作戦を説明した。
「敵は三万の捕虜とともに都に立て籠もってしまいました。態勢を立て直してこちらに攻めて来れば、また撤退せざるを得なくなってしまいます。今回こそは確実に勝利したい。その為には、敵を内部から崩す必要があります」
 そこまで言うと、ジョゼにはなんとなくレフォルトの考えていることが分かってきた。本当にやるつもりなのだろうか。
「敵は数が多いとはいえ、先の戦いで多くの兵士を失い疲弊しています。今動ける兵士の大半は捕虜です。そこで、私が敵軍内に潜入し、捕虜をこちらに寝返らせようと思います。そうすれば敵は内部争いを起こし、固く閉ざされた門も容易く開くことでしょう」
「そこをヒューエル様の部隊で一気に叩くってことか?」
 アルドが言う。
「そうです。突撃の合図のために、私は倉庫に火を放ちます」
 レフォルトの説明を聞き、アルドはううんと唸った。
「それじゃあレフォルト殿、あんたものすごく危険じゃないか」
 軽い物言いだったが、それはこの場にいた誰もが思っていたことであった。レフォルトが苦笑する。
「危険……。そうですね。でも、これは私にやらせてください。必ず成功させますから」
 そう言ってレフォルトがヒューエルを見ると、複雑な表情をしている。少し考え、ヒューエルは腕組みをしたまま頷いた。
「うむ……。お前がそう言うのなら、任せよう。信用している」
「じゃあさ」
 ヒューエルに続き、アルドも口を開いた。
「あんたの護衛として俺もついて行くよ。その方が安心だろ?」
「アルドも行くなら僕も……」
 すかさずイーヴも名乗りを上げたが、アルドはそれを却下した。
「ばか! お前までいなくなったら部隊を率いるヤツがいなくなるじゃないか」
「あ、そっか……」
 二人のやり取りに、さすがのレフォルトも思わず笑みをこぼした。
「ありがとうございます。では、敵の都へは私とアルドで行くことにしましょう。ヒューエル様、よろしいですか?」
「いいだろう。お前たち二人に任せる」
 こうしてレフォルトとアルドの二人は、共に都に潜入することとなった。
 話が済んだあと、ジョゼは羊皮紙を手に、レフォルトに迫った。
 お兄さん、危険です。やめてください。お兄さんが行く必要はないはずです。他の人に任せることはできませんか。
 レフォルトは首を横に振った。
「いいえ、ジョゼ。できません。こればかりは……。私が行きます。行かなければいけないのです」
 ジョゼにはレフォルトの気持ちがまるで分からなかった。下手をすれば命を落としかねない行為なのだ。一国の宰相が自ら行く必要はない。ジョゼはそう思っていたのだ。
 しかし、レフォルトも譲らなかった。
「宰相だから……いえ、私だから行くのです」
 レフォルトはすでに覚悟を決めているらしく、ジョゼの言葉を受け入れることはなかった。
「分かってください、ジョゼ」
 そう言われてしまい、ジョゼにはこれ以上レフォルトを止めることはできなかった。
 ヒューエルにも抗議したが、レフォルトなら大丈夫の一点張りで話にならない。
 出発は明日。ジョゼは諦めるしかなかった。

 翌朝、ヒューエルやジョゼに見送られる中、レフォルトとアルドは敵の都へ向けて出発した。
 別れ際、レフォルトはジョゼに向かって言った。
「後を頼みます」
 そう言い残し、レフォルトは陣営を後にする。ジョゼがとても悲しそうな顔をしていたので耐えられず、目を逸らした。
 レフォルトとアルドは捕虜になりすまし、都へ侵入する。
 途中、都の門の手前で馬から降りる。
「ここに馬を繋いでください」
「え? どうして」
「いいから」
 レフォルトに言われるまま、アルドは傍にあった木に馬を繋いだ。
 するとレフォルトは持ってきた食糧を馬の傍に置き、馬がいつでも食べられるようにした。
 そこから二人は徒歩で都へ向かう。
捕虜に紛れるだけなら実に簡単なことであった。
 兵士の恰好をして門の近くをうろついていると、敵兵に声を掛けられる。
「なんだ、まだ捕虜が残っていたのか。おいお前たち」
 兵士に呼び止められ、レフォルトが言う。
「他のみんなはどこですか?」
