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ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  11

 ヒューエルとルーシャが結婚して五年、北の国の内政は劇的に変化した。
 グロムナート王国で学んだ技術を使って船や武器をつくり、昔に比べて戦争にはめっぽう強くなった。
 戦争によって北の国の領土は拡大していったが、長きに渡る戦いは国の財政を圧迫し、民を疲弊させた。
「今の状態で戦を続ければ、勝てるものも勝てなくなります。兵や民に休息を与えましょう」
 軍事会議でレフォルトがそう言ったのを聞き入れ、五年間戦続きだったこの国に、しばし休息の時が訪れた。
 ルーシャはいつも着ている重いドレスを脱ぎ、農民時代のような軽装でこっそり部屋を抜け出した。
 向かった先は馬小屋。
「ねえ、馬を一頭貸してくれないかしら」
「ルーシャ様! 馬なんてどうするんです?」
 馬小屋でルーシャに声をかけられたのは、ヒューエルに歯を抜かれた調教師の彼だった。
「どうするって、乗るに決まってるじゃない! できればおとなしい子を貸してもらえると嬉しいんだけど」
 調教師はルーシャに言われるがまま、自分が一番だと思う馬を連れて来た。
「ルーシャ様にはこいつが一番いいと思うのですが」
「ありがと!」
 ルーシャが馬に跨ったその時。
「ルーシャ様! ルーシャ様!」
 侍女が慌てた様子で馬小屋の方へ駆けて来る。
「お部屋にいらっしゃらないと思ったらこんな所に……。お城にお戻りください!」
 侍女の姿を見たルーシャは、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「もう見つかっちゃった! じゃ、私行くわね。夜までには返しに来るわ」
「ど、どちらへお出かけになるのですか?」
「村の畑よ!」
 ルーシャは手綱を引いた。
「お一人では危険です!」
 今になってようやく調教師が止めたが、馬は走り出す。ルーシャは心配そうな声を出した彼を振り返った。
「王だって戦場へ行くわ。それに比べたら、村の畑に危険なんてありません。大丈夫!」
 そう言い残し、ルーシャは颯爽と馬で駆けて行ってしまった。入れ違いに侍女が馬小屋へやって来る。
「なんで止めてくれなかったんですか! ヒューエル様に怒られ……」
 侍女はそこまで言って首を傾げた。ルーシャが村の畑に行くために城を抜け出したと聞いて、果たしてヒューエルは怒るだろうか。
 考え込む侍女に、調教師が言った。
「あの……。追いかけるならもう一頭貸しますけど」
 彼の言葉に侍女ははっとする。
 抜け出したことより、出先でルーシャが怪我をしたり、いなくなったりした方が大変だ。怒られるだけでは済まない。
 侍女は調教師に馬を借り、大急ぎでルーシャの後を追って行った。

「なーんだ。あなたも一緒に来たいなら初めから言ってくれればよかったのに」
 やっとのことで追いついた侍女に、ルーシャは笑いながらそう言った。
「行きたいもなにも、ルーシャ様が急に出て行ってしまうから……。もしものことがあったら大変なんですよ!」
「ごめんごめん」
 侍女は怒っていたが、ルーシャのことは決して嫌いではなかった。
 ルーシャは侍女や下僕など、召使いに対してとても優しかった。誰にでも気さくに声を掛けてくれたし、時々彼らの仕事を手伝うこともあった。自分でできることは自分でやる主義なのか、侍女たちの手を煩わせることも少なかった。
 畑仕事の手伝いもルーシャのお節介の一つ。ルーシャは農民たちに、効率よく作物を育てる方法を教え、そのおかげで作物の収穫率はかなり良くなっていた。
