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少年の旅路  1

 「やったー! 親父のヤツ、ざまあみやがれ」
一人の少年がそんなことを言いながら、意気揚々と小さな家から飛び出して来た。
黒く長い髪を風になびかせながら、少年は駆け出した。
背には大きな背嚢を背負い、腰には一本の剣をぶら下げている。歳は十八になったばかりだった。
少年は湖近くの森の小さな家で父と母の三人で暮らしていたのだが、数日前に母は亡くなった。母が亡くなると、なぜだか父の姿も消えた。
少年の父は悪魔で、母は黒竜族という種族だった。
父はこの世の者ではなかったので、母の魔力がなければこの世界に姿を留めておくことができなかったのである。残念ながら少年はそれほど強い魔力は持っていなかった。
父と母をほぼ同時になくした少年だったが、悲しみに暮れるどころかむしろ喜んでいた。
母の死は非常に悲しかったが、口うるさい父がいなくなったことはその悲しさをも忘れさせてくれるほど嬉しいことであった。
「私は自由だー!」
森中に響き渡る声で少年が叫ぶ。
これから少年は一人で旅をしようとしていた。まずはここから北へ行ったところにある、グロムナート王国という所へ行ってみようと考えていた。
その国には多種多様な文化が集まっていると聞く。そんな面白そうな場所があるのに、今まで父は一度だってそこへ行くことを許してはくれなかった。
「歩いたら一ヶ月くらいかかるかな……。いや、私の足ならそれほどかからないだろう」
父がいなくなったのでもう誰も少年を止める者はいない。
地図を片手に少年は歩き続け、森を抜けた。その先にあったのは、街へ続く街道であった。
「この先に街がある。今日中に辿り着けるだろうか……」
少しも休まず歩き続けたものの、少年の希望は叶わず街道を歩いている途中で日が暮れてしまった。
仕方がないので今晩はここで野宿をすることにし、街道の木の傍に座り、背嚢に入っていたパンをかじる。
「やっぱり徒歩だと時間がかかるなあ。馬があったほうがよかったかな」
そうは思うものの、少年は馬を買えるほどの金は持っていない。
「どっかからちょろまかして来ようかな……」
「ショウモナイ事ヲ考エテイルナ」
どこからともなく聞こえてきた声に驚き、少年は思わず立ち上がった。暗闇の中に視線を巡らせたが誰もいない。
そう、いるはずがない。だって、この声は……。
「ソンナニ驚クナヨ」
「驚かないわけないだろ親父! ど、ど、どこにいるんだ。出て来い」
辺りをきょろきょろ見回しながらそう言う少年に、親父こと悪魔は大笑いする。
「オ前ノショボイ魔力デハ、私ハ姿ヲ見セラレヌナ」
少年はへなへなと木にもたれながら、地面に座り込んだ。
「そんなこと言うなよ。これでも少しは魔法を使えるようになったんだぞ! 少し……だけど」
母は力の強い魔法使いだったのに、その才能を少しも受け継がなかったことを少年はかなり気にしていた。
はあ、と虚しいため息が漏れる。
「ったく、親父と話してるとほんっとに面白くない。もう寝る」
悪魔の声に背を向けるように少年はごろんと横になった。でも、もしかしたら悪魔は自分の向いている方にいるのではないかと思い、寝返りを打つ。
落ち着かずに眠れないかと思ったが、すぐに熟睡して少年は朝を迎えた。
せっかく一人気ままに旅をしようと思っていたのに、とんだ邪魔が入ってしまった。
「なあ親父。このまま徒歩で行くのはしんどいから馬が欲しいんだ」
 街道を歩きながら、姿の見えない悪魔に向かって少年は言う。
「だから馬を買う金をくれないか?」
 その言葉を聞いた悪魔は鼻で笑った。
「欲シイ物ガアルナラ、努力シテ自分ノ力デ手ニ入レロ。都合ノ良イ時ダケ親ニ頼ムナ」
 どうせだめだろうとは思っていたが、本当にだめだった。少年はつい舌打ちをする。
「ちぇ。分かったよ。もう親父には頼まないよ」
 よく考えてみれば、悪魔が自分にお小遣いをくれたことなんて一度もなかった。少年は完全に頼む相手を間違えていたのだ。
 街に辿り着くと、まず少年は食料と水を買った。手持ちの金で馬を買うことができないだろうかと考えたが、もし買えたとしてもこの先食料を買う金がなくなってしまうのでそれはできなかった。