「捕虜は全員都の中の兵舎にいる。まったく、数ばかり多くて何の役にも立たない奴らばかりだ……」
 敵兵はぶつぶつ言いながらも、二人を兵舎へ案内する。途中、こんなことを言っていた。
「将軍が殺すなって言うから我慢しているが、俺は捕虜なんてさっさと殺してしまえばいいと思うがね。お前らも、生きていられるのは今のうちだと思えよ」
 そう言うと、敵兵は二人を兵舎の一室に放り込み、さっさとどこかへ行ってしまった。
 とりあえず潜入することに成功した二人は、ほっと胸を撫で下ろした。
「上手く潜り込めましたね」
「はい。ですが、ここからが大変です。なんとか上手くやりましょう。とりあえず、ここで数日普通に生活します」
 二人は他の捕虜に混じり、この宿舎で生活を始めた。
 捕虜たちの待遇は思ったよりも良く、与えられる食べ物も普通の兵士が食べるのと変わらない。捕虜たちはすっかりこの国での生活に満足しているかに見えた。
「捕虜たちを動かすのは簡単じゃなさそうですね……」
「なんとかなりますって! 時間もないし説得しなきゃなんない数も多いし、ほら、さっさと手分けしてなんとかしましょうよ」
 アルドの言う通り、こちらには時間がない。早く戦いを終わらせなければ、ヒューエル軍の兵糧が尽きる。兵士の士気も落ちるだろう。
 レフォルトはアルドと手分けをして情報収集をすることにした。まずは同じ部屋にいた捕虜と話をする。
「軍師はもうすぐ俺たちの都を落とすところだったが、なんだか北の国の軍が領土に侵入したって言うんで、急いでここへ戻って来たのさ」
「俺たち負けてたけど、それなりに奮闘してたんだぜ。その証拠に、軍師は自分の軍の兵力が足りないもんだから俺ら捕虜を連れて来たんだ」
 彼らの話を聞くと、軍師の主力軍は弱っているように思える。やはり今が絶好の機会だ。
 捕虜に話を聞いて回るレフォルトとアルドに声を掛ける者がいた。もとは捕虜たちを率いていた将軍で、パーヴェルという男だった。
 パーヴェルはレフォルトとアルドを呼び出し、他の捕虜に聞こえないよう小さな声で言った。
「あんたたち、オレの部隊の兵士じゃないな?」
 鋭いこの質問になんと答えようかレフォルトが考えていると、なんとアルドが素直に頷いた。
「そうだよ」
 あまりに簡単に白状したので、パーヴェルは思わず大口を開けて笑った。何事かと、周りにいた捕虜たちがこちらに注目する。
「あんた、潔いな。気に入ったぞ」
 パーヴェルはレフォルトに向き直り、再び口を開く。
「これはオレの予想だが、あんたたち二人は北の国の人間だろ?」
「お察しの通りです」
 レフォルトが言うと、パーヴェルはにんまり笑う。
「やっぱりそうか。あんたたちはオレたち捕虜の力が必要なはず。そうだろ?」
 少し戸惑いながらもレフォルトが頷くと、パーヴェルは周りの捕虜たちにも聞こえるよう、こう言った。
「オレたちと取引しないか?」
「取引?」
 レフォルトが首を傾げる。
「そうだ、取引だ。オレたち捕虜は北の国がこの国を落とす手伝いをする。その代わり、戦が終わったらオレたちを国へ帰してくれ。今はここで人並みの生活をしているが、いつ殺されるか分からない。オレたちは国へ帰りたいんだ!」
 これは北の国にとって悪い話ではなかった。欲しいのは捕虜ではなく、この国だ。
「分かりました。我が王にもそう伝えます」
 レフォルトの返事に、将軍をはじめ他の捕虜たちも喜びの声を上げた。
「ありがたい。早速他の捕虜にも伝えよう」
 パーヴェルは数人の捕虜を選び、この話を伝達するよう命じた。
「あの……。なぜ私たちが捕虜ではないと分かったのですか?」
「ん? そりゃ、お前がオレの部隊の兵士にしちゃお上品すぎるからよ」
「お、お上品……」
 レフォルトは顔を赤くして俯いたが、パーヴェルは笑っていた。
 この話はすぐに捕虜全員に伝わった。パーヴェルが今すぐにでも戦えると言うので、レフォルトは数人の捕虜も交え、作戦会議を開いた。
「あなたたちには都の門を開いてもらいます。まず、城の警備が手薄になる夜に、武器庫から武器を奪います。見張りの兵士はしっかり縛り上げてどこかへ閉じ込めてください」