 今日ルーシャが村に来たのは、村の作物の収穫を手伝うためだった。
「ルーシャ様! 本当に来てくれたんですね」
 農民の一人が馬に乗ったルーシャを見つけ、駆け寄って来た。
「収穫期になったらまた来るって約束したもの。今日はもう一人、手伝いを連れて来たのよ」
 ルーシャにそう紹介され、侍女は農民に向かって苦笑いを浮かべた。
「それはありがたいです。ルーシャ様が来てくれると、みんな喜ぶんですよ」
 ルーシャと侍女は農民たちと一緒に、畑に実った麦の収穫を手伝うことになった。
 侍女はルーシャにやり方を教えてもらい、黙々と麦を刈る。城の中ではこんなことをやる機会はないので、なんだか新鮮だった。
 子供たちに囲まれるルーシャを見て、やはりここでもルーシャは人気者なのだな、と、侍女は思う。
 収穫は日暮れ前に終わり、二人は馬に乗って城を目指した。帰りが遅くなっては、さすがのヒューエルも心配するだろう。
 二人は来た時と同じようにお喋りをしていたが、急にルーシャが大きなため息をついた。
「どうなさったんですか? さすがのルーシャ様もお疲れでしょうか」
 侍女が言うと、ルーシャは首を横に振った。
「ううん。疲れてはないんだけど……。ねえ……私、最近太ったかな?」
「え?」
 唐突な質問に、侍女は戸惑った。すぐに答えられないでいると、ルーシャが言葉を続ける。
「どのドレスも少しきつい気がするの。どうしてかな……」
 侍女はルーシャをまじまじと見たが、特に太ったという印象は受けない。そうすると、心当たりは一つしかなかった。
「もしかしたらルーシャ様、妊娠なさったのかも……」
「妊娠! まさか……」
 次の日、侍女はルーシャのために医者を呼んだ。もし本当に妊娠しているのであれば一大事。このことは、あらかじめヒューエルにも伝えられていた。
 ヒューエルと侍女が見守る中、医者の診断結果が告げられる。
「おめでとうございます、ルーシャ様。妊娠しておりますよ」
「ほ、本当に?」
「でかしたルーシャ! 偉いぞ、すごいぞ!」
 戸惑うルーシャの隣で、ヒューエルは大喜びだった。人目も気にせず、ルーシャを抱きしめる。
「今日からは安静にしてください。産まれるまでにはあと五、六ヶ月かかるでしょう」
 喜ぶヒューエルとは反対に、ルーシャは妊娠した自覚が全くなく、不安さえ感じていた。
「今まで全然気づかなくて、結構無茶をしてたんだけど……。大丈夫なのかな」
「過ぎたことを悩んでも仕方ない。今から気を付ければ大丈夫さ」
「そう、だね」
 その日からルーシャは馬に乗るのをやめ、激しい運動は一切しないよう配慮した。
 ルーシャは部屋で、城にいる出産経験のある女性たちと話すのが日課になっていった。
 彼女たちは口ぐちに同じようなことを言った。
「今は実感がないかもしれませんが、だんだんお腹の子を愛おしいと思える時が来ますよ」
 そういうものなのだろうか。
 ルーシャは一人考える。時間が経つにつれ大きくなるお腹を見て、自分の中で子供が育っているのかとは思うも、なんだか他人事のように思えて仕方ない。
 この子を産んで母になれば、また違った感情が芽生えるものなのか。妊娠発覚後四ヶ月ほど経っても、お腹の子が愛おしいなどという感情は一切なかった。
 しかし、子供の誕生を一番楽しみにしているヒューエルの前で、そんなことは口が裂けても言えなかった。
 ヒューエルはすでに、子供の名前まで考えていたのだ。
「男の子が生まれたらアレクセイ。女の子が生まれたらメディアという名をつけよう。ルーシャ、お前はどんな名がいいと思う?」