 そこで少年は我ながらいいことを考えたので、それを実行してみることにした。
 街に厩があることを確認した少年は、ちょうど一人で働いていた男の元へ駆け寄り、血相を変えてこう言った。
「おーい、おーい! あんたの家、燃えてるぞ!」
「なんだって!」
 それを聞いた男は、持っていたピッチフォークを放り投げて走り去って行った。
 その隙に、少年は一頭の馬を鞍や手綱と一緒に厩から持ち出した。
 男は自分の家までの道のりを走っていたが、街の人々は別段変わった様子がなく、火事も起きている気配がないことに気づいた。
 通りすがりの人に聞いてみると、火事など起きていないと言う。
「火事なんて起こってないじゃないか! そもそも、あいつ誰だよ!」
 男が厩に駆け戻った時、少年が馬に乗って逃げて行くのが見えた。追いかけても追いつけるはずがなく、男は諦めるしかなかったのであった。
「やったぜ大成功だ!」
 まんまと馬を手に入れた少年は、面倒事が起こるのを避けてさっさと街を出た。
 嬉しそうに馬で駆けて行く少年に、悪魔は頭にがんがん響く声で喚くように言った。
「金ガナイカラト、盗ム奴ガアルカ! アレホド人ノ物ヲ盗ンデハイケナイト常日頃カラ言ッテイタノニ……。コノ馬鹿息子! 地獄ニ堕チロ!」
 少年は頭を掻きながら、呆れたように答えた。
「自分が地獄に堕ちてるくせによくそんなこと言えるなあ、親父。私は、自分の力でなんとかしろって言われたからその通りにしただけだ」
「バカヤロウ!」
 悪魔はあれこれと罵詈雑言を浴びせてきたが、少年は全くといっていいほど気にしていなかった。悪魔の説教より、馬を手に入れたことでグロムナートが近くなった気がしてわくわくしていた。
 だが、やはり一つだけどうしても気になることがあったので悪魔に聞いてみる。
「なあ、親父。親父はいつも口癖のように、悪魔には良心はないとか言ってるだろ。それなのに盗みをした息子を叱るのはおかしくないか?」
「オカシクナイ!」
 悪魔が耳元で怒鳴る。
「私ハ悪魔デアル前ニ父親ダ。父親ハ息子ニ正シイ事ヲ教エル義務ガアル。盗ミハドウ考エテモヤッテハイケナイ事ダ」
「え? なんだって? ちょっと待てよ」
 少年は馬を走らせながら考える。
「おかしいじゃないか。親父は親父になる前から悪魔だったんだから、どう考えても親父である前に悪魔だよな。悪魔は悪魔らしくしろよ!」
「黙レ馬鹿息子! 屁理屈バカリ言ッテナイデ少シハマトモニナレ」
 しょうもない言い争いをしながらも、少年は順調に北を目指して旅を続けた。途中、餌になる草が見つからなくて馬に愛想を尽かされそうになったが、なんとか順調にグロムナート王国に近づいていた。
「ここまで来ればあと半日もかからないぞ」
 馬をとめて地図を見ていると、少年は何やら不穏な空気を感じた。懐に地図をしまいながら辺りを見回す。
 街道の脇にある木々の間から、武器を手に持った男たちが姿を現す。どこをどう見ても盗賊に違いなかった。
 生まれて初めて見る盗賊に、恐れを感じるどころか少年はわくわくしていた。
「怪我したくなかったら金目の物を全部置いていきな」
 親分と思われる風格の男がそう言い放つ。盗賊お決まりのこの台詞に、少年はますます興奮した。
「おお! 本物の盗賊だ!」
 襲われているというのに目を輝かせてそう言う少年。盗賊たちはそんな少年を嘲笑った。
「ずいぶんと余裕じゃないか、若造。だが、俺たちに目をつけられてただで済んだ奴はいない。ここいらで最強最悪の盗賊と言ったら俺たちのことよ。そう、俺たちビリーと三十六人の盗賊だ」
「三十六人? 中途半端だな」
 丁寧に自己紹介をしてくれた親分を尻目に、少年は自分を取り囲む盗賊の数を目で数える。三十四人しかいない。
 少年は親分に向き直り、呆れたように言った。
「三十四人しかいないぞ」
「なに?」
 親分は持っていた剣と威圧的な眼差しを少年に向けた。
「お前の数え間違いだ」
「私が間違えるものか。お前の子分は全部で三十四人だ」
 少年があまりに自信満々にそう言うので、親分は剣を少年に向けたまま、自分も目で仲間の数を数えはじめた。すると、見かねた仲間の一人が大きく手を挙げた。
「親分!」
「なんだ! どこまで数えたか分からなくなっちまっただろ!」
