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聖獣の翼  2

エリオットがシャセリオと共に暮らすようになってから数週間が経った。シャセリオが営む美術品店の売り上げはそこそこあったが、余裕のある生活はとてもできそうにない。
 シャセリオは絵を描く仕事を探そうと考えていたが、大きな仕事が入ってくる予定はない。運よくすぐ仕事が見つかっても、絵が完成するまでには時間がかかる。
 それまで食べ物を買うのに困らないくらいのお金を借りようとシャセリオは思った。
 そうしてやって来たのが、貴族や金持ちが住居を構えるこの地区だった。シャセリオのようなボロを纏った人間にはふさわしくない場所である。
 シャセリオはとある豪邸の敷地へ入って行き、使用人らしき男に家主に会わせてほしいと頼んだ。
 客室に通されしばらく待っていると、派手なドレスを着た若い女がやって来た。シャセリオの妹、セラである。
 セラは腕組みをし、不機嫌そうな表情で言った。
「何の御用ですの? いきなり訪ねて来て……。私、お兄様と違って忙しいのよ。来るならアポイントメントを取ってもらわないと困りますわ」
「ごめん、ごめん。急ぎの用があったんで……」
 シャセリオは苦笑いを浮かべながら謝った。
 妹のセラはここでドレスの専門店を営んでいる。客のほとんどは貴族で、時には王室からの依頼を受けることもある。稼ぎも相当あり、シャセリオの貧乏美術品店とは雲泥の差であった。
「急ぎの用?」
「実はこの前子供を拾って、それで……」
「え? 今、何て言いまして? 子供? 拾った?」
 話が長くなりそうだと思ったセラは、傍にあった椅子に腰かけた。シャセリオが続ける。
「いろいろと事情があって、私が面倒を見ることになったんだ。今は店番を頼んでいて……。それで、生活のために絵を描く仕事を再開しようと思うのだけど、それまでの生活費を、その……。貸してもらえないかと」
 セラはさっきよりもずっと不機嫌な表情でシャセリオを見た。しばらくの沈黙の後、怒りのこもった声で言った。
「お兄様、あなた無責任ですわ! 自分が生活していくのもやっとなのに、子供? 結婚相手もいないのに、子供? 一体何を考えているの? 挙句の果てには私にお金を貸してって……。世の中そんなに甘くないんですからね!」
 セラの剣幕に気圧され、シャセリオの声はだんだん小さくなっていく。
「いや、あの、お金を貸してもらえなくても、何か仕事を紹介してくれないかなあ……と。絵を描く仕事じゃなくてもいい。何でもするから」
 良かれと思って言ったその言葉は、ますますセラを怒らせた。セラは椅子から立ち上がり、両手を腰に当てた。
「お兄様、あなた画家でしょ? それなら絵を描きなさい、絵を! 良い絵を描けば必ず買い手が見つかりますわ!」
「じゃあ、描いたらセラが買ってくれる?」
「か、買いません!」
 突然の問いにセラは困惑するも、すぐに不機嫌な顔に戻りそう言い放った。
「だいたい、貧乏人にお金を貸したって返ってくるわけがありませんわ。だから、お金は絶対貸しませんからね!」
 言いたいことを全部言い終わると、セラはシャセリオを屋敷から追い出した。シャセリオが何を言っても一切取り合ってはくれなかった。
 屋敷を出て、シャセリオは一人ため息をついた。
「はあ……。相変わらずだな」
 お金も仕事も手に入れられないまま帰るわけにはいかない。
 シャセリオは最後の手段で、師匠が生きていた頃よく絵の依頼に来ていた金持ちの老夫婦のもとを訪ねた。
 今は新しい絵画を買う気はなかった男だったが、シャセリオがあまりに必死なのでそれを憐れみ、居間に飾る絵の仕事をくれた。
 どんな絵が希望かとシャセリオが聞くと、夫人は言った。
「私は子供が欲しかったのですが、主人との間に子供はできないまま、とうとうこんな歳になってしまいました。だから、可愛らしい子供の絵をこの居間に飾ることができたらとても嬉しいですね」
「分かりました、きっとお気に召す一枚を描き上げますので、待っていてください」