「おう、任せとけ。オレたちはそういうの得意だぞ」
 パーヴェルが自信ありげに言う。レフォルトは話を続けた。
「そして日が昇ったら北門へ行き、門を開けてください。この国の動ける兵士は少ないので、なんとかやれるはずです」
「門を開けた後は?」
 話を聞いていた捕虜がレフォルトに問うた。
「門が開けば、我が王の軍がすぐこの都に攻め込みます。そうすれば、この国が落ちるのは時間の問題になるでしょう」
 みんなが納得するのを見て、さらにレフォルトは言葉を続ける。
「門が開いたら、私は倉庫に火を放ちます。これは敵兵の戦意を削ぐのと、我が王の軍に突撃の合図を出すという意味があります。パーヴェル殿、油を調達することはできますか?」
「お、おう。できるぜ。油をちょろまかすのは簡単だが、あんた……」
 パーヴェルが言葉を詰まらせる。その様子に、レフォルトは苦笑した。
「危険だと、おっしゃりたいのでしょう。しかし、いくら敵の兵が少ないとはいえ、あなたたちだけで長い間持ちこたえることは難しい。城に火の手が上がれば、敵はそちらにも兵を回さざるを得ません。分かりますね?」
 そう言ってレフォルトはみんなの顔を見回した。レフォルトの真剣な眼差しに、パーヴェルもアルドも何も言い返すことができなかった。
 捕虜になったとはいえ、ここにいる者たちは百戦錬磨の戦士。レフォルトの行動がどれだけ危険かは身を持って知っている。
「作戦決行は今夜です。みなさん、上手くやってください」

 その夜。捕虜の一人が見張りの目をかいくぐって都を脱出した。彼は作戦をヒューエルに伝える役目をレフォルトから授かっている。
 レフォルトに指示された場所へ行くと、木の傍に馬が繋がれていた。
「あの人……用意がいいな」
 彼はそう呟くと、ヒューエルが軍隊を置いている港近くまで馬を走らせた。

 一方その頃、他の捕虜たちは武器庫制圧に成功していた。見張りの兵士数人を力ずくで倒し、物音を立てないように武器庫から武器を運び出す。
 その見事な連携に、さすがのレフォルトも驚いた。
「部隊がよく統率されています。素晴らしいです」
「そうだろそうだろ。優秀な部下ばっかりでオレは嬉しいぜ」
 持ち出した武器は捕虜全員に配られた。レフォルトとアルドも剣と甲冑を身に着ける。
 戦いの用意をしていると、大きな樽を持った捕虜が部屋に入って来た。
「これ、頼まれていた油です」
「ありがとうございます。これだけあれば、問題ないでしょう」
 レフォルトはその樽をアルドに持たせることにした。
 やがて夜が明ける。ここからは別行動となるパーヴェルがレフォルトに言った。
「オレたちが敵を混乱させてる間に、上手く火をつけるんだぜ。戦いが終わったらまた会おう」
 そう言うとパーヴェルは捕虜たちを引き連れ、まずは都の門に向かって突撃した。
 守りの手薄な門はすぐに捕虜たちによってこじ開けられ、都は大混乱となった。都の中心部からも次々に兵士が出てくる。
「行きましょう、アルド」
「はいよ」
 二人はなるべく兵士に見つからぬよう、隠れながら城の中を進む。背後を取られてはまずいのでアルドを先頭にして進んだ。
「逃げ出した捕虜がいたぞ!」
「殺せー!」
「うわっ! レフォルト殿、敵兵が来た!」
 巡回していた数人の兵士に見つかるも、レフォルトが難なくそれを撃破する。
樽を背負っているアルドはあまり役に立たない。
 普段あまりレフォルトの戦う姿を見ることはないアルドは、その強さにただただ感心するばかりだった。
「レフォルト殿、強いじゃないか。頭がいいだけでなく強いなんて、ずるい!」
 アルドの言葉に、レフォルトは思わず声を出して笑う。
「頭がいいだけの宰相では、ヒューエル様に長く仕えることはできません。あの人の無茶に付き合う体力も必要なんですよ」
「なるほど……。分かる気がする」
 こんな時なのに、アルドはもっとレフォルトと話がしたいと思った。今まで口うるさい大人だとしか思っていなかったが、これからは上手くやっていけるような気がしたのだ。
「レフォルト殿、俺、あんたを誤解してたよ。戦いが終わって国へ帰ったら、剣の相手をしてくれる?」