 親分のいらついた声に動じることなく、仲間の一人が言葉を続けた。
「実は昨日、サムとトーマスが別の盗賊団に入るからって親分に内緒で出て行きました!」
「な、な、な、なんだと!」
「もっと強い親分がいる盗賊団がいいって言ってました!」
 最後の余計な事実に、親分は口から言葉が出て来ず仲間の一人を見据えたままわなわなと震えていた。他の仲間たちは小さな声で口々に「まあ、仕方ないな……」と、互いに顔を見合わせ頷き合っている。
 その様子に気づいた親分は怒りを露わにして仲間たちを怒鳴りつけた。
「おいお前たち! まさかお前たちまであの二人と同じこと考えてねえよな?」
 親分の問いかけに仲間全員が口を閉ざす。
「何で誰も答えねえんだよ!」
 今にも地団駄を踏みそうな親分に気づかれぬよう、少年は馬の腹を軽く蹴った。
 馬が歩き出す。
「だいたい、お前らが真面目に働かないからこんな……」
 親分が少年に視線を戻す。
「おい! お前、どこへ行く気だ! こそこそしてねえで正々堂々と勝負しやがれ」
 盗賊の口から正々堂々などという言葉が出てきたのに驚いた少年は思わず馬をとめる。先ほどと同じように、親分は少年に剣を突きつける。
「グロムナートの鍛冶職人が鍛えたこの名刀でお前を真っ二つにしてやる」
 それを見た少年は思い出したように自分の腰に手をやる。そこには、旅に出る時に家から持って来た一振りの剣があった。
 躊躇うことなくその剣を抜こうとすると、ざらざらと音がする。それでも何とか引き抜くと、少年も親分にそれを突きつけた。
「お前の剣が名刀だって? だったらこっちは家の倉庫から引っ張り出してきたこの錆びに錆びた剣が相手だ」
 少年の言う通りその剣は錆びていて何の輝きも放っていない。
 思った以上に酷い状態の剣に、親分と仲間たちはきょとんとした目で少年と剣を交互に見る。すると、今まで黙っていた悪魔が唐突に口を開いた。
「ン? オ前、ソノ剣ヲ何処カラ引ッ張リ出シテキタ?」
 その声は少年にしか聞こえないが、そんなことはすっかり忘れていた少年はその問いかけに普通に会話をするように答える。
「だから、家の倉庫だって。他にもいいのがないか探したけど、これしかなかったんだよ」
「ソノ剣ハ、昔私ガ使ッテイタ物ダ」
「これ親父の?」
 少年は姿の見えない悪魔の声が聞こえる方向に向かって剣を突き出して言った。
「だったらちゃんと手入れしとけよ! 錆びついてて鞘から出すのも大変だったんだぞ」
 すると、悪魔は素っ気なく答える。
「モウ必要ノ無イ物ダ。ダカラ手入レナドシナイ」
「このっ……」
 悪魔に口答えしようと口を開きかけると、目の片隅にビリーと三十四人の盗賊が映った。彼らはみんな、何かかわいそうなものでも見る目で少年を見つめている。
 ビリーがおずおずと少年の方に手を伸ばし、心配そうな口調でこう言った。
「おい、お前……。頭大丈夫か?」
 その瞬間、少年は自分の頬が急激に熱くなるのを感じた。これもそれも、全部悪魔のせいだ。
 しかし、それは同時にこの場を逃げ出す絶好の機会でもあった。
 少年は先ほどと同じように馬の腹を軽く蹴り、悪魔に話しかけるふりをした。
「おい、こら! 話はまだ終わってないぞ。どこへ行く!」
 盗賊団の誰とも視線を合わせぬよう、少年は誰もいない空中に向かってそう叫んだ。それと同時に馬が走り出す。
 馬の目の前には何人かの盗賊がいたが、彼らは馬を制止することができず、慌てて道を開けた。
 目に見えない何かと会話する少年の姿に、盗賊たちはとても気味悪く思ったのか追いかけて来る者は誰一人としていなかった。
 誰も追ってこないのを確認した少年はほっと安堵のため息をついた。
「私ノオ陰デ逃ゲラレタナ」
 耳元でそう得意気に言った悪魔に、少年はちぇっと舌打ちをする。不本意だったとはいえ悪魔に助けられたようなものだったので、さすがの少年も何も言えない。しかし、何か一言言ってやらないと気が済まないのが少年だった。
「親父が何にもしなくったって、私一人で全員倒せた!」
 悔し紛れに馬上で叫ぶも、悪魔は馬鹿にしたように笑うだけであった。
 相手が二、三人ならともかく、あの数では相当無理があった。