 そう聞かれ、ルーシャはただ、「ヒューエルが決めた名前がいいわ。きっとこの子も喜ぶもの」と、答えることしかできなかった。
 母親になる心の準備が完全に整わないまま、その日はやってきた。産む時は死ぬほど痛いとか、ものすごく時間がかかると聞いていたのに、ルーシャは二時間ほどで出産を終えた。
もちろん痛みはあったものの、みんなが言うほどの痛みには感じられなかった。
 生まれた赤ん坊がルーシャに手渡される。生まれたのは女の子だった。
 これでようやく子供に対する愛情が生まれるのか。そう思いながら赤ん坊の顔を見て、ルーシャはぎょっとした。
 赤ん坊の瞳は濃い紫色をしていた。
 駆けつけたヒューエルも、この赤ん坊の瞳を見て言葉を失った。
「私の目もヒューエルの目も、こんな色じゃないわ。どうして……」
「分からない……が、まだ生まれたばかりだ。もう少しすれば、お前によく似てくるに決まってる。だって、女の子じゃないか……」

 メディアと名付けられたその子は元気に成長したが、ヒューエルの願いは叶わず、ルーシャに似ることはなかった。それどころかヒューエルにさえ似ていない。
 紫色の瞳に真っ白な肌。長く伸びた綺麗な髪も、瞳と同じ色をしていた。
 ヒューエルとルーシャをはじめ、城の者たちもメディアを気味悪がった。それでもメディアがこの国の姫であるという事実は変わらないので、侍女や教育係りは必要最低限の世話をしてやったが、それだけだった。
 ヒューエルは相変わらず公務で忙しいし、母であるルーシャもあまり構ってくれないので、メディアはいつもひとりぼっちだった。
 もうすぐ四歳になるというのに、友達さえいない。幼い侍女も、メディアの遊び相手にはなってくれなかった。
 それでも、遊び相手を探すべく、メディアは今日も城を駆けまわる。だが、仕事をさぼってお喋りをしていた侍女たちは、メディアの姿を見つけるとそそくさと仕事に戻ってしまう。誰もメディアに構ってくれる人はいそうになかった。
 メディアは仕方なく城の中にある図書館へ行く。あの人ならいるかもしれない。そう思った。
 メディアが図書館の扉を開けると、彼はいた。彼は本を読むのが日課らしく、いつもここにいた。
「ジョゼー!」
 駆けて来るメディアを、ジョゼはしっかり抱きとめた。
「やっぱりここにいた!」
 ジョゼはメディアが唯一友人と呼べる人物だった。ヒューエルとルーシャがメディアを疎んじる中、ジョゼは自らすすんでメディアの世話役を買って出たのだ。
 ルーシャは我が子を愛せない自分に罪悪感があったので、ジョゼの申し出を聞き入れたのだった。
 この城にやって来てから九年。ジョゼはもう、二十四歳の青年になっていた。
 本を読むジョゼの隣でメディアは、自分もお気に入りの本を読んだり、絵を描いたりして過ごした。
 幼いメディアもジョゼが話をすることができないのは理解していた。お喋りができないことを不満に思うこともあったが、ジョゼの隣で静かな時間を過ごすのも大好きだった。メディアがこの歳にして一生懸命文字を覚えたのは、ジョゼと筆談したかったからであった。
 ジョゼに勉強を教えてもらうこともあったが、それはなかなか根気が必要だった。
 何しろ筆談なので、メディアが一度で理解できないと、ジョゼは何度も同じことを書かなければいけなくなる。メディアが理解できるように何度も言葉を変え、ジョゼは丁寧に説明してくれた。
「ジョゼは誰に勉強を教えてもらったの?」
 メディアが問うと、ジョゼは羽ペンを手に取り、羊皮紙に文字を書く。
 宰相のレフォルト殿だよ。君のお父さんのお友達。
「そうなの? わたし、レフォルト殿とはお話したことないの。だって、いっつも難しいお顔をしているから」