 かなり無理を言って受けた依頼だったが、シャセリオは言葉では言い表せないくらい嬉しかった。
 仕事をもらえた。また絵が描ける。これが何かのきっかけになるかもしれない。
 早足で店まで帰ると、エリオットがカウンター越しに出迎えてくれた。
「シャセリオさん、お帰りなさい!」
 椅子に座っているエリオットの顔だけがカウンターから見え、それがとても可愛らしかった。
「ただいま。ちゃんと留守番できたね、偉いよ」
「お客さん来なかったけど、楽しかったよ!」
「そうか……。お客は来なかったか」
 いつもなら落胆するところだが、今日はそれどころではない。シャセリオは早速店の奥へ行き、仕事に使う画材を探し始めた。
「シャセリオさん、お仕事?」
 背後からエリオットが声を掛けてきた。振り返ったシャセリオの顔には満面の笑みがあった。
「そうだよ。絵を描くお仕事をもらったんだ」
 いつになく嬉しそうなシャセリオの邪魔をしたくなくて、エリオットは店の中にあった箒を手に取り、言った。
「じゃあ、僕はお外を掃除してくるね!」
 シャセリオが答える前に、店の扉が閉まる音がした。邪魔をしないように気を使っているのが分かったシャセリオは、エリオットの気遣いに甘えることにした。

 自分の体に似合わない大きな箒を扱うのは簡単ではない。エリオットが悪戦苦闘しながら店の前の道を掃いていると、誰かが声を掛けてきた。
「ちょっと」
 エリオットが顔を上げる。
 そこには、派手なドレスを着た若い女が果物やパンが入ったバスケットと紙袋を持って立っていた。腕には白い日傘を引っかけている。
「あなた、この店の子よね?」
 女は早口でそう言った。エリオットがこくりと頷く。
「これ、あげるわ。二人で食べて」
 そう言うや否や、女はエリオットにバスケットと紙袋を無理矢理持たせた。
 手に持っていた箒は地面に転がった。バスケットと紙袋は、エリオットが手に持つととても大きく見えた。
「こ、こんなに持てないよ……」
「あなた男でしょ? 男ならそのくらい持ちなさいよ。情けないですわね!」
 女にぴしゃりとそう言われ、エリオットは涙目になる。
「でも、これじゃあドアが開けられないし……」
 そう訴えると女はひどく不機嫌そうな顔をした。そして、すたすたとドアの前まで歩いて行き、勢いよく開けて言った。
「ほら、これで満足かしら? さっさと中に入りなさい」
 エリオットはバスケットを引きずりそうになりながら店の中に入り、奥にいるシャセリオに向かって叫んだ。
「シャセリオさーん。怖いお姉さんが……」
 そこまで聞いて、女はさっさとドアを閉め、元来た道を早足で歩いて行く。
「何よ、何よ! 誰が怖いお姉さんですって? 失礼ですわ! 子供のくせに、生意気ですわ! もう二度と行かないんだから!」
 腕に引っかけていた日傘を開きながらずんずん歩く。次第に、険しかった女の表情が少しだけ綻んだ。そして、ぽつりとつぶやく。
「でも、ちょっとだけ、可愛いじゃない……」
 それから女は二度と店には顔を出さなかったが、シャセリオのもとには数日置きに食べ物が届けられた。
 もちろん、シャセリオにはこれが誰の仕業かしっかり分かっていた。

 エリオットに店番を頼み、シャセリオは老夫婦に依頼された絵を描き始めた。何を描くかはすでに決まっている。
 すっかり店主気分で店番をしているエリオットを観察しながら、シャセリオはキャンバスに絵を描き始めた。
 久しぶりに筆を持ったら、楽しくて仕方がなかった。時間を忘れて絵に没頭する。気づくと、店番に飽きたエリオットがシャセリオの隣でじっとキャンバスを見つめていた。
「僕もやりたい。僕にも教えて」
 いつもの遠慮がちな声ではなく、はっきりとエリオットはそう言った。ただの好奇心ではないように感じ、シャセリオは早速エリオットに絵を描く道具を与えた。金はないが、画材ならいくらでもある。
「どうやって描けばいいの?」
 悩むエリオットに、シャセリオは優しく言う。
「好きなように描いてごらん。好きなものを好きなように、ね」