 レフォルトは一瞬困ったような顔したが、すぐに笑顔で「はい」と、答えた。
 二人は目的の倉庫に着くと、すぐに樽を開けた。
「ここで火の手が上がれば、ヒューエル様にも見えるはずです。急ぎましょう」
「了解。油をまくよ」
 アルドが樽を持ち上げた時、
「貴様ら……。何をしている」
 レフォルトが声のする方へ顔を向けると、そこにいたのは敵軍師だった。
 二人の動きが止まる。
「こざかしい捕虜共め……。いや、お前は捕虜じゃない。北の国のスパイか」
 軍師は笑った。
「アルド、早く火を!」
 腰の剣を抜き、レフォルトが叫ぶ。
 アルドははっと我に返り、樽の中の油をそこかしこにぶちまけた。そして、ポケットから火打石を取り出す。
 ぶるぶると手が震え、なかなか火をつけることができない。
「う、うぅ……」
 何度も石を擦り合せる。そうしている間に、レフォルトは軍師と剣を交えた。金属が激しくぶつかり合う音がする。
「レ、レフォルト殿!」
「早く……アルド、早く!」
 剣を交えながら、軍師がにやりと笑う。
「レフォルト? お前は北の国の宰相か! 宰相自ら敵国へ乗り込んでくるなど、気が狂ったか!」
 軍師の罵倒を聞き流し、レフォルトは必死に剣を振るう。アルドはまだ火をつけられずにいる。
 レフォルトは軍師の首目がけて剣を繰り出すが、いとも簡単に弾かれてしまう。やはり、強い。
 軍師の方は本気でレフォルトを叩き斬ろうとしている。脳天目がけて振り下ろされる一撃は恐ろしい。だが、そこが軍師の隙だった。
 相手が剣を振り上げた瞬間、レフォルトは咄嗟にその懐へ飛び込んだ。そして、剣を軍師の胴体に深々と突き刺す。
 レフォルトは軍師の顔を見上げた。
 軍師は不敵な笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「ぐぅっ!」
 レフォルトの背中に強烈な痛みが走る。それと同時に、燃え上がるような熱さも感じた。アルドがようやく火を放ったのだ。
「レフォルト殿! こ、こいつ!」
 アルドは剣を握り締め、軍師に切りかかる。軍師はレフォルトの体を地に叩き落とし、アルドを迎え撃とうとした。
 しかし、アルドの方が速かった。アルドの剣の切っ先が、軍師の喉笛を切り裂いた。
 鮮血が散る。
 軍師は地に倒れ、動かなくなった。
 アルドは倒れたレフォルトを抱き起す。背中には深い刺し傷があった。レフォルトが将軍の懐に飛び込んだ時、背中を深々と刺されたのだ。
「レフォルト殿! レフォルト殿!」
 アルドが必死に声をかける。レフォルトはうっすらと目を開けた。
 よかった。生きている。
 アルドがほっと息を吐こうとしたその時、レフォルトは激しく吐血した。
「……さま」
「レフォルト殿、喋っちゃいけません。今、今人を……」
 アルドはおろおろと周囲を見回すが、誰もいない。早くここを離れなければ、自分たちまで炎の餌食になってしまう。
 アルドはレフォルトを抱いたまま、火の気のない場所まで移動する。アルドの甲冑はレフォルトの血で真っ赤に染まった。
「レフォルト殿、死なないでください。今助けを呼びますから!」
 アルドはレフォルトの口元の血を必死に拭う。すると、レフォルトが声を発した。
「……った。私は……」
「喋ったら駄目だって……!」
 レフォルトの表情を見て、アルドは言葉を失った。
 笑っている。
 何かに満足しているような、そんな笑みを浮かべていた。
「ヒューエル様……」
 アルドはレフォルトの言葉に耳を傾けた。
「私は……し……」
 レフォルトは再び吐血する。
 それでも、微笑んだまま。
 アルドは声を掛けようとしたが、一瞬それをためらった。
「……で……す。ヒューエル様……」
 断片的な言葉を残し、レフォルトは静かに目を閉じた。






 アルドはレフォルトの体を抱いたまま、仲間の元へ向けて歩き出す。剣がぶつかり合う音も兵士たちの歓声も、今の彼には何も聞こえない。



彼は眠っただけだ。




 誰か、そう言ってはくれないか。
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