Simple Site

ラジエルの書第三十巻―北の国の王―  1

 雪の降る寒い夜のことだった。ヒューエルは、目の前に立つ男の持つ血に濡れた刃を見て、凍りついていた。
「お前を……お前を王になどさせるものか」
 男が刃を振り上げる。もうだめだ。ヒューエルは絶望の中で目を堅く閉じた。
「ヒューエル!」
 その時、誰かがヒューエルの体をきつく抱きしめた。母だった。一緒にいた父が叫ぶ。
「ナタリヤ、ヒューエルを連れて逃げなさい!」
 母はヒューエルを抱いたまま走り出した。
 ヒューエルは母の肩越しに、剣を構える父を見た。
「神よ……あの人をお助けください」
 母の願いは届かなかった。男の刃は、いとも簡単に父を切り裂いた。鮮血が散る。
その光景は、ヒューエルの目にしっかりと焼きついて離れない。
 ヒューエルを殺そうとしたのは、父の姉ソフィアが仕向けた刺客だった。自分が王権を握ろうと目論んだソフィアは、王であるヒューエルの父を殺し、ヒューエルと母を王都から遠く離れた小さな村へと追放した。ヒューエルは王位継承権を剥奪され、住む城も失くした。そして、実質上ソフィアが新たな女王として君臨することとなってしまった。ヒューエルが五歳の時のことであった。
 ヒューエルは生涯、この夜の出来事を忘れることはなかった。


 西大陸の遥か北に、一年の大半を冬に支配された小さな国があった。雪と寒さが人々を家の中に追いやるように、その国は外国との交流を一切絶っていた。それでも、国の中にはいくつかの外国人居留地があり、人々の交流も少しはあった。しかし、十年前の国王暗殺事件による政権交代があってからは、外国人に対する風当たりがいっそう強くなった。彼らは居留地の外へ出ることすら禁止されてしまったのである。
 多くの人が外国人や外国文化から離れていく中、毎日居留地へ足を運ぶ変わり者がいた。
「ヒューエル様、待ってください!」
「早くしろよレフォルト」
 少年の名前はヒューエル。亡き国王の一人息子だった。ヒューエルはとても好奇心が強く、自分の知らない外の世界のことを教えてくれる外国人が大好きだった。レフォルトはヒューエルより一つ年下の、居留地に住む少年だ。
「今日は母上と文字の勉強をする日じゃないんですか?」
「いいんだよ。お前と遊んでた方が楽しい」
「でも勉強は……」
「お前が教えてくれるからいい!」
 ヒューエルは適当に返事をしながら馬小屋へ走って行き、番をしていた少年から馬を二頭借りてきた。
「それより、今日は川原に行こう」
 レフォルトの返事を聞く前に、ヒューエルは馬に飛び乗り手綱を引いた。レフォルトも慌ててその後を追う。もう春だというのに、頬を撫でる風はちっとも暖かくなかった。
「こんなに寒いのに川へ行くだなんて……」
 レフォルトが文句を言ったが、ヒューエルは気にせず満面の笑みを浮かべた。
「お前に見せたい物があるんだ」
「見せたい物?」
 川原に着くと、ヒューエルは何やら茶色い物体がある場所までレフォルトを連れて来た。近くで見てみると、それは木製の小さな舟だった。
「どうだ、すごいだろ。お前の父上に見せてもらった本に、これの絵が描いてあったんだ。私は字が読めないから何なのか分からなかったけど、母上に聞いたんだ。これ、舟って言うんだろ? 水の上を走るんだろ?」
「これはヒューエル様が一人でお作りに?」
 レフォルトは感心した。
「形だけ真似してみたんだ。の、乗れるかな」
 心配そうに自作の舟をいじくり回すヒューエルを見て、レフォルトは笑った。
「乗れないことはないですけど、きっと遭難してしまいますよ」
「な、なぜだ」