 グロムナート王国の手前には小さな森がある。南からグロムナート王国へ入ろうとする者なら誰もが通る道で、迷ったり危険な目に遭ったりする心配はほとんどない場所である。
 この森を抜ければようやくグロムナート王国に到着だ。
 森の中をしばらく進んだが、その日は少年以外の旅人の姿は見えなかった。
「着いたらまずは何をしよう……。宿を探す……いや、飯が先か」
 乾いたぱさぱさのパンではなく、何でもいいから温かいものが食べたい。少年は今にも大きな音を立てそうな腹の虫を抑えるように、そっと腹をさすった。そして、何気なく少年が後方に目をやると、何かがこちらを見ている。
 さっきの盗賊かと思ったが、違う。
 低いうなり声を響かせ、ぎらぎらと鋭い目をこちらに向けていたのは、真っ黒な毛を身に纏った狼。しかも、群れだ。
 少年は咄嗟に手綱を取り、馬を全速力で走らせた。とにかくこの森から出なければいけない。
「くそっ! 盗賊を撒いたと思ったら今度は獣かよ」
 狼たちもものすごい速さで後ろから追いかけて来る。
 彼らは少年と馬を夕飯にするつもりなのだろうか。
 必死に逃げる少年だったが、悪魔は愉快そうな声色で言った。
「尻ヲ咬マレロ!」
 緊迫した状況にもかかわらず、少年はぶっと吹き出した。
「尻だけで済むと思ってんの? あいつら、骨までしゃぶるつもりだぞ」
 馬がどんなに必死に走っても、身軽な狼の方が速かった。後方に迫る一匹の狼を、少年は錆びた剣を振り回して追い払う。しかし、数が多い狼相手にいつまでもそれは通用しなかった。
 足元の狼に気を取られていた少年の背中目がけ、狼が飛び上がる。少年はそれに気づいたが、反応できない。
 狼の牙と鋭い爪が少年を引き裂こうとしたその時、雷のようなものが狼に直撃した。
「な、何だ?」
 視線を前方へ戻すと、そこには一人の男が立っていた。白く長いローブを着て、身の丈ほどある長い杖を持った金髪の男だ。
「魔法使い?」
 少年が馬でその男の横を通り過ぎた瞬間、彼の杖が光を帯び、狼の群れ全体に雷が轟いた。
 少年は男の背後で馬をとめ、その様子を目の当たりにしていた。
 魔法は狼たちの足を止めるために放たれたものだったらしく、致命傷を負った狼の姿は見られない。
 怯んだ狼たちは態勢を立て直すために、ボスだと思われる大きな狼の周りに集まった。
 このまま魔法使いの男を見捨てて逃げるわけにはいかない少年は、馬から降りて男の傍へ歩み寄った。
 狼のボスと魔法使いの男が睨みあう。
「去れ。ここから先はお前たちの世界ではない」
 魔法使いの男がそう言うと、なんと、狼が口を開いた。
「黙れ! 下級魔法使いごときがオレたちに指図するな」
 唸り声と同じ、低く重い声だった。
 男は動じることなく、持っていた杖を狼たちに向けた。
「王国に足を踏み入れる気なら、容赦しない」
 男と狼のやり取りを傍で見ていた少年は、小さな声で「狼が喋った……!」と、呟く。
 独り言のはずだったが、狼の耳はその言葉を聞き逃さなかった。魔法使いの男に向けられていた視線が少年に向く。
「オレたちをただの獣と一緒にするな、今日の晩飯」
 やはり少年を食べるつもりだった狼のボスは、一歩少年の方へ近づいた。
「お前……」
 ボスが少年に向かって言う。
「人間ではないな。魔の者の匂いがする。いや……」
 狼は値踏みをするように少年をまじまじと見た。
「我らがかつて、共に仲間として戦った竜の匂いもする。だが、違う。そのどれでもない」
 その時初めて、魔法使いの男が少年を見た。生粋のグロムナート人が持つ青い瞳は、少年の黒とは正反対の色のように思えた。
「魔の者……? あなたが?」
 男は信じられないと言いたそうな表情をしていたが、すぐに狼たちに向き直った。
「この方が何者であろうと、グロムナートへ向かう旅人を食い殺すことは私が許しません。また雷を落とされたいのですか? 下級魔法使いの雷でも、あなたたちに致命傷を負わせることは可能ですよ」
 男の魔法など恐れてはいないといった風に、狼は遠吠えのような笑い声を上げた。
「面白い! 人間でも、魔の者でも、竜でもない者よ。お前が一体何者なのかは知らないが、竜の気を持ったお前が今生きているということは、あやつらはどこかで生き延びているのだな」