 しばらく考え込んでいたエリオットだったが、何を描くか決めると黙々と作業を始めた。
 時々シャセリオの方を見ながら作業を進めているようであった。
 シャセリオのほうは画題を変更し、真剣にキャンパスに向かう少年を描き直した。
 作業を始めてから時間が経ち、日が暮れた。部屋が薄暗くなった頃、シャセリオは作業を中断して筆を置いた。
「今日はここまでにしよう。エリオット、何か描けたかい?」
 シャセリオが聞くと、エリオットは自分のキャンバスを見せてくれた。
「できた! シャセリオさん」
 エリオットが描いたのはシャセリオの肖像画だった。
 鉛筆だけで描かれたその絵は、子供が描いたにしてはよく描けている。シャセリオはひどく感心した。
「エリオット、君は絵の才能があるかもしれない。君が嫌じゃなければ絵の勉強をしてみないかい?」
 シャセリオの提案に、エリオットは大喜びした。
「する! 僕もシャセリオさんみたいに上手に描けるようになりたい」
 言いながら、エリオットはシャセリオのキャンバスを指差す。しかし、それはまだ下書きの段階だったのでシャセリオは苦笑した。
「この絵はまだ完成していないんだ。これから色をつけるんだよ。エリオットにもやり方を教えてあげるからね」
 シャセリオはすっかり師匠気分だった。弟子はまだ小さな子供だが、絵を描くのに年齢は関係ない。
 依頼された絵を描きながら、シャセリオはエリオットに絵の技法を教えた。
幸いエリオットは字を読み書きすることができたので、本を読んで勉強することも可能であった。シャセリオがつきっきりで絵を見てあげられない時は本を読み、キャンバスを持って街へ絵を描きに出かけることもあった。
 絵の描き方に決まりはない。基本をある程度学んだら、あとはたくさん描いてみることが大切だとシャセリオは考えていたのだ。
 そうしてシャセリオが依頼の絵を完成させる頃には、エリオットの絵もかなり上達していた。人物画はまだまだ練習が足りないが、エリオットの描く風景画は大変優れていて、キャンバスにその景色を切り貼りしたのかと思うほど精巧に描かれていた。
 短期間でここまで上手くなるものなのかと、シャセリオ自身大いに驚いたのであった。

 シャセリオが老夫婦のために描いた「絵を描く少年」は、かなり好評であった。老夫婦は知り合いの金持ちたちにその絵を自慢した。
 絵を納品してからしばらく経ったある日、シャセリオは老夫婦に呼ばれて屋敷へ出向いた。
 シャセリオの姿を見るなり、夫人は嬉しそうに口を開いた。
「先日は素敵な絵をありがとうございました。あんまり素敵なので何人か知り合いにも見せたのよ」
「それは……とても嬉しいです」
 シャセリオが照れくさそうにはにかむ。
「それで、今度私たちの友人が主催する絵画展にぜひあなたの絵も飾りたいと思ったの。どうかしら。引き受けてくれるかしら」
 聞けば、その絵画展には国の有名な画家たちの作品が飾られるという。きっと、貴族や金持ちたちも大勢訪れることだろう。
 これは有名になるよい機会だとシャセリオは思った。諦めかけていた夢への想いが蘇ってくる。ここでもう一度世間に自分の描いた絵が認められれば、今度こそ宮廷画家になれるかもしれない。
 だが、シャセリオは自分のことばかり考えているわけではなかった。絵画展に参加する旨を伝えた後、続けてシャセリオはこう言った。
「可能であれば、私の弟子の絵も飾らせてもらえないでしょうか。まだ絵の勉強を始めたばかりですが、才能ある弟子なんです」
 あれだけの才能があれば、エリオットも将来絵を描いて生活できるはずだとシャセリオは考えていた。名を売るなら早い方がいい。もしもエリオットの才能を認めてくれる人間に出会えたら、どれほど嬉しいだろうか。
 幸いにも、エリオットの絵も飾る許可をもらい、シャセリオは意気揚々と店へ戻った。そして、店番をしていたエリオットに言った。
「エリオット! 絵画展だぞ! 君の絵も飾れるぞ!」
 唐突にそう言われ、エリオットはきょとんとして首を傾げた。
「絵画展?」
「そうだよ。絵描きたちが自分の描いた絵を披露する場所だ。そこに、私と君の絵を飾れることになったんだよ!」