「ヒューエル様が、帆と櫂を作るのを忘れたからです」
「帆? 櫂?」
 どうやらヒューエルは舟の形を作るのに必死で、その他の大切な部分のことをすっかり忘れているようだった。
 レフォルトの提案で、二人はもう一度その本を見るため、急いで居留地へと戻った。

「これが帆か!」
 二人は暖かい暖炉のそばで、舟について書いてある本を広げた。本は、レフォルトの父が故郷から持って来たものだった。
「これが櫂か!」
 字の読めないヒューエルは、絵だけを見て感声を上げている。
 この国に大型船の造船技術はない。主要となるはずの港は寒さで一年中凍りついており、海へ出ることができないからだ。
 レフォルトは大きな船と小さな舟の絵がついているページを交互に開いて見せた。
「いいですかヒューエル様。こっちの大きいのが船です。そして、こっちの小さいのが舟です」
「え? だからどっちも舟だろう?」
 ヒューエルは首をかしげた。
「文字で表すと違うんですよ。そろそろ観念して文字の勉強をしませんか?」
 ヒューエルはしばらく渋っていたが、やがて諦めたように「わかった」と言った。好奇心が強く、どんなことにでも興味を持つヒューエルだったが、文字に関しては無頓着であった。レフォルトは、ヒューエルが机に向かって勉強をするのをあまり好まないのを知っていた。どちらかというと、舟を作ったり、馬に乗ったりと、体を使って何かをする方が性に合っていることも知っていた。しかし、レフォルトが何度も口うるさく文字を勉強しろと言ったのには理由があった。
 その日からヒューエルは、昼はレフォルトに、夜は母に文字を習い、二ヶ月も経つ頃には難しい本も読めるようになっていた。
 舟と船の違いも分かり、歴史書も読むようになった頃、レフォルトはヒューエルに一冊の本を手渡した。
「これを読んでほしくて、ずっとヒューエル様に文字を勉強しろと言っていたのですよ」
 そう言ってレフォルトがくれたのは、外国の有名な戦術家が書いた戦術論だった。ヒューエルは居留地の子供や大人を巻き込んで、戦争ごっこをするのが趣味だった。レフォルトはそれを現実のものにしようと考えていたのだ。
 それを知ってか知らずか、ヒューエルの戦争ごっこはだんだん本格的になっていった。居留地の中にはヒューエルの為に小さな要塞が作られ、レフォルトは指揮官にまで出世した。頭の良いレフォルトは、すぐに自分の能力を発揮し、軍隊をよくまとめた。
 他にも将軍として取立てられた者が何人もいたが、この遊びは時たま死者を伴った。
 恐るべきことは、ヒューエルもレフォルトもそれを黙殺していたことである。


 ある日の夕暮れ。ヒューエルとレフォルトは戦争ごっこに使った馬を馬小屋に戻した後、また川原へと足を運んだ。ヒューエルが作った舟はまだそこにあったが、一度も水に浮くことはなく、二人の椅子代わりになっていた。
「今日もお前の指揮はみごとだったな」
 ヒューエルが川に石を投げた。
「ありがとうございます。ヒューエル様の剣の腕前も、日に日に上達していきますね」
「兵士だからな。まず力がなければ駄目だ」
 レフォルトはふふっと笑った。
 ヒューエルは戦争ごっこで一度も一般兵以外の役をやったことはなかった。それはただ単に彼が謙虚なのではなく、他に自分よりも将軍や指揮官にふさわしい人物がいたからだ。決して自分の力を過信せず、能力がある者には惜しみなく地位や仕事を与える。ヒューエルはそんな人だった。だから、ヒューエルでないと駄目だと思った。
 レフォルトは決心し、口を開いた。
「ヒューエル様、お伺いいたします。王位をその手にしたいとは思いませんか?」