 メディアの言葉に、ジョゼはくすくす笑った。
 うん。いつも難しいことを考えているよ。レフォルト殿はこの国の未来を考えているんだ。
 ジョゼはちょっと考えて、再び羽ペンを動かす。
 今度、話してみる? とても優しい人だよ。
「いいの? レフォルト殿も、わたしにお勉強教えてくれるかな?」
 嬉しそうに言うメディアに、ジョゼは優しく微笑みかけた。
 レフォルトは毎日とても忙しく働いていた。今は、ヒューエルが始めようとしている戦の準備をしているはずだ。しかし、ほんの少しの時間であれば会ってくれるかもしれない。
 ジョゼはメディアを連れてレフォルトのもとへ行ってみることにした。忙しいレフォルトに配慮して、仕事が落ち着く夜に二人は訪ねて行った。
 ジョゼが控えめに扉を叩くと、中からレフォルトの声がした。
「どうぞ、お入りなさい」
 レフォルトは書き物をする手を止めず、顔を上げることもしないで言った。
「ジョゼ、あなたでしたか。ノックの仕方でヒューエル様ではないのは分かりましたが……」
 ジョゼが机まで歩み寄ると、ようやくレフォルトは顔を上げた。ジョゼを見て、そして隣にいるメディアを見た。
「これはこれは。メディア様ではありませんか!」
 意外にも、レフォルトはメディアを見てにっこり微笑んだ。
「レフォルト殿、こんばんは」
 メディアが挨拶をすると、レフォルトは立ち上がって礼をした。
「メディア様、あなたにお目にかかるのは本当に久しぶりです。いつもジョゼが傍についているのは知っていましたが、お元気そうでなによりです」
 笑顔で話してくれるレフォルトに、メディアは嬉しくて仕方がない様子だった。
「レフォルト殿、あのね……。ジョゼに勉強を教えてあげたのはレフォルト殿なんでしょ? わたしにも、教えてほしいな」
 紫色の瞳がレフォルトを見上げる。実の両親に忌み嫌われたその目を、レフォルトは嫌いになれなかった。
「勉強? ここへ来れば、いつでも教えてあげます。ただし、少し厳しいですが」
 そう言ってレフォルトがちょっと意地悪く微笑む。
厳しいという言葉が聞こえなかったのか、メディアは飛び跳ねて喜んだ。
「ジョゼ、レフォルト殿が勉強を教えてくれるって!」
はしゃくメディアの頭を、ジョゼがぽんぽん撫でる。
 その後、ジョゼがメディアを部屋へ連れて帰る間もずっと興奮がおさまらない様子だった。ジョゼが部屋を出て行く時、メディアはぽつりとつぶやいた。
「お友達、増えたんだね……」
 メディアを送ったあと、ジョゼはレフォルトの部屋へ戻った。久しぶりにレフォルトとゆっくり話したいと思ったのだ。
 椅子に座ると、ジョゼは羽ペンと羊皮紙を取り出した。
「意外……ですか? 私が姫様を嫌わないのが」
 レフォルトが言う。
 メディアが生まれてから、ジョゼ以外の人間は彼女に関わろうとさえしない。ジョゼは、レフォルトもそのうちの一人だと思っていた。そう思わざるを得ないほど、今までレフォルトとメディアの接点はなかった。
 ジョゼが羊皮紙をレフォルトの方へ差し出す。
 お兄さんは、メディアとあまり関わらないから。
「そうですね。私自身仕事が忙しいこともありましたが……。やはり、ヒューエル様とルーシャ様が良く思っていませんからね」
 ジョゼは羽ペンを置き、残念そうに頷いた。
「でも、勘違いしないでください。私は他の者のように、姫様を嫌ってはいません。むしろなぜみんながあれほどまでに姫様を嫌うのか、理解に苦しみます」
 ジョゼが再び羽ペンを手に取る。
 僕もそう思います。
「ルーシャ様は時々姫様のことを気にかけているようですが、ヒューエル様は無関心……。生まれる前はあんなに楽しみにしていたのに、なぜなのでしょう」