 店のカウンター越しに、シャセリオはエリオットに説明をする。
「エリオット、私と一緒に絵画展に飾る絵を描こう! きっと私たちを認めてくれる人が現れるはずだ」
 エリオットがシャセリオの申し出を断るはずがなく、二人は協力して絵画展に向けて合作を作ることにした。
 この絵画展がシャセリオにとって大切な機会であることをエリオットは薄々感づいていた。
「シャセリオさん、僕はまだ上手じゃないから合作は無理だよ……。シャセリオさんの迷惑になっちゃう」
 遠慮がちにそういうエリオットだったが、シャセリオは微笑み、優しくエリオットの頭を撫でながら言った。
「そんなこと、気にしなくていいんだよ、エリオット。最初からものすごく上手な人なんていない。エリオットはこれからもっと上手になる。今回の合作はその上手になるための第一歩なんだよ。何事も経験さ」
「シャセリオさんがそう言うなら、頑張ってみようかな。僕、きっとみんながすごいって言ってくれるような絵を描くよ」
 幼いエリオットには、富や名声などにはあまり感心がない。それよりも、自分が描いた絵でシャセリオや他の人々が笑顔になるほうが嬉しかった。
 絵画展に向けて何を描くか、二人は夜通し話し合った。シャセリオはエリオットを子供としてではなく、一人前の弟子として接した。
 画題が決まると、二人は一時的に店を閉め、毎日絵を描くことに没頭した。いつしか、定期的に届けられる食料と一緒に、ロウソクや薪なども届けられるようになった。もしかしたら、送り主のもとにも絵画展の情報が伝わったのかもしれなかた。
 三ヶ月。二人は店にこもって絵を描き続けた。描いている間、この絵を通して有名になろうとか、金をたくさん稼ごうとか、そんな思いは微塵も生まれなかった。ただただ楽しかった。絵を描くのが楽しくて仕方ない。絵を始めた頃はいつも感じていたその思い。いつの間にか忘れてしまっていたその感情を、シャセリオは思い出していた。
そして今日、完成した絵を手に、会場までの道のりを歩いていた。その途中、シャセリオがエリオットにこう言った。
「我ながらものすごい絵が描けたね、エリオット。みんなの反応が楽しみじゃないかい?」
 シャセリオと繋いだ手を嬉しそうに引っ張りながら、エリオットは答える。
「うん! 今までで一番上手に描けたよ。とっても楽しみだね」
 二人が描いたのは、向かい合う二頭のペガサスだった。貴族や王室などが使う紋章を思わせるその絵は、二枚のキャンバスを合わせて一枚の絵になる。エリオットが担当したキャンバスの出来も、シャセリオが描いたものに決して劣ってはいなかった。
 長く絵を描いてきたシャセリオと並んでも見劣りしないエリオットの絵とその才能を、シャセリオは心底羨ましく思った。もし、自分が絵を始めた頃にここまでの才能があれば、今頃はとっくに宮廷画家になれたかもしれない。そして、エリオットは若くして自分が憧れた宮廷画家になれるのかもしれない。
 嫉妬心もないわけではないが、そんなことよりも、優秀な弟子を持てたことをシャセリオは誇らしく思った。この才能溢れるエリオットに絵を教えたのは自分なのだと、胸を張って誰かに言いたかった。
 会場に着き、シャセリオとエリオットは決められた場所に自分たちの絵を飾る作業をしていた。二枚のキャンバスを壁に掛け、少し遠くから見てみる。遠くから見てもペガサスの神々しさが伝わってくるようだ。
 主催者の金持ちやその友人たちはほとんどみんな、二頭のペガサスを見て感嘆の声を上げた。
「これは素晴らしい! シャセリオ殿の絵も素晴らしいが、弟子もなかなかの才能だな。しかも、それがこんな小さな子供とはまた驚きだ。これは将来が楽しみだな」
 これでまた、シャセリオとエリオットに注目してくれる人が増えた。エリオットも嬉しそうに頬を赤らめている。
 もう少ししたら一般のお客も来る。そうすればもっとこの絵を気に入ってくれる人物が現れるかもしれない。
 しかし、絶好調の二人を気に入らない者がいた。その人は自分も画家で、リアムという男だった。