「レフォルト、お前……」
 ヒューエルには突発的な発言に聞こえたかもしれない。しかし、レフォルトはもうずっと前からヒューエルを王位につける計画を立てていたのだった。
「今の女王ソフィアは、民のことなど何一つ考えてはいません。自分が女王であればいいと、それだけです。私たち外国人の生活は苦しくなるばかりか、この国の民でさえもソフィアの重税に悲鳴を上げています。私たちは外国から移住してきた身ですが、この国を愛しています。この国が良い王によって治められることを望んでいます。今こそ、ヒューエル様が王として立ち上がる時なのです!」
 ヒューエルは何も言わず、川の向こうをじっと見つめていた。
 あの夜のことが思い出される。父が死に、王都を追われた時、母がどんなに悲しんだことか。そしてその時、必ず国を取り戻すと心に誓ったことを、ヒューエルは一度だって忘れたことはなかった。
「このままソフィアに政権を握らせておくわけにはいかない。私は……こんな国を望んでなどいない」
 いつか自分が王になり、国を豊かに発展させることが、幼い頃からの夢だった。いつの間にか、それは自分だけの夢ではなくなっていたようだ。
 ヒューエルは決心した。
「行こう、レフォルト。私たちの国を取り戻そう」

 こうして、ヒューエルの戦争ごっこは本物になった。
 ヒューエルが十七歳になった年の夏、ソフィア軍とヒューエル軍の戦いが始まった。ヒューエルは近隣の都市や外国人居留地から集めた五千の兵と共に、王都を目指して進軍した。対するソフィア軍は、三万の兵を従え、王都に立てこもった。兵の数では、圧倒的にヒューエル軍が不利な状況である。
「このままでは王都の門を開けることすらできない。門が開かなければ、ソフィアを引きずり出すことはできんぞ」
 焦るヒューエルとは反対に、レフォルトは落ち着いていた。
 少ない兵士を三つの部隊に分け、着実に城攻めの準備を進めていた。
「第一部隊は正門、第二部隊は東門。そして第三部隊は西門を攻めます。まず始めに、第一部隊が正門へ向かって進軍しますので、その他の部隊はその後で移動を開始してください。私は第一部隊について行きます。何か質問は?」
 決戦前夜、わずかな灯火の中でレフォルトが兵士全員に作戦を指示した。不利な状況ではあったが、戦意を失っている者は一人もいなかった。
「レフォルト、私も一緒に行くぞ」
 ヒューエルが言うと、レフォルトは困ったように笑った。
「そう言うと思いました。本当は危険なのでお止めしたいのですが、仕方ありませんね。私と一緒に第一部隊へ……。でも、危なくなったらすぐに逃げてください。あなたを失ってしまっては、意味がなくなってしまう」
「大丈夫だ。皆が懸命に戦おうとしてるのに、私だけ安全な場所で傍観しているわけにもいかないからな」
 ヒューエルは静まり返った王都の方角を見た。ここからだと暗すぎて、松明の微かな光しか見えなかった。

 明くる日の朝、ヒューエル軍はついに王都の目の前までやって来た。立ちはだかるのは王都の正門。ここを開かなければ、戦いに勝つことはできない。
「ヒューエル様、準備はよろしいですか?」
 この少ない兵でどこまでやれるかは分からなかったが、ヒューエルはレフォルトを信じ、頷いた。
「第一部隊、進軍開始!」
 レフォルトの合図と共に、ヒューエル率いる二千の騎兵は正門に向け進軍を開始した。
「皆恐れるな! ヒューエル様の為に、この剣で道を切り開くのだ!」
 誰かが言ったその言葉に歓声が上がる。ヒューエル自身も驚くほど、兵の士気は高まっていた。
 やがてヒューエル軍の兵士が正門に近づくと、城壁を守っていたソフィア軍の兵士が気づいて大量の矢を射かけてきた。