 狼は魔法使いの男になど目もくれず、少年にそう言った。だが、少年はその質問に対する完璧な答えを持っていなかった。
「懐かしや……。またあの頃を思い出させてくれた礼に、お前を食うのは勘弁してやろう。その魔法使いもな」
 狼は魔法使いの男を一瞥すると、仲間の狼と共に森の中へ去って行った。
 少年も魔法使いの男も、ただ黙ってそれを見ていることしかできなかった。一方的にあれこれと言われても、少年には事情が呑み込めない。
 狼の姿が見えなくなると、魔法使いの男は勢いよく少年の方を振り返り、なぜか杖を向けてきた。
「え? ちょ、ちょっと……」
 間髪入れずに男の杖から光が放たれる。眩しくて一瞬目を閉じるも、何をされるか分からない恐怖で必死に目を開けた。すると、男のひどく驚いた表情が視界に入ってきた。
「あ、あ、あ、あなた……」
 震える声で男が言う。
「な、何かものすごく邪悪なものが取り憑いていますよ!」
「え? 邪悪なもの?」
 少年は見えるはずのない邪悪なものを見ようと自分の背後に視線を巡らせる。
「私が何とかしてみます! まだ覚えたての魔法なんですけど、悪魔祓いっていうのがありますので。では、いきますよ!」
 男の杖が再び光り出す。
「え? 悪魔? 悪魔って親父……? うわっ!」
 また男の魔法を浴びたようだが、少年の体には何の変化もないように思えた。
 目を開けると、男はさっきよりも絶望的な表情をしている。
「だめです……。私ではどうにもできません。あなたに取り憑いた魔の者を払うことができないっ!」
 今にも地面に崩れ落ちそうな勢いでそう言う男に、少年は申し訳なさそうにこう言うしかなかった。
「あー……。多分、これを取り払うのは無理かと……」
「なぜですかっ。取り払わなければ、あなたの命が危ないんですよ。悪魔が取り憑いてるんですよ!」
 おそらく少年を救いたい一心でそう言っているこの魔法使いの好意を無下にはできず、少年は本当のことを話してみることにした。
「これ、この悪魔……。私の親父なんだ……」
 魔法使いの表情が固まった。
「だから取り憑かれているわけではない……と思う。いや、私にとっては取り憑かれているも同然なんだか、憑いているのではなく、着いて来ているのだと思う……」
 魔法使いは固い表情のまま少年に尋ねた。
「姿を……。その悪魔の姿を見ることはできますか?」
「親父が言うには、強い魔力があれば姿を現せるらしいんだが……」
「私の魔力ではどうですか?」
 少年と魔法使いの会話を聞いていた悪魔は、訝しそうにこう囁いた。
「ソノ男、ナゼ私ノ姿ヲ見タガル? オカシナ人間ダ」
 悪魔の疑問を魔法使いにぶつけてみると、魔法使いは今さらだが周りに人がいないのを確認し、小声で言った。
「私はグロムナートの宮廷魔法使いです。グロムナートでは悪魔学は禁じられていますが、私はこっそり悪魔のことを研究しているのです」
「なるほど。それで悪魔が見たいと……」
 悪魔が見たいなんて物好きな人間もいるものだなあと思いながら、少年は魔法使いの話を聞いていた。
 魔法使いは先ほど狼と対峙した時の凛々しい表情から一変、弱々しくも見える温和な表情で困ったように笑った。
「あの、これは内緒にしてくださいね……」
 その言葉に少年は素直に頷く。
「分かったよ。だけど、そんな秘密は軽々しく話すもんじゃないぜ」
 魔法使いも少年と同じように頷いたが、最後に少年にこう忠告した。
「あなたもですよ。グロムナートの魔法使いに自分の父親が悪魔だ、などと決して言わないことです。それが事実であれ偽りであれ、酷い目に遭いますよ」
 少年ははっとして、腰の剣に手を掛けた。
「私は大丈夫です。あなたのことを密告しはしません。それに、言ったでしょう。私も悪魔の研究をしていると。これでお互い様ですね」
 そう言うと、魔法使いはにっこり微笑んで右手を差し出した。
「私の名前はヨアンネス。あなたは?」
 聖人のような魔法使いに、少年は剣に掛けていた右手を少しためらいながら伸ばす。
「ディアス。ディアス・ブラックレイ」
 奇妙な秘密を共有した、何の共通点もなさそうな二人は、友となるべく握手を交わした。
つづく
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