「やあ、誰かと思ったらシャセリオじゃないか。こんな場所で会うのは久しぶりだな」
 声を掛けられ、シャセリオの顔がさっと青ざめた。この男のことは知っている。数年前、シャセリオが全盛期だった頃によく展覧会などで地位を争った絵描き仲間だった。
「あ、ああ。君も来ていたんだね。久しぶり……」
 精一杯の作り笑いで、シャセリオは返事をする。
 シャセリオはこのリアムという男が苦手だった。才能はあるが人の粗を探すのが好きで、非常に嫌味な人間であったからだ。
 できればエリオットに関わらせたくない。そう思ったものの、時すでに遅し。リアムは二人の絵をまじまじと見、そしてエリオットを見た。
「シャセリオ。お前は何を描いても観察力に欠ける絵ばかりだが、今回はそれを上手く誤魔化すためにこんな架空の動物を描いたのか? まあ、ペガサスなら想像でどうにでも描けるからな」
 リアムが意地悪く笑いながらそう言ったが、シャセリオは我慢して苦笑いを浮かべるだけであった。シャセリオが面白いように反応しないので、今度はちらりとエリオットを見て言った。
「弟子を気取っているみたいだが、まだ子供じゃないか。おいおい、シャセリオ。まさかどこぞの女に孕ませたガキを今になって押し付けられたわけじゃないよな?」
 リアムはにやにやと笑ったが、シャセリオの表情は険しくなった。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。この子は孤児で、それを私が引き取ったんだ」
 シャセリオの反論を聞き流し、リアムは困り顔のエリオットに向かって言葉を投げた。
「ペガサスなんて幼稚な画題を提案したのはお前だろうな。いかにも子供が好きそうな絵だ」
「ペガサスは僕の友達だから……。一番近くにいた動物だったから……」
 ぽつりぽつりとエリオットが言ったその言葉に、リアムは馬鹿にしたように大きな声で笑った。
「どこの馬の骨とも分からないガキのくせに、虚言癖まで持っているのか。こいつは滑稽だな。シャセリオ、お前は本当に……」
 それは一瞬の出来事だった。握りしめた拳を振り上げ、シャセリオはリアムの胸ぐらを掴んだ。そして、そのまま彼の顔面に拳を叩きつけた。
 その衝撃でリアムは床に倒れた。
シャセリオは床に膝をつき、もう一度リアムの胸ぐらを掴んで、叫んだ。
「お前に……お前なんかにエリオットの何が分かる! お前にあの子の絵を批判する権利なんかない!」
 そう言って再び拳を振り上げたところで、気づいた周りの者たちに押さえられた。その中の誰かがシャセリオに向かって言った。
「何をやっているんだ! 面倒事を起こす奴はお断りだ、出て行ってくれ」
 周りの者たちもみんな口ぐちに同じようなことを言い出したので、弁解する間もなく、シャセリオとエリオットは会場から追い出されてしまった。
 二枚のキャンバスを小脇に抱え、シャセリオは俯いた。反対側の手はまだ拳を握りしめている。
 言いようのない悔しさが込み上げてくる。
「シャセリオさん……」
 不意に、エリオットの小さな手がシャセリオの拳を包み込んだ。はっとして拳を解くと、エリオットは少しだけ笑顔を見せて、言った。
「シャセリオさん、ありがとう」
 目頭が熱くなる。シャセリオはエリオットに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめん……。ごめんね、エリオット……」
 エリオットは来た時と同じようにシャセリオと手を繋ぎ、笑顔のまま首を横に振った。
 シャセリオは何も言えずにエリオットを見つめていた。すると、エリオットはシャセリオの手を引き、いつもの元気な声で言った。
「帰ろう、シャセリオさん。僕らのお家が待ってるよ!」
 エリオットの笑顔を見て、シャセリオの口元が少しだけ綻んだ。
「そうだね……家へ、帰ろうか」
 手を繋いだまま、二人は職人通りの人ごみの中へと消えていったのだった。
おわり
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