 ヒューエル軍は隊列を乱され、落馬する者も少なくなかった。
「いったん退け! 退くのだ」
 ヒューエルは何人かの兵士を助けながら叫んだ。少し離れた所でレフォルトも退却命令を出していた。
 兵士たちが慌てて後退する中、東門と西門の方から喚声が上がった。第二、第三部隊が王都の中へ突撃したのだ。
「レフォルト! 門が…」
「分かっています。一度態勢を立て直しましょう。次の行動はそれからです」
 レフォルトは迅速に兵をまとめ、矢が届かないぎりぎりの場所に彼らを整列させた。
「どういうことだ。東門と西門は開いているのか?」
「どんなに頑丈な城でも、中から崩せば脆いものです」
 レフォルトは笑った。
「お前、いつの間に密兵など……」
「私はただ、ヒューエル様の為に戦う気はないかと向こうの兵士に呼びかけただけです。ヒューエル様の王政を望むのは、彼らも同じということですね」
 ヒューエルの胸は高鳴っていた。あとは、中に入ってソフィアを捕らえるだけだ。
「全軍突撃! 好機を逃すな」
 ヒューエルが叫ぶと、レフォルトがほら貝を吹き鳴らした。それを合図に、第一部隊も王都へ突入した。
 形勢は逆転したとはいえ、全ての兵士が寝返ったわけではない。王都では、両軍の激闘が繰り広げられていた。
「ここは我らに任せて、ヒューエル様は城へ! ソフィアが逃げ出す前に捕らえてください」
「分かった。兵たちを頼むぞ!」
 迫り来る兵を蹴散らしながら、ヒューエルは城門を目指す。
 案の定城門は堅く閉ざされていたが、一人の老兵士がその前に立っていた。
「ヒューエル様! お待ちしておりましたぞ。私を覚えておいでですかな?」
 よく見ると、ヒューエルはその顔に見覚えがあった。
「ベルトシュカ?」
 ヒューエルが言うと、老兵士はとても嬉しそうに微笑んだ。
「そうです! よくぞ覚えていてくれました」
 ベルトシュカと呼ばれた老兵士は、馬から降りたヒューエルに歩み寄って来た。
「いやあ……大きくなられましたな」
 ベルトシュカは亡き父の側近で、いつも我が子のようにヒューエルを可愛がってくれていた。
「ベルトシュカ……元気だったか?」
「はい。いつかヒューエル様がここへお戻りになられた時、この老体でもお役に立ちとうございまして、ずっと待っておりました」
「お前も、私の王位を望んでくれているのか?」
 ベルトシュカは力強く頷いた。
「私はあなたの父上に仕えられたことを誇りに思います。しかし、それ以上にあなたに仕えたいという想いも強い」
 言いながら、ベルトシュカは右手を高々と上げた。それを合図に、城門が開いた。
「城の中にいる者には、私がヒューエル様の味方になるよう説得いたしました。あなたはとても賢い部下をお持ちだ」
 多分レフォルトのことだろうとヒューエルは思った。
「ソフィアは大広間にいます。お気をつけて……」
「……ありがとう!」
「ヒューエル様、どうか父上に勝る国を作ってくださいませ!」
 レフォルトをはじめとした味方の兵士や国民、そしてベルトシュカの想いを背負い、ヒューエルは一人城へと乗り込んだ。
 十二年前とほとんど変わりのない城の中で、ヒューエルはあの頃に戻ったような錯覚に陥った。
 母がヒューエルを抱いて走り抜けた回廊を通り、大広間へと向かう。
 何か罠があると思いつつ、ヒューエルは大広間へ足を踏み入れた。
「一人でここまで来るなんて、お前は本当に馬鹿だね」
「ソフィア!」
 咄嗟にヒューエルは剣を構えたが、ソフィアの側にいた弓兵がヒューエルに矢を向けた。身動きがとれない。
「外の様子を見ただろう……。お前はもう終わりだ」