 そう言って二人は俯いた。ここでこんなことを話したとしても、それをヒューエルに問うことも、意見することもできなかった。
 僕たちが傍にいてあげるのが一番だと思います。
「今はそれが一番でしょうね。私もなるべく姫様のために時間を作りましょう」
 ジョゼはレフォルトに礼を言って部屋を後にした。
 レフォルトがメディアの味方でいてくれれば、何かと心強い。
 将来メディアが女王になることを考えれば、今ジョゼにできることは城の中にメディアの味方を作ることだった。そして、間違ってもメディアが命を落とすようなことは、なんとしても避けなければいけなかった。
 しかし、ジョゼの不安は見事に的中する。
 ある晴れた日の昼、ヒューエルは兵士たちと狩りに行く準備をしていた。そこへ、遊び相手を探していたメディアがひょっこり現れた。
「お父様、お出かけですか?」
 メディアの姿を見たヒューエルは眉をひそめ、ぶっきらぼうに答える。
「狩りをするために森へ行くのだ」
「狩り?」
 メディアはその言葉に興味津々だった。ヒューエルの後をついて回り、めったにしないおねだりをする。
「お父様、私も一緒に連れて行ってくださいな。狩りがどんなものなのか、見てみたいです」
 ヒューエルは鬱陶しそうにそれを断ったが、何度かねだられるうちに、ふと、ある考えが浮かぶ。
「分かった分かった。そんなに言うのならお前も一緒に来い」
 それは、父としてあるまじき行為だったが、メディアは大好きな父と出かけられるのが嬉しかった。
 ヒューエルはメディアを自分の馬に乗せ、その他に兵士二人を連れて森へ出発した。
 いつもはあまりメディアと話をしないヒューエルだったが、今日はなぜか上機嫌でメディアのお喋りに付き合った。
 幼いメディアはそれに疑問を持つことはなかった。
 やがて森に着くと、ヒューエルは兵士から離れた場所でメディアを馬から降ろした。
「少しここで待っていろ。すぐ迎えに来る」
 メディアは少し不安になったが、父の言うことは絶対。素直に頷き、去って行く父の後ろ姿を見ていた。
 父の姿が見えなくなった頃、笛の音が聞こえた。何事かと思っていると、すぐに馬の蹄の音も聞こえてきた。
「なんだ、お父様ったらもう迎えに来たのね」
 音がする方向へ体を向けたその時、数本の矢がメディア目がけて飛んできた。
「ひっ」
 声を上げる間もなく、メディアは地面に倒れた。
 蹄の音が遠ざかって行く。
「お……と……」
 メディアは必死に体を動かすが、なぜか頭が上がらない。矢の一本がメディアの首を貫通していたのだ。
「まっ……て……」
 メディアは一人、森に取り残された。

 ちょうどその頃、ジョゼは図書館でメディアが来るのを待っていた。いつもならもうここへ来る時間だが、今日はやけに遅い。
 探しに行こうかと思っていたら、レフォルトが血相を変えて図書館に飛び込んで来た。
「ジョゼ! す、すぐに、今すぐに森へ向かってください!」
 レフォルトに腕を引かれ、何が何だか分からぬまま図書館を飛び出す。
「ヒューエル様が姫様連れて狩りに出かけたらしいのです。良くない予感がします」
 それを聞き、ジョゼの背筋が凍った。
「ロベルトを城門で待たせています。先に行ってください」
 ジョゼは頷き、ロベルトの待つ城門へ向かう。ロベルトは馬を二頭用意し、ジョゼが来るのを待っていた。
「お兄さん、乗ってください」
 ジョゼが馬に乗ると、ロベルトが持っていた剣を差し出す。
「何かあるかもしれないので、持っていてくださいね」
 ジョゼはちょっと困った顔しながらも、それを受け取る。
二人は勉強だけでなく剣も習ったが、こればかりはロベルトの方が上達が早かった。ジョゼはあまり剣が得意ではない。