 ソフィアはせせら笑った。
「何人の兵が寝返ろうと、お前がここで死ねば意味のないこと」
 ヒューエルはなるべくソフィアから目を離さずに、広間にいる兵士の数を数えた。とても一人で太刀打ちできる数ではなかったが、それらの精鋭は全て、昔父の側近として働いていた者たちだった。
ベルトシュカのように、ヒューエルと交流のあった者もいた。
 彼らが心からソフィアに服従しているとは思いたくない。しかし、ヒューエルにはそれを確かめる術がなかった。
「いつまでも自分の思い通りに事が運ぶと思ったら大間違いだぞ、ソフィア。私と私の兵、そして何よりこの国の民は貴様を見限った」
 体は動かすことはできない。だが、言葉を発すれば何か反応を示してくれるのではないかと思った。しかし、待っていたのはもっと悪い結果だった。
「お前の兵? お前の民? 国王気取りなど甚だしい! お前の父……私の弟もそうだった」
 ヒューエルは背後に人の気配を感じた。
「傲慢で、我侭で、自分の欲しい物は何でも手に入れなければ気の済まない人間だった。私が今までどれほど大切なものをあやつに奪われてきたか……。今度は私が奪う番だ。お前も父親と同じ場所へ送ってやる! 殺せ!」
 ソフィアの甲高い叫び声と共に、鋭い刃がヒューエルの脇をかすめた。
「……っ!」
 間一髪でそれをかわし、ヒューエルは後ろを振り返る。見知らぬ顔……いや、知っている。忘れるはずがなかった。
「あの時は惜しくも殺し損ねてしまったな」
 ヒューエルは必死に男の刃を受け止める。まるでそれを楽しむかのように、男は笑った。
「ほう、生意気にも俺と剣を交えるか」
「いつまでも子供のままだと思うなよ」
「子供? そんな図体のでかいガキがどこにいる。まあ、俺は女だろうと子供だろうと、容赦はしないがな」
 ヒューエルは男の攻撃を受け止めることで精一杯だった。しかし、恐怖は感じない。こいつが父の仇だと思うと、逆に闘志がわいてくる。
 腕力ではヒューエルの方が断然勝っていた。しかし、男はヒューエルの太刀筋を見切り、切り込む機会を与えてはくれなかった。
 ヒューエルが死ぬ瞬間を見られる絶好の時であったのに、ソフィアはヒューエルを見てすらいなかった。甲高い声が広間中に響き渡る。
「何をしている! 矢を射ろ! 剣を抜け! あいつを殺すのだ!」
 どうやら後方の兵士たちに叫んでいるようだったが、ヒューエルには彼らの様子を確認している余裕などなかった。
やがてヒューエルの額からは汗が噴き出してきた。流れた汗が額を伝い、さらには視界を妨げる。
「しまっ……」
 たった一瞬の出来事だった。ヒューエルが瞬きをしたその刹那、男は見事な動きでその手から剣を弾いた。
 剣は虚しい金属音を響かせ、ヒューエルのすぐ手の届きそうな場所に落ちた。
「お前を……お前を王になどさせるものか」
 男が刃を振り上げる。まさにあの夜と同じ光景だった。
 弾かれた剣を拾おうと、ヒューエルは身を低くした。それと同時に男が刃を振り下ろそうとした瞬間、空気を裂く鋭い音がし、男の動きが止まった。
 弓兵の一人が放った矢が男の腕に命中し、間一髪でヒューエルの命を救ったのだった。
「う、裏切り者共め……」
 男の手から剣が抜け落ちる。
「とどめを!」
 誰かがそう叫んだのを合図に、ヒューエルは拾い上げた剣で男を突き刺した。
「ぐっ……。まさか、こんなふうに死ぬとは思ってもみなかった……。お前を嬲り殺すことを、楽しみにしていたのにな……。ふ、ふ、ふははは!」
「きさ……ま……」
 ヒューエルは男の体から剣を引き抜き、足で蹴り飛ばした。鮮血が散り、男は死体となって床に転がった。
「ソフィア!」
 目に怒りの色を宿したまま、ヒューエルはソフィアに詰め寄った。兵士の一人がソフィアを取り押さえていたので、身動きはできない状態であった。
「次は貴様の番だ。お前にも、父と同じ苦しみを……」
 握り締めているこの剣で、あの男のようにソフィアも殺してしまおう。それも、今まで誰も見たことのないような惨いやり方で。ヒューエルは剣をソフィアに向けた。
「ヒューエル様! ご無事ですか?」
 慌てた様子のその声を聞いた時、ヒューエルははっと我に返った。
「レフォルト!」
 今まで怒り狂っていたことも忘れ、血塗れた剣を携えたまま友のもとへ駆け寄った。急いでここへやって来たのだろう。レフォルトは肩で呼吸をしていた。
「ご無事で何よりです。ああ……本当によかった」
「お前も無事でよかったよ」
 レフォルトを落ち着かせようと、ヒューエルは彼の肩を優しく叩いた。しかし、ヒューエルは身長が二メートル近くもある大男。力も桁外れに強かったので、レフォルトはものすごく痛がった。だが、それもすぐ笑顔に変わる。
「ついに……ついにこの時が来ました。ヒューエル様、あなたが王です」
 レフォルトはヒューエルの前に跪いた。
「我が智謀、あなたの為だけに」
 レフォルトに続き、他の兵士たちも跪いた。この小さな軍師は、城の中の兵たちも寝返るということも計算済みだったのだろう。そうでなければヒューエルを一人で行かせるわけがなかった。
 しかし、それを気に入らない人物がいた。ソフィアである。
「ヒューエルを王に仕立てあげ、小賢しい策を使って戦を仕掛けてきた張本人はお前か」
 ソフィアの喋り方は、今まさに殺されようとしている者とは思えぬほど毅然としていた。
「こんな子供……しかも異国の者に……」
「戦を勝利に導いたのは私の力だけではありません。民と兵、そしてヒューエル様のお力です」
 レフォルトが答えると、ソフィアは高笑いした。
「たかが外人風情が何をほざく。お前も、そしてその愚かな王も地獄に落ちるがいい!」
「黙れ! ならば貴様から地獄へ突き落としてやろうか」
 ヒューエルが再び怒り、剣を突きつける。だが、レフォルトはそれを冷静に制した。
「いけません、ヒューエル様。殺してはなりません」
「こいつは私の父を殺した! 私にはこいつを殺す権利がある!」
「いいえ。それは違います」
 レフォルトはヒューエルの手から剣を取り、床に捨てた。そして、まるで女性がするかのようにヒューエルの両手を取った。
「この国の風潮では、あなたの考えは間違っていない。だけどそれでは意味がないのです。きちんと裁判にかけ、罪の重さを量るべきです。それに、あなたのこの手は人を殺す為のものではありません」
 レフォルトは決して声を荒げない。だが、ヒューエルはその気迫に呑まれてしまっていた。
「分かった……。お前の言う通り、ソフィアを裁判にかけよう。それが公平なやり方なのだろう?」
「そうでございますとも。分かってくださればよいのです」
 レフォルトは何事もなかったかのように、ヒューエルの手を離した。
 かくして、ソフィアは捕らえられ裁判にかけられることとなった。そして国中の誰もが、ソフィアは死刑となるであろうと思っていた。
 裁判が開かれる日の朝、ソフィアを牢から連れて行こうとした兵士が見たのは、なんとも無惨に切り刻まれたソフィアの死体だった。
 この事件は国中を騒がせたが、ソフィアに恨みを持つ者は多く、結局はその者たちによる犯行であると考えられた。
 ヒューエルは長い間犯人を探し続けたが、とうとう見つかることはなかったのである。
→2

TOP