 ジョゼに剣を渡したロベルトも馬に乗る。すると、途中で別れたレフォルトが二人に追いついた。
「一緒に連れて行きなさい。きっと役に立ちます」
 レフォルトが二人のために連れて来たのは猟犬だった。一見凶暴そうだが、よく訓練された犬だ。
「ではレフォルト殿、行って参ります」
「お願いします。なるべく急いでください」
 ロベルトが馬を走らせ、ジョゼがそれに続く。
 ジョゼがピーっと指笛を吹くと、猟犬が馬の後を追うようについて来た。
 森に着くと、二人は辺りを見回しながら馬を止めた。
「どこから探しましょうか。森は広いですよ……」
 二手に分かれて探そうか。そう考えていた時、突然犬が吠えながら森の中へ走って行った。
「あ! こら!」
 ロベルトが犬を追いかける。ジョゼもすかさずそれに続いた。
 しばらく走ると、犬は一本の木の傍で吠えながら二人を待っていた。
 ジョゼとロベルトは馬を降り、犬の方へ駆けて行く。
「こ、これは……!」
 目の前の光景に目を疑うロベルト。ジョゼは血まみれてそこに倒れているメディアを抱き起した。
「……!」
 ジョゼは思わず息を飲む。小さな体に二本の矢。あとの一本は首を貫通していた。幸い、首と胴体が繋がっていたのは奇跡だった。
「な、なんと酷い……。まさか、ヒューエル様が?」
 ロベルトの言葉に、ジョゼは首を振る。
 まさか……。そんなこと、信じたくもなかった。
 ジョゼは開いたままだったメディアの瞼を閉じ、冷たくなった体を抱きしめた。
 ジョゼはメディアの遺体を抱いたまま馬に乗り、城へと戻った。
 人目につかないようメディアを部屋まで運び、ロベルトにはヒューエルを呼んでくるよう頼んだ。
 ジョゼがメディアを抱いたまま待っていると、ロベルトと共にヒューエルがやって来た。レフォルトも一緒だ。
 レフォルトはメディアの姿を見て言葉を失い、ヒューエルは無表情のままそれを見ていた。
 誰かが何か言い出すのを待っていた。しかし、沈黙を破ったのは四人の中の誰でもなかった。
「おと……さま……」
 ヒューエルの顔がさっと青くなる。
「おと、さま……」
 さっきジョゼが閉じてあげたメディアの瞼が開いた。これにはジョゼも驚き、メディアに声を掛けようとしたが、言葉は出てこなかった。
 しかし、メディアの目はジョゼではなくヒューエルを捉えて離さない。
「お父様……」
 堪え切れなくなったヒューエルは、メディアから目をそらした。
「医者を……医者を呼べ。このことは絶対に口外するな」
「あ……」
 レフォルトに向かってそう言ったが、レフォルトは言葉が出て来なかった。レフォルトだけではない。ロベルトも、そしてジョゼも、ヒューエルに答えることができなかった。
 ヒューエルが黙って部屋を出て行く。それからしばらくして、はっとしたようにレフォルトが言った。
「い、今医者を呼んで来ます」
 すぐに駆けつけた医者により、メディアの体の矢は全て取り除かれた。治療中、メディアが痛がる素振りを見せることは一切なかった。
 ジョゼはずっとメディアに寄り添い、羊皮紙に何度も何度も励ましの言葉を書いて彼女に見せた。
 すぐに良くなるよ。大丈夫。
 元気になったらまた一緒に遊ぼうね。
 しかし、メディアは虚ろな目でそれを見つめるだけで、返事をすることはなかった。
きっと、傷のせいで上手く言葉を発することができないんだ。
 ジョゼはそう思っていたが、メディアがジョゼの言葉に反応することはなくなっていった。

 そしてそれ以来、メディアが笑うことはなくなった